第4話 紫苑色の時を想う

第4話 紫苑色の時を想う①

 

 血の匂い


 誰かの悲痛な叫び声。


 届かない思い。


 悲しみに満ちた、哀れみの瞳。


 噛み締めた唇。


 諦観から、だらりと下がった腕。




 白姫しろひめの見る夢は、全て過去のことばかりだ。

 過去は変えることができないのに、未来から目を背けていつかの「もしも」を願ってしまう。


 くれない達が諦めにも似た思いを抱きながらも、それでも懸命に前へ進もうとしているのを知っている。

 手探りでも、いつか事態が好転することを信じている。


 ――白姫とは違う。


 永久の時は、人を怠惰にさせる。

 過ごした時間の長さだけ、諦めることを覚える。

 積み重ねた経験の分だけ、微かな変化に恐怖心を抱く。


 黒姫くろひめのように事を起こそうとする行動力も、気概もない。

 一番の害悪は白姫なのかもしれない。


 ――「あの人」のため。


 そう思い続けて、どれ程の時が経ったのか。

 白姫には何が正しいのか、解らなくなってしまった。

 もう、どう動いていいのかすらも解らない。



 胸に突き刺さる十字架を模した刺突剣は、墓標のようだ。

 夢は、いつもの死で終わる。




 長い夢から、白姫は目を開けた。

 変わり映えのしない、鏡の世界。白姫の唯一の居場所。

 のろのろと上体を起こすと、直ぐ側でむらさきが薄い板のようなものを操作していた。

 確か「すまーとふぉん」というものだ。



「あ、白姫。おはようさん」



 白姫が起き上がる気配を察知した紫は、「すまーとふぉん」から顔を上げた。

 向けられた明るい笑顔に、白姫はほっと息を吐く。

 紫の笑顔が好きだ。時折こうして話をしに来る紫の存在に、いつも救われている。



「紫さん、学校は……」



「もう放課後や。なあ、またいつもの夢を見てたん?」



「……はい」



 紫の顔が曇る。胸が苦しくなった。

 こうなるのが解っていたら、うたた寝なんてしなかったのに。

 だが紫の浮かべる表情は、いつものものとはまた違う気がする。



「――紫さん、何かありましたか……?」



「なして?」



「落ち込んでいる、ように見えます」



 白姫の指摘に紫は「敵わんなぁ」と苦笑すると、胡座から三角座りに体勢を変えた。



「お昼にな、彩美あやみあおが喧嘩したんや。紅が間に入ってくれはしたんやけど、どうにも人の心ってのは難しいなぁ。中身は違えど姿形は同じやから、ついそっちにばっかり引き摺られるんや。何も知らない彩美を責めるのは違うって、解ってるんやけどね……青は、多分彩美のことが好きやったんやな。もう終わってしまった話やから、確かめようにもないんやけど」



「……」



「青の気持ちを知ってたんかは知らんけど、彩美はそれすらも利用した。……青は許せへんのやろ。彩美のことも、結果紅に尻拭いさせてしもうた、自分のことも――なあ、白姫」



 紫の弱々しい声が、酷く静かに反響する。



等は、何も間違ってないんよね……? きちんと前に、この繰り返しを終わらせるために、進んでるんよね? 今までのことは、決して無駄じゃないやんな……?」



「紫さん……」



 白姫に返せる言葉はなかった。

 紫の吐露した心境は鏡のように、白姫の心中を映していた。

 紫は苦笑すると、立ち上がって「ん~っ」と伸びをした。空元気なのは明らかだ。



「ごめんなぁ、弱音ばっか吐いて。忘れてや」



 朗らかに笑って歩き去ろうとする紫を、白姫は咄嗟に引き留めた。



「あのっ、どこへ行かれるんですか……?」



「頭冷やして来る」



 背中を向けたまま片手をひらひらと振った紫の姿は、暗闇に紛れて直ぐに見えなくなる。


 本当に嫌になる。

 大事な時に、何も言うことの出来ない自分が。


 足元に、ぽつりぽつりと幾つもの波紋が生じる。

 それは白姫の瞳から零れ落ちたものによって、漣の如く揺れていた。



「――違う。本当に弱いのは……」



 両手で顔を覆い、膝を折った。

 一際大きい波紋が作られ、やが静謐せいひつが訪れる。



「ごめんなさい。ごめんなさい……何も言えない私で、ごめんなさい」



 白姫の嘆きを聞くものは誰もいない。

 彼女の悲しみが、玄室にも似た鏡の世界に響いた。

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