第3話 迫る黒

第3話 迫る黒①

 翌日。

 移動教室のため理科室に向かっていると、前の授業が合同体育だったのか、体操着の難原なんばら姉弟と擦れ違った。



「お、彩美あやみやん。やっほ~」



 弟のむらさきが、彩美に気付いて手を振った。

 特に反応を返すことなく鼻を鳴らすと、あおと目が合う。

 昨日の一件があったため睨み付けてやると、青は打って変わって人当たりの良さそうな笑みをそのかんばせに貼り付け、にっこりと笑った。

 彩美の背筋を悪寒が走る。



「何だ彩美、顔色悪いな。大丈夫か?」



「……別に、何でもないわ。気のせいでしょ」



 表情の変化に目敏く気付いた悠陽ゆうひかわし、彩美は早足で理科室に向かった。






 昼休みになると、彩美の前にくれないが立ちはだかった。

 昨日程目立ってはいないものの、女子生徒達からの視線は更に鋭いものになっている。


 ――いつか後ろから刺されそうだ。


 朝の時点で悠陽から「今日は練習試合の作戦立てをするから、お昼は一緒に食べれない」と、かなり申し訳なさそうに言われた。

 よって、彼女の助太刀は見込めない。ならば、大人しく紅について行くのが得策か。


 彩美は逃げるように、紅と共に教室を後にした。

 拒否すれば、昨日以上に彩美の命が危ぶまれる台詞を吐かれるのは目に見えていたからだ。





 紅達は屋上で昼休みを過ごすのが常なのか、今日も塔屋とうやの陰で昼食を広げていた。

 真っ先に青と目が合ったものの、ここで事を荒げるつもりも、他の面子に昨日のやり取りを話すつもりもないのか、白々しい笑顔で迎え入れられる。


 そこにいたのは青と紫のみで、荷物はあるが山吹やまぶきの姿が見えない。



「山吹はどうした?」



 塔屋に背を向け、腰を下ろした紅が問う。

 それに答えたのは、女子らしく横座りになった青だ。



「ジャンケン勝負に負けて、私等のお昼を買いに行ったんや」



「山吹、めっちゃ弱いんやで!」



 ……確かに、勝負事に弱そうな顔をしているかもしれない。



「あ。紅、今日はその弁当箱なんや! オレ、いっつも楽しみにしてるから、何や嬉しいなぁ」



 紅の手に握られたものを見て、紫が目を輝かせる。

 昨日は彼等が四人揃っていたことで周囲の目を引いていたが、今日はどちらかと言えば紅の右手に注目が集まっていた。



「『赤音あかねちゃん特製重箱弁当』……最早恒例行事やねぇ。紅、今度は何したん?」



 そう。紅の右手にはオレンジ色の風呂敷に包まれた、三段重ねの重箱が握られていた。

 しかも結構大きい。花見か運動会かと突っ込みを入れたくなる。

 青の呆れ果てた声音に、紅が気不味げに言った。



「……赤音が来ない日だったから、面倒臭くて二日間夕飯をすっぽかしたのがバレた」



「馬鹿やねぇ。惣菜でも何でも、コンビニかスーパーで買って帰れば良いのに」



「市販のものは味が濃いだろう……」



「子供みたいなこと言うんやないの」



 姉と弟のようなやり取りをする青と紅を尻目に、彼女の実の弟である紫が「なあなあ、早く開けてくれや!」と急かす。尻尾を振る犬みたいだ。


 紅が無言で風呂敷包みを開けると、漆塗りの黒い重箱が現れた。

 重厚な拵えが露になり、風呂敷に包まれていた時よりも存在感がある。


 桜の模様が描かれた蓋を開けると、手の込んだおかずがみっしり顔を出した。肉や魚がふんだんに使われている。

 紅はそれを無言で左横に捌け、二段目の中身を広げる。こちらは和え物や酢の物といった、野菜がメインの印象だった。

 その重箱は右横に退かすと、最後の段の全貌が明らかになる。

 三段目にはお握り、いなり寿司、海苔巻きが綺麗に列を連ねていた。


 ……これは見ただけで腹が一杯になる。


 紅は束になった割り箸と、紙皿をどこからか取り出した。



「赤音ちゃん、どんどん腕を上げてるなぁ……」



 感心しながらも、紫の視線は重箱にしがみついて離れない。

 紅は苦笑して、紫に紙皿と割り箸を手渡してやった。


 その時、バターンと大きな音を立てて屋上の扉が開かれる。


 ――山吹だ。


 彼はレジ袋片手に「いや~購買部混んでたぁ」とぼやきながら、当然のように紅の左隣に腰を下ろした。



「おっ、今日は『赤音ちゃん特製重箱弁当』の日か! 全く、く~ちゃん一体何やったんだよ~」



「何だ、いつも俺が悪いみたいに」



「赤音ちゃんが怒るなんて滅多にないんだから、お前が何かしたに決まってるだろ?」



「夕ご飯、二日連続で抜いたんやって」



 青が告げ口すると、山吹は大仰なリアクションをして肩を竦める。



「お前、朝ご飯も食わねぇじゃん! ダイエット中の女子かよぉ~」



 山吹は紅の手から割り箸と紙皿を素早く奪い取ると、神掛かった箸捌きでおかずを紙皿に盛っていく。

 どんどん塔のようになっていくそれを、紅が苦い顔で見詰めていた。



「……おい、そんなに食べられない」



「先に取っとけって。余ったら俺が食うから。いいか、これは戦争なんだぞ。見ろあの欠食児童共難原姉弟を……!」



 山吹が箸で指し示すその先では、紫がぱかぱかと唐揚げを頬張っている。

 青はいつの間にか酢の物を上品に口に含み、舌鼓を打っていた。



「み~ちゃんも食っとけ。美味いぞ、赤音ちゃんの料理!」



 意外と世話焼きな山吹は彩美にも割り箸と紙皿を寄越し、次に揚々とレジ袋を漁り出す。



「ほら、む~ちゃん。コロッケサンドとメロンパンと……サンドウィッチもだっけか?」



「んんんんん、んんんん!(ありがとな、山吹!)」



「こら。行儀が悪いわ、紫」



 頬を栗鼠のように膨らませておかずを消費する紫を、青が嗜めた。

 そういう彼女の箸の進みも、中々に早い。



「で、こっちがあ~ちゃん。シナモンロールと、カツサンドと、フィッシュサンド、チョココロネで良かったよな?」



「ああ、おおきに」



 何てことない表情でゴソッと四つのパンを受け取った青に、紅が顔を顰めた。気持ちは解る。



「……あっ!!」



「うわっ! 山吹、急に大声出して何やの?」



 今まさに肉団子をつつこうとしていた紫が、山吹の切羽詰まった声にびくりと背筋を伸ばした。

 哀愁漂う空気を醸し出した山吹が、聞いてるこちらの方が切なくなる声音で呟く。



「自分の分買うの忘れた……」



 空っぽのレジ袋が、風に煽られてがさがさと空しく鳴いた。



「……購買部に行っても、もう大したものは置いてないだろ。山吹、お前も遠慮せず食べて良いぞ。幸いご飯ものも沢山入ってるしな」



 憐れむ視線を向けた紅が、山吹にも割り箸と紙皿を手渡した。

 何だか色々と馬鹿らしくなってしまい、彩美は大人しく重箱に箸を伸ばした。

 場の雰囲気が落ち着いたため、ようやく口を利くことができる。



「……『赤音ちゃん』って、誰?」



「ああ、俺の親戚だ。北澤きたざわ 赤音あかね深冬みふゆ中学に通っている」



 深冬中学とは深冬黎明みふゆれいめい高校を出てしばらく下った所に位置している、この町では一番大きい中学校だ。

 制服が可愛いのだが、残念ながら彩美は学区が異なるため深冬中学ではなく、別の中学校の出身だ。ちなみにそこは、制服が大変ダサい。



「赤音ちゃん、めっちゃ女子力が高くてなぁ。紅のお世話してくれてるん」



 肉団子のタレを口の周りに付けながら、紫が笑う。

 内心「アンタも世話してもらえば?」と思いつつ、彩美は適当に相槌を打った。



「紅、頭は良いけど不器用で、生活能力が皆無なんだよな~」



「それは遺伝だから、最早どうしようもないな」



 紫の発言にきんぴらごぼうをゆっくりと咀嚼していた紅が、あっけらかんと言う。

 母親か父親か。どちらの遺伝なのかは解らないが、その『赤音ちゃん』とやらからしてみれば大層迷惑な話だろう。

 試しに摘まんだ形の整っただし巻き玉子は、優しい味でとても美味だった。



 大食漢の難原姉弟と、普通の男子高校並みの食欲を持つ山吹の活躍により、あれ程あった重箱弁当の中身はものの見事に空になった。

 何だかんだで彩美も、全てのおかずを一個ずつ賞味した。

 持参の弁当があった彩美ですらこの位は食べられていたのに、紅は本当に少しつまんで箸を置いていたので、その澄ました横面を引っ張たきたい衝動に駆られた。……抑え込むのが大変だった。


 風呂敷に重箱を包み直す紅を横目に、彩美は「昨日のことなんだけど」と口にする。



白姫しろひめ黒姫くろひめも、それぞれの世界の人間に力を与えることが出来るって言ってたわよね? アンタ達も、何か能力のようなものを持っているの?」



「……ああ、そんな話もしたな」



 重箱を後ろにやった紅が一つ頷くと、「山吹」と短く言った。

 その一言で意図を理解した山吹は立ち上がって右手を前に伸ばし、彩美を茶化すようにウィンクを投げた。



「――瞬き厳禁だぜ、み~ちゃん」



 言うが早いか彼の右手に、フェンシングで用いるサーブルにも似た剣が音もなく現れた。


 瞬き等一切していない。一瞬、ほんの一瞬でそれは出現した。

 目を丸くする彩美に、山吹は得意げに笑う。



「これが白姫から貰った俺の能力、『刹羅せつら』。俺の中で『武器』と定義され、且つ俺がその仕組みを知っているものを創造することが出来る。具現化できるのは一回の能力行使につき、一つだけ。例えば俺とく~ちゃんの間で……」



 山吹が、前触れもなく紅に剣を放り投げる。

 紅はそれを危なげなく受け取った。



「こういう風に貸し借りはできるけど、俺が他に武器を出そうとすると……」



 山吹の手に小さなナイフが出現すると、忽ち紅の手から剣が掻き消えた。



「――こうなる。ちょっと不便だけど、それが愛嬌って所だな」



「山吹の能力『刹羅』は、俺達が白姫から頂いた能力の中で唯一人を殺せる能力だ。俺、青、紫の力は、どちらかと言えば補助的なものに当たる」



「――殺すの?」



「必要があれば」



 紅は淡々と、まるで教科書を読み上げるような口調で告げた。

 然も当然という言動が気に入らず、彩美は知らず知らずの内に顔を顰めていた。


 別に正義感を振り翳したい訳ではない。


 彩美とて他人に対して「死ねばいいのに」や「殺してやりたい」と、思うこともある。

 憎しみで人が殺せたら、法がなければなんて、危険なことを考えないこともない。


 ――だが、それはあくまで想像上だ。


 実際に自分と同じ姿形をした『人間』を害するのは、この手を汚すということは、また話が変わってくる。

 彩美は如何ともし難い感情に、眉を寄せた。

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