第2話 哀は青より出でて⑤

 彩美あやみあお。二人の後ろ姿が見えなくなるまで見送った山吹やまぶきは、深い溜め息を吐いた。



「……どうするんだ、く~ちゃん。これじゃあ、前回の二の舞になりそうじゃね?」



「ではどうする? この世界は捨てるか?」



「極論過ぎだろ。そうは言わねぇけどさ……」



「どう転ぼうとも、既に俺達は選択した。時計の針を止めることは出来ない。黒姫くろひめ、そして並行世界からの『門螺かどにし 彩美あやみ』への接触を待つしかない」



「……何かさ、最初は彩美に忘れられちゃうのが悲しかったんやけどさ、どんどん慣れてきちゃったな。こういう気持ちにまで慣れちゃうの、嫌やな」



「それも終わせるさ、ここで。そうだろ、むらさき?」



「……うん」



 そんな彼等のやり取りを、白姫しろひめは眉を寄せて切なげに眺めていた。

 白姫の纏う緋色の袴は彼女の両手によって強く握り締められ、深い皺を刻んでいる。


 その様はまるで、白姫の心中にも似ていた。



「……ごめんなさい」



 彼女の謝罪の声は余りに小さく、くれない達の耳にも届かなかった。












 青との道中は、想像以上に気不味かった。

 彩美は彼女の背中から、ピリピリとしたひりついたものを感じていた。

 この感覚には覚えがあった。


 彩美が自分の意思をはっきりと告げた時、相手や周囲に流れる空気――そのもの。


 あえて言うならば、『怒り』と称されるもの。



 だから彩美は普段通りに、



「――私に何か言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどう?」



 相手が、青が逆上するだろうことを分かった上でそう告げた。

 足を止め、彩美を振り返った青の形相は酷く厳しい。



「……学年で一、二を争う美少女とは思えない顔ね。もう少し位取り繕ったらどうなの」



「私の顔はどうでも良いやろ。今関係があるのは君や、君」



 青は人当たりの良い生徒と評判だと、悠陽ゆうひから聞いたような気がしたのだが……あれはガセに違いない。

 これのどこが人当たりが良いんだか。



「紅は君を監視……謂わば何かあったら守ると言った訳なんやけど、少なくとも私にその気はない。私はアンタが嫌いや。大っ嫌いや、門螺 彩美」



 捲し立てるように吐き捨てた青は、再度同じペースで歩き出す。



「紅は優しいからアンタを守るんやろうが、私等はアンタを守る紅を守ってるだけや。勘違いすんなや」



喜多見城きたみしろが優しい? どこが ――」



 咄嗟に口に出してしまい、これは悪手だったと出かかった言葉を飲み込む。

 しかし、既に飛び出してしまったものについてはどうにもできない。

 彩美に横顔だけを向けた青の目が、鋭く細められる。



「……そういう人を小馬鹿にするような態度、。本当、憎たらしいわ」



 彼女はそう捨て台詞を残すと、無言で正面玄関に向かう。

 名乗ってもいないのに、こちらを知っていた山吹、紫。彩美の性格を熟知していた紅。

 白姫が言った「今の貴女」、そして今青が口にした「相変わらず」。


 考えるべきことが多すぎて、頭がおかしくなりそうだ。


 正面玄関に着くと下駄箱からローファーを取り出し、中履きと入れ換える。

 彩美は靴に足を通し、彼女の一連の動作を黙って見詰めていた青へと視軸を向けた。



「――アンタ達、『私』を知ってるの?」



 青がはっと息を呑む。

 初めて、その澄ました顔が動揺に彩られた。


 ――これは当たりビンゴだ。



「もしもそうだとしたら、どこかで違う選択肢を選んだその『私』は、既に『今の私』とは別者だわ。一括りにするのは止めて。不愉快よ」



 彩美はそれだけ言い残し、校舎を出る。

 青は小さくなっていくその背中を目で追いながら、ぽつりと無意識に呟いた。



「……そらまあ、取り巻く環境によって性格や趣味嗜好に多少の差異はあるんやろうけどな。君が『門螺 彩美』である時点で、それは全ての『門螺 彩美』に共通する、一面でしかないんや」


「大言壮語を吐きよって……見極めさせてもらうわ、門螺はん。同じてつを踏むつもりは更々ない。今回は騙されへんし、そうなる前に――私が君を殺したる」



 青の脳裏に残る、鮮烈な『門螺 彩美』の姿はいつもだ。


『――青』


 目を伏せれば、どこか皮肉気に自身の名前を呼ぶ彼女の姿が直ぐに思い浮かぶ。

 どうしようもない苛立ちに、青は固く握り締めた拳を下駄箱に叩き付けた。





 第2話 哀は青より出でて 完

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