第2話 哀は青より出でて③

 酷い目にあった。

 五時間目の教師が時間にルーズなタイプだったため遅刻はバレずに済んだものの、他の教師なら注意を受けていただろう。

 くれないの一件もあるため、これ以上悪目立ちするのは避けたい。

 それでなくとも、学校という狭い環境に於いて彩美のようなスクールカースト下位の生徒は、出る杭のように打たれる宿命にあるのだから。


 帰りのホームルームが終わり、運動部の生徒達が賑やかに教室を去って行く。

 いつもならその中の一人であるはずの悠陽ゆうひが、気遣わしげな様子で彩美あやみの席にやって来た。



「彩美、お昼はゴメンな。大丈夫だったか?」



 部活のミーティングを優先して、彩美を助けられなかったことを気にしていたのだろう。

 次の授業にも若干遅れて来たため、悠陽が心配するのも当然かもしれない。



「特に問題はなかったわ。昼食を食べただけだし」



喜多見城きたみしろから告白されたのか?」



 聞きたかったのは、どうやらそっちの内容だったらしい。

 ひそひそと声を潜めた悠陽の口元は、楽しげな笑みを型どっている。



「他にも吾妻屋あづまやとか難原なんばら姉弟がいたのよ? そんな訳ないでしょ」



「何だぁ、残念」



 悠陽は大袈裟に肩を竦めると、教室の時計を見上げて「あ、不味い! 着替える時間がなくなる!」と焦った声を上げた。

 そして彩美に短く別れの言葉を告げ、嵐のように駆け出して行く。


 あっという間に小さくなっていく背中を見送ると、彩美は廊下側の一番後ろの席に目を向けた。


 教室に残っているのは既に彩美と――紅だけだ。


 彼は読んでいた文庫本に栞を挟んで鞄にしまうと、静かに立ち上がる。



「行こう」



 短く発せられたそれに、彩美は頷いた。






柳田やなぎだ 悠陽ゆうひとは仲が良いのか?」


 廊下に出て、紅が真っ先に口にした台詞だ。

 「別に仲が良い訳じゃない」とか「アンタには関係ないでしょ」とか、様々な言葉が彩美の頭の中で渦巻いたが、結局「別に」とだけ答えた。

 紅とて、具体的な解答を期待していた訳でもあるまい。

 むしろ全て解った上で、場を繋ぐためにその話題を振ったようにも感じた。



「私も聞くけど……何でアンタ昨日初めて学校に来たのに、吾妻屋達と仲が良い訳?」



「腐れ縁だ」



 まるで答えを事前に用意していたかの如く、素早い返答だった。


 すると突然、紅がピタリと足を止めた。


 直ぐ後ろを歩いていた彩美は、危うく彼の背中にぶつかりそうになり「何?」と不機嫌に洩らす。



「丁度良いな。――並行世界の人間がどうやってこちらに来るのか、見せてやる」



 紅が指し示した方向には、大きな窓があった。

 その動きに釣られて彩美が窓に目を向けるや否や、窓硝子の表面が幾つもの波紋を作り出す。

 それは、水溜まりに雨粒が落ちる様に似ていた。


 ――刹那。波紋の一つから、水面を突き破るようにして女のものと思われる右手が現れる。


 指先から徐々に腕、肩、最後には深冬黎明みふゆれいめい高校の制服を着た少女が姿を見せた。

 彼女の瞳は固い意思と、強い決意に満ちていた。

 何か目的があるだろうことは一目瞭然だ。


 そう、たとえば――彩美達を殺すとか。


 少女の華奢な手の中で、武骨なサバイバルナイフが存在を主張していた。



「な……」



「安心しろ。これは深冬黎明高校この学校でしか観測されていない。白姫しろひめ黒姫くろひめの管理が及ぶ範囲が、学校に限定されているんだ。彼女達自体は学校外での干渉も可能なようだが……二人は共通して、見た目通りの子供の力しかないからな。実戦に限って言えば、大した脅威ではない」



「――それのどこに安心要素がある訳!?」



「言ってる場合か。――伏せろ」



 紅に強く腕を引っ張られ、彩美は踏鞴たたらを踏んだ。

 彩美ががくりと体勢を崩すと、今まで頭があった場所を、サバイバルナイフがビュッと空気を切りながら通り過ぎた。

 距離にして二十メートルもなかったとは言え、接近するのが速過ぎる。



「白姫も黒姫も、己の管理する世界の人間に何かしら能力を分け与えることができるらしい。俺達も白姫から力を頂いている」



「じゃあこれを何とかできるの!?」



「いや。俺の能力は戦闘向けじゃない」



 「何それ使えない!」という叫びは再度振られたサバイバルナイフを避けるために、彩美の喉奥に引っ込んだ。


 さぞや滑稽な逃げっぷりだろう。


 眼前の少女の余裕そうな表情が、そう物語っていた。



「だが、戦う力がない訳でもない」



 紅が彩美の腕を掴んで自らの傍らに強く引き寄せたと同時に、彼の唇が場違いな程にゆったりと動いた。



「『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん』」



 詠うように低く紡がれたそれが、少女の身体を弾く。

 吹き飛ばされた彼女は弾かれた勢いのまま床板に叩き付けられ、ごろごろと転がった。


 彩美と同じセーラー服を身に纏った少女の身体は、糸の切れたマリオネットのように力なく横たわり、指先一つ動かす様子も見せない。



「殺したの……?」



 廊下に響いた彩美の声音は、不安に彩られていた。

 自分の口から発せられた問いが弱々しく震えていることに気付き、らしくない己に動揺する。

 紅は彩美を一瞥すると、目の前の少女へと視軸を戻した。



「いや」



 紅の言葉を肯定するように、少女がよろよろと立ち上がる。

 どこか痛めたのか、彼女は左腕をだらりと不自然に下げていた。

 憎々しげに紅を睨み付ける少女の顔は嫌悪に満ち、鋭い殺気が籠っている。



「お前の目的は」



 少女から向けられる視線等ものともせず、紅は淡々と問う。

 対する少女も、まるで音声ガイドのような抑揚のない声音で答えた。



「――『白姫の作ることわりを破壊し、全てを無に返す』。それが私の、の目的」



「……そうか」



 紅が揃えた右手の人差し指と中指を、真っ直ぐに少女に向けた。

 少女がぐっと足に力を込める。――来る。


 彼女は彩美達に――サバイバルナイフを投げ付けた。



「な……!」



 これは想定していなかったのか、紅が焦った声を上げ、素早く印を切った。



「『臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前』!」



 透明な防壁が、彩美と紅を取り囲む。

 瞬時に展開されたそれにナイフが弾かれ、硬質な音を響かせた。

 刀身が砕けて床に散らばり、柄の部分は回転しながら廊下の隅に落ちると、砂のようにさらさらと消え去る。

 どうやら、あのサバイバルナイフも黒姫から貰った能力とやらで創られたものなのだろう。


 少女は投げたナイフを目眩ましに、窓へと駆けて行く。

 彼女は彩美達を一度振り返り、現れた時同様窓硝子の中へと身を沈めた。


 ――廊下に静寂が戻って来る。


 それを見届け、彩美は安堵の余り腰を抜かした。

 紅にさぞや馬鹿にされるだろうと思ったが、その予想に反し、彼は彩美が立ち上がるのを静かに待っていた。


 座り込む拍子に紅の制服の袖を掴んでしまっていたのだが、振り払う様子も見せない。

 強く握り締めた学ランは、恐らく皺になると思うが……彼の事情に巻き込まれた身だ。構うものかと彩美は開き直った。



「……もう大丈夫よ。悪かったわね」



 しばらくして紅の袖から手を離すと、彩美は自力で立ち上がった。

 さっと目を落とした彼の制服の袖は、案の定皺になっている。



「いや、問題ない。今更だが怪我はないか?」



「本当にね。……無いわよ。あったら腰なんて抜かしてる場合じゃないもの」



「確かにな」



 紅は先程よりペースを落として歩み始めた。

 彩美を気遣っているのだろう。

 意外に気が利く所が癪に触るが、それを口に出す程、彩美の性格は歪み切っていなかった。



「――さっきの呪文みたいなの、あれは何?」



「……俺の先祖は、陰陽師の端くれだったらしくてな。その名残なのか、喜多見城家うちは代々霊媒師として生計を立てている」



「……」



 眉唾物の話に、彩美は黙り込んだ。

 しかし先祖代々というのだから、気軽に茶化せるような内容でもない。

 彩美の気不味げな空気を察してか、言った当の本人が「信じられない話だろう? 実際俺も、父から術を教わるまでは全く信じてなかった」と軽い口調で告げた。



「……その、並行世界からやって来る連中は、皆あんな感じなの?」



「そうだ」



「――怖くないの」



 何故こんなことを尋ねたのか、彩美にも解らなかった。

 だが刃物を向けられて平然としている自身と同い年のこの少年が、彩美には理解出来なかったのだ。

 紅は彼女の問いに不思議そうに目を瞬かせ、あっさりと言った。




「怖くはないな。もう、慣れてしまった」



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