第2話 哀は青より出でて②
まるで、動物園の檻の中にでもいるような気分だ。
顔が良いというのは、他人が思うより幸せなことばかりではないのかもしれない。その片鱗を垣間見た気がした。
屋上の扉を開けると、一迅の強い風が吹いた。
ドアノブを握っていた山吹が「うおっ!」と間抜けな声を上げる。
「少し風があるな」
当然のように山吹に扉を押さえさせた紅は、風避けのためか
難原姉弟も山吹に扉を押さえさせたまま、彼のこと等気にも留めずに紅の後を追った。
階段の途中で足を止めていた彩美を、山吹が急かす。
「ほら、み~ちゃんも」
「み~ちゃん?」と首を傾げかけ、それが彩美の「み」から取った「み~ちゃん」なのだということに気付く。
「……いきなり距離を詰めて来ないで。馴れ馴れしいのよ」
「すげぇ辛辣!」
彩美が屋上に足を踏み入れると、山吹が扉を閉めながらケラケラ笑った。
全く乗り気じゃないために牛歩の彩美の側を、山吹があっという間に追い越す。
ようやく追い付くと、彼等は円座になって各々昼食を広げていた。
塔屋に背を向けて座る紅から時計回りに、
彩美が座る位置は必然的に紅の対面だ。むしろ何故あえてその場所を空けたのか、逆に気になる。
普通ならば奥から詰めて座ると思うのだが……。
細かいことを気にしていても、彩美の座る場所が変わる訳ではない。
彼等への当て付けとして一度深い溜め息を吐くと、彩美はぽっかりと空いたそこに腰を落ち着けた。
「……それで? あんな手を使ってまで私を呼び出して、一体何の用?」
敵意剥き出しの彩美に、真っ先に食い付いたのは当の紅ではなく山吹だった。
「え。く~ちゃん、何て言って呼び出したんだ?」
「く~ちゃん」という、清涼飲料水のイメージキャラクターにでもいそうな渾名と紅が全くイコールにならず、彩美の思考はそこで一時停止した。
紅だから「く~ちゃん」というのは解りたくないが、まだ解る。
しかしその呼び名を許可する紅の心理と、でかい図体(百七十五センチ以上はあると思われる)で同性の友人を『ちゃん』付けする、山吹の神経が信じられなかった。
彼等二人の会話は口火を切った彩美を置いてきぼりに、トントン拍子で進んで行く。
「『一目見た時から、君と話してみたいなって思ったんだ。……お昼、一緒にどうかな?』」
「本当は?」
「……『どうする、この殺気立った女子生徒を敵に回すか? お前に選択肢はないと思うが』」
山吹が吹き出し、紫が腹を抱えて笑い出した。
紅は笑い転げる彼等を無視し、黙々と菓子パンを齧る。
馬鹿正直に自身の台詞を一言一句違えず口にする彼に、彩美は怒りを通り越して呆れさえ覚えた。
「それ脅しって言うんやで、紅」
「だが間違ったことは言ってない」
「ひゃー!!」
「あーもう、紅はそうやって無表情にボケるのを止めぇや。紫が笑い袋になってしもうたやん」
青が膝の上に乗せた弁当を箸でつつきながら、紅に苦言を呈した。
その見た目の割に
……時折見ているだけでこう、胃を迫り上がって来るものがある。
男子生徒は運動部に所属している生徒が大半を占めるため、朝練等もある彼等は自ずと弁当箱が大きくなっていくのだろう。間食を含めて一日五食は食べていると、彩美は見ている。
バスケット部に所属している
帰宅部の彩美が悠陽と同じ食生活をしたら、恐らく即座に肉が付く。それも付かなくていい部分にだ。
「――言ったろう。『お前を監視する』と」
紅に突然視線を向けられぽかんとしていた彩美だが、ようやくそれが先程の問いに対する答えなのだということに気付く。
会話のキャッチボールが下手過ぎる。
何なんだこいつは。
己のことを棚に上げ、彩美は内心毒吐いた。
「確かに言ってたけど……まさか、こんな物理的にだとは誰も思わないわよ。――それよりも、アンタあんなこと言って良かった訳?」
「何がだ」
「あれじゃあ『
こちらの言い分を聞き終えると、紅は可哀想なものを見る目で彩美に一瞥をくれた。
「――悪いが、俺にも選ぶ権利がある」
「……うひゃー、こんなんもう無理やん!!」
「く~ちゃん、マジ最高!」
ようやく笑いのツボから脱していた紫が、再び笑い袋と化す。
紅の左隣に座る山吹が、彼の肩をバシバシ叩いた。
「何で私が振られたみたいになってるのよ……!」
その気はないとは謂えども、それはそれで腹が立つ彩美であった。
「……とまあ。冗談はこれ位にして、と」
昼食をある程度食べ終えた所で、山吹が口を開く。
「昨日く~ちゃんが、み~ちゃんに説明した並行世界の話なんだけど、これ続きがあんのよ。で、その続きの方が本題な訳」
山吹から説明を求める視線を受け小さく溜め息を吐いた紅が、その後を引き継いで続けた。
「昨日の話で、並行世界は数多く存在することが理解できたと思うんだが……
「『終わった世界』?」
鸚鵡返しするしかない彩美に、紅がむっつりと頷いた。
「解り易く言うなら……勝利条件が満たせず、消化不良に終わってしまった世界とでも言うのだろうか。こう言ってしまうと、まるでゲームのようだが……」
「……あの
「そうだ」
「勝利条件っていうのは何?」
紅と山吹がアイコンタクトを交わした。
ほんの数秒の後、紅は「白姫を守り切る、そして俺達が死なないことだ」と、至極あっさり「死」という言葉を口にした。
「黒姫は白姫の守る世界を破壊するために、並行世界の人間を送り込んで来る。俺達に近しい友人、顔見知り達を
「……何が目的なの。その、黒姫は?」
「さあな。ただ俺は彼女と何度か相対したことがあるが……白姫が、俺達が憎くて仕方ないといった風だった。その真意までは解らん」
「私達に近しい人間を送り込んで来るって言うのは、別世界の人間がこちらの世界にやって来るってことなのよね? どうやって?」
「昨日お前も通ったろう。鏡だ。または鏡になり得るもの……窓硝子や、水面なんかもそうか。鏡というものは『あちら』と『こちら』の境界線が、元来曖昧なものだからな」
「……オカルトは嫌いよ」
憎々しげに言う彩美に、紅が薄く微笑んだ。
あの嘘臭い笑みではなく、年相応の柔らかい笑みだ。彩美は目を見張る。
「――知っている。自分の目で見たものしか、信じないんだったな」
「何でそれを……」
二人の会話を遮るように、予鈴が鳴る。
彩美以外の面子はそれを聞くなり立ち上がった。彩美も慌てて弁当箱を片付け、彼等に続く。
「放課後、教室に残っていてくれ――もう一度、白姫に会わせる」
「……一つ言っておくけど。私、アンタ達と馴れ合う気はないわよ」
「それも解っている。だが俺達と関わったことで黒姫に目を付けられた上に死なれでもしたら、寝覚めが悪い。よって、これは俺達が果たすべき義務でもある」
懐かしむような口調で告げられたそれを疑問に思う前に、紅が歩き出す。
その後を、山吹と難原姉弟が追った。
「何で……」
彩美はただ立ち尽くしていた。
――彼等といると、心が乱される。
紅が彩美に向ける視線は、時折驚く程に鋭くなり、また春風のように暖かなものにも変化する。
しかしそれは彩美ではなく、彼女を通して誰か別の人物を思い浮かべているのは明白だった。
そして山吹と難原姉弟。
弟は笑ってばかりで確認できなかったが、姉の青は彩美の名前を知っていた。更に、山吹は訳の解らない渾名で彩美を呼んだ。
彩美と彼等三人はクラスも違ければ、今まで接点もない。
それを昨日の今日で、わざわざ名前を調べたとでも言うのか? ……余りに非効率に過ぎる。
――彼等は危険だ。
彩美の冷静な部分が、そう警鐘を鳴らす。
『
深く関わってしまえば、恐らく無傷ではいられない。彩美も、彼等も。
音響機器の調子が悪いのか「ジジジッ」という雑音の後、本鈴が響き渡る。
彩美ははっとして、急いで教室に向かった。
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