第2話 哀は青より出でて

第2話 哀は青より出でて①

 彩美あやみは自室のベッドで目を覚ました。

 昨日のことがまるで夢だったかのようだ。


 ――いや、夢だ。夢に違いない。


 鏡の中の世界に行った等、『鏡の国のアリス』でもあるまいし。


 それよりも、どうやって帰って来たかがかなり曖昧なのだが……家までの帰り道、体調でも悪かったのだろう。だから余り記憶にないのだ。そうだ。そうに違いない。


 随分と、下らない夢を見てしまった。

 異様な風体のくれないが、脳裏に鮮明に残ってしまったのか。

 全身包帯男なのには海より深い事情があるのだろうが、彩美としては「怪しい奴」の一言だ。



(……朝ご飯食べよう)



 彩美は階下から響く母の声に適当な返事をしてから、もぞもぞと布団を抜け出す。

 部屋を出る流れでカーテンを開けると、朝の光が眩しかった。











 あの出来事が夢ではなかったということは、四時間目のチャイムが鳴った数秒後に証明された。



「えっと、門螺かどにし 彩美あやみさん……だよね? 良かったら達と一緒にお昼食べない?」



「は……?」



 昨日の無表情はどこに置いて来たのだという満面の笑顔で、紅が突然話し掛けて来た。

 同時に彩美達のクラス―― 一年二組の教室前の廊下に、落ち着きのない浮わついた空気が流れる。

 昼休みという理由だけでは片付けられない騒々しさに釣られて視線を向けた先には、彩美と紅のやり取りをつぶさに見詰める山吹やまぶきと、難原なんばら姉弟の姿があった。

 呆然とする彩美を尻目に、紅の口はひたすら滑らかに動き続ける。



「一目見た時から、君と話してみたいなって思ったんだ。……お昼、一緒にどうかな?」



 人懐こそうな笑みに、こてんと首を傾げる仕草。

 目の前にいるのは百七十センチ台のれっきとした男子高校生なのだが、顔に包帯を巻いていても滲み出る顔面偏差値の高さが、それを可能にしていた。

 紅と彩美という縁も接点もない組み合わせに、クラスメイト達がざわざわと騒ぎ立てる。



「え、何で喜多見城きたみしろ君が門螺さんと……?」


「うわ、喜多見城大胆~!」


「門螺さんって、別に大して可愛い訳でもないのに。喜多見城君、彼女のどこが良いんだろう」


吾妻屋あづまや君も、難原さん達もいるんでしょ~? いいなぁ、私もお近付きになりたぁい!」


「俺、門螺って良く知らねぇんだよなぁ。顔は悪くないけどさぁ……ちょっとキツそうなのがなぁ。あと胸もそんなねぇし」



 ひそひそと聞こえるそれに、彩美は察した。

 何故こんな衆目がある中、紅がわざわざ声を掛けてきたのか。


 ――彩美が断れない雰囲気を、作り出したかったのだ。


 クラスメイト達のお喋りを盗み聞く限り、女子生徒はほぼ彩美の敵と思って良い。というか一部のそれは、最早余計なお世話に悪口だ。

 それでなくとも四面楚歌のこの状況で、喜多見城イケメンの誘いを断ったりなどしたら……恐らく明日の朝、彩美の机はこの教室から消えているだろう。発見されるとすれば校庭か、体育館倉庫か。

 いや。至って古典的な、中履きに画鋲が入っているパターンかもしれない。


 彩美は最終手段として、悠陽ゆうひに助けを求めた。

 都合の良い時ばかり彼女を頼っているなとは、自分でも思う。

 だがこれはクラスメイトとの関係を悪化させないためにも、必要なことだ。


 悠陽ゆうひの姿を求めて視線を彷徨わせると、弁当箱片手に教室を出ようとする彼女と目があった。

 彩美の意思を汲み取った悠陽は、眉をハの字に下げるという、彼女にしては珍しい表情を浮かべた。

 悠陽は彩美を真っ直ぐに見詰めて、口を大きく動かす。



『部活のミーティング。ゴメン』



 悠陽の唇は確かにそう形作ると、逃げるように教室を去って行く。

 その後ろ姿を見送る彩美を、深い絶望が襲った。


 これも全て計算付くなのだろう紅を、彩美は射抜くように睨み付けた。視線で射殺せるなら、彩美はこの一睨みで既に百回は彼を害している。


 そして紅が極め付けの一言。


 その瞬間、彼の顔から表情がストンと失われる。

 勿論それは、夢見がちなクラスメイトの女子達や野次馬根性丸出しな男子生徒達を考慮してか、彼等からは一切見えない角度で行われた、計画的犯行だった。



「――どうする、この殺気立った女子生徒を敵に回すか? お前に選択肢はないと思うが」



 そう低く囁かれ、彩美は紅を睨む瞳に力を込めると、なるべく皮肉気に聞こえるように言ってやった。



「……あら奇遇ね。私も、アンタとじっくり話してみたいと思ってたの。そう、



 彩美の台詞に、教室内が一瞬にして沸いた。

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