第1話 日常は極彩色へ②
今日は六時間目で終わりだった。
進学校ではない
特進クラスもあるものの、その利点は大学の推薦枠が優先的に回されるというだけだ。
むしろそれに伴って夏期講習やら冬期講習やら補講やら全国模試等余計なオプションが付くので、普通クラスでなあなあにやっていた方が楽だったりする。
部活の時間になると水を得た魚のように教室を飛び出して行く
この学校――県立
入学式の際校長が「我が校の部活動入部率は九十パーセントを超え……」等と口に出した時から、既に嫌な予感がしていた。
――同調圧力だ。
なので部活に入っていないと「あ……入ってないんだぁ」という目で見られる。それが嫌ならば緩い文化部や愛好会に入るというのが、この学校の暗黙の了解だった。
ちなみに彩美は他人の目等どうでも良いので、帰宅部である。
彩美は、すっかり人がいなくなった教室から退室した。
そんなにも部活動に熱心になれるというのは、ある意味尊敬する。部活動の入部が必須だった中学校時代等、本当に苦痛で仕方がなかった。
最近は女子の制服もスカートやスラックスが自由に選択できるようになったが、そこまで生徒の自主性や個性を尊重するならば、部活動の参加も自由にすべきだと思う。今更言っても詮のないことだが。
深冬黎明高校は「山」という漢字を横に倒したような形をしていて、三階建てである。
一階は職員室や保健室、理科室や家庭科室といった実技系の教科で使用する教室と、一年生の一~三組までの教室がある。二階には一年生の残りの四~六組と、二年生の三~六組、図書室があり、三階には二、三年生の特進クラス一、二組と、三年生の三~六組、音楽室、美術室がある。
彩美のクラス、一年二組は一階の正面玄関を抜け、三つある棟の真ん中に位置している。
教室を出ると両隣のクラスも例に洩れず、人っ子一人いなかった。
彩美はスクールバッグを抱え直し、一人廊下を歩く。
リノリウムの床を擦る中履きの音が、キュッ、キュッと響いた。
吹奏楽部の演奏が遠くに聴こえた。これはアルヴァマー序曲だろうか。
荘厳な音楽に耳を傾けていると、彩美は自分以外の足音がこちらに向かっているのに気付いた。
現れたのはクラスメイトである
親しげに紅と話しているのは
リング状のピアスを幾つも両耳に垂れ下げ、じゃらじゃらと重そうに鳴らしている。
ブリーチした金髪は手入れされているのか、傷んでいる様子もなく艶やかだ。アシンメトリーの髪型は、神経質にセットされているのが解る。
一見不良のようだが、あれでいて誰とでも気さくに話す
紅と山吹の後ろに、同じ顔が二つ続く。
二卵性双生児――所謂双子の
姉の青は、青みがかった黒髪をボブカットにした清楚系美少女だ。
見た目はクールビューティーであるため取っ付き難そうだが、人柄は穏やからしい。これは悠陽談だ。
対して弟の紫は紫がかった短い黒髪の、元気溌剌とした活発な少年だ。
ニコニコといつも笑っている印象が先立つ人物で、女子からの人気も高い。主に恋愛対象ではなく、あくまで「可愛い~弟みたぁ~い」という部類だ。
異性であるのに本当にそっくりな双子なので、髪の長さと制服しか判別要素がない。
そして何故かこの二人、キャラ付けなのか何なのか、似非関西弁を話す。
時折京都弁のようなものも混じるので、本場の人に怒られないのか疑問だ。
学生の身分で関西に行く機会等、家族旅行か修学旅行位でしかそうそうないだろうが。
そんな異色の四人が、人気のない校内を連れ立って歩いている。
――正直、気にならないと言ったら嘘になる。
彼等はそのまま廊下を真っ直ぐ突き進むと、突き当たりで左に折れた。
向こうには理科室と家庭科室しかないが、基本的には施錠されているはずだ。
そもそも彼等の目的地が理科室だろうと家庭科室であろうとも、こんな時間に一体何の用事があるのか。
「……」
つい魔が差してしまい、彩美は四人の跡を付けた。
抜き足差し足で進み、柱の陰から彼等が向かったと思われる廊下の先を覗き見る。
突き当たりのそこには――誰もいなかった。
「え……?」
彩美は唖然として柱の陰から飛び出した。
理科室も家庭科室も電気は点いておらず、真っ暗だ。
ふらふらと無人の廊下を歩む。手を掛けた理科室の扉は、矢張施錠されていた。
廊下の突き当たりには、校舎を建立する際どこからか寄贈されたという鏡がある。
この学校は鏡が多い。
胸まで映せるサイズの鏡は各トイレや、校内全ての手洗い場の前にあり、姿見サイズの鏡は正面玄関と、一階、二階、三階の廊下の突き当たりにそれぞれ一枚ずつある。
その内の一枚が、今彩美の目の前にある姿見だ。
「私、疲れてるのかしら。それとも見間違い……?」
いや、あんな目立つ面子を見間違うなどあるはずがない。
考えられるとすれば窓から外へ出たか。
あるいは――。
「……鏡の中に吸い込まれたか」
自身の荒唐無稽な発言が空しく響き、彩美は苦笑と共に溜め息を吐いた。
己でも馬鹿馬鹿しくなったのだ。
「は、まさかね」
――その時。
鏡面に伸ばされていた彩美の腕を、鏡の中から飛び出して来た子供の両手がひっしと掴んだ。
彩美は悲鳴を上げる間もなく、鏡の中へと引き摺り込まれた。
水にそっと顔を付けたような感覚。
次いで、彩美の頭を過ったのは「鏡の中でも息が出来るんだ」だった。
「――初めましてだな。この世界の『
愉悦を含んだ、毒気のある笑みを浮かべる少女と目が合った。
黒い髪に白い肌。黒い上衣に白い袴。
その中で血のように赤い瞳が、爛々と輝いているのがやけに印象的だ。
「この世界で最後だ――待っていろ」
少女はそう捨て台詞を残し、彩美の腕を離した。
途端に少女の身体が深く深く沈んで行く傍ら、彼女の長い黒髪が最後まで名残惜しそうに
下に落ちて行った少女に反し、彩美の身体は真っ直ぐ進んで行く。
そうしてようやく、中履きの爪先が床に触れた。
水面を連想させる透明なそこに彩美が降り立つと、波紋が広がった。本当に水の上に立っているかのようだ。
「何ここ……」
彩美は、今自分が降りて来ただろう方向を振り向いた。扉も何も見当たらなかった。
仕方なしに先に進むと、前方に青と紫の姿が見えた。二人の正面に誰かいるようだが、彼等の背中に隠れてよく窺えない。
難原姉弟は彩美の存在を認めると、顔付きを険しいものへと変えた。
彩美は二人に声を掛けようと、口を開きかける。
「――動くな」
しかし聞き馴染みのない酷薄な声に制されたかと思うと、彩美の喉元にはナイフが添えられていた。
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