第34756世界 あるいは君がいる世界

第1話 日常は極彩色へ

第1話 日常は極彩色へ①

 朝からこの坂道を上がらなければいけないのが、一番の憂鬱だ。

 この町は矢鱈と坂道が多く、例に洩れず学校に辿り着くまでの道のりにも難所が幾つかある。


 最後の難所、三つ目の坂を若干上がった息で登っていると、軽快な足音と共に後ろから背中を叩かれた。



「おはよー彩美あやみ!」



「……朝から煩いわね。おはよう」



 クラスメイトの柳田やなぎだ 悠陽ゆうひ

 癖毛なのか、いつも短い髪を跳び跳ねさせている快活な少女である。

 高校に入学して二ヶ月。明るいお馬鹿キャラが定着してきた彼女は、クラスのムードメーカー的存在でもあった。


 何でそんな人生順風満帆そうな彼女が、一言で言って陰キャの彩美とこうして仲良くしようとするのかが理解出来ない。

 ただのお節介か、傍迷惑なヒロイズムか……まあ、どちらにせよ彩美にとってはどうでも良かった。悠陽とつるんでいるお陰で、クラスでは浮かずに済んでいる。使えるものは使うべきだ。


 その点に関しては、悠陽の存在を有り難いと思っていた。

 性格は全然合わないと感じているが、彼女の威を借りている部分があるため、彩美はその礼としてこうして彼女に付き合っているつもりだった。


 悠陽の話には様々な人物が出てくる。

 部活の友人、学校の先生、クラスメイト、親兄弟、近所の悪ガキ……上げた出したら切りがない程だ。

 彼女の話に相槌だけを打っていると、いつの間にか正面玄関に着いていた。

 ロッカーを開け、靴を履き替える。ローファーの先端をどこかに擦ったのか、買ったばかりのそれに白い筋が出来ていて少し落ち込んだ。



「でさ、英語のテストがさ……」



 ペラペラと、よくもそんなに話題が出るものだと呆れ半分で悠陽の話に耳を傾けていると、前方から男子生徒が歩いて来るのが見えた。

 ここの廊下は狭い。広がって歩いていると邪魔だろう。

 彩美は悠陽の斜め後ろに下がり、一列になった。


 男子生徒との距離が縮まり、彼の全貌が明らかになる。


 痩せぎすな体躯は、つついただけで折れてしまいそうだ。

 伏し目がちの瞳に、それを覆う長い睫毛。

 恐らく十二分に整った顔なのだろう



 ――しかしその全てを、彼の全身を覆う包帯が台無しにしていた。



 男子生徒は擦れ違い様、彩美を一瞥した。

 だが路傍の石の如く興味を失ったのか、彼は迷いない足取りで去って行く。

 そちらには職員室しかない。初めて見る顔であるから、転校生だろうか。

 それにしても変な時期の転校生だ。



「何か凄い見た目の奴だな。怪我かな? 痛そう」



 顔を歪める悠陽に、彩美は口では何も言わなかったものの「ふん」と鼻を鳴らした。

 他人の気持ちを、痛みを解ろうとする悠陽の気持ちは尊いと呼ばれるものだろう。


 ――彩美は、悠陽のこういう偽善者ぶった所が嫌いだ。








 一時間目の授業の準備をしていると、担任の桜井さくらい 明子あきこがやって来た。

 そこそこ若い割に野暮ったい格好の、黒縁眼鏡を掛けた地味な女性教師だ。そして、至って普通の善人でもある。

 彼女はクラスで少し浮いている彩美を気にしているのかまめに声を掛けてくるが、正直言って余計なお世話だ。



「おはようございます。まず始めに、長期入院でお休みしていた喜多見城きたみしろ君が今日より学校に復帰しますので、皆さんにご紹介しますね」



 明子に「どうぞ」と促され、二ヶ月遅れのクラスメイトが姿を現した。


 光の当たり具合で燃えるような赤にも見える頭髪、整った顔立ち。

 学ランから覗く手首は細く、背は低くないものの全体的に華奢な印象だ。

 頭髪と同じ色の瞳は冷めた色を宿していて、大人数の目に晒されていることなど、全くもって意に介していない。


 何より異様なのが――彼の全身、顔すら覆っている白色。

 露出しているのは頭髪の一部分、目、鼻、口、そして耳だけだ。

 あとは全て、包帯によって隠されている。



 ――そう。朝に玄関前で擦れ違った、あの男子生徒だ。



 彩美の動揺を他所に、明子が黒板に彼の名前を書いていく。

 明子の書く文字は平凡な見目に対してとても美しく、国語教師である彼女の板書は生徒達の間でも評判が良い。


 黒板を擦るチョーク音が途切れる。

 そこには流麗な筆致で『喜多見城きたみしろ くれない』と書かれていた。


門螺かどにし 彩美あやみ』という、比較的平凡な名前の己からすると、「祖先様は高貴な身分の出ですか?」と尋ねたくなる。

 ……いや、絶対に尋ねないが。そもそも興味がない。



「喜多見城 紅です。よろしくお願いします」



 明子に促され、紅が会釈した。

 見た目からは冷徹そうな印象を受けたのだが、意外にもはにかみながら告げられたそれに、クラスの女子生徒達が忽ちざわめき出した。

 それも当然だろう。見た目は奇怪だが、何せ顔は良い。



「じゃあ、喜多見城君の席はあそこね。皆も喜多見城君が何か困っていたら、助けてあげてね」



 喜多見城が指定された席に座る。廊下側の一番後ろだ。

 以降は普段通りのホームルームが始まり、変わり映えのしない一日が始まった。






 どうやら、紅は相当優秀な生徒らしい。

 彼は勉学も二ヶ月遅れのはずなのだが、そんなブランクなど感じさせない程に、教師に指名されれば躊躇うことなくすらすら答えていた。


 そして極めつけはこれだ。


 各授業の合間の十分休憩時、小説や漫画でありがちな「女子生徒に囲まれるイベント」が紅の席周辺で勃発した。

 しかし彼はその抜群な容姿をふんだんに用いて、プライベートな質問はほぼほぼ全て「分からないな」と「ゴメン、秘密なんだ」と眉を下げた笑顔で乗り切っていた。手慣れている。



「面白いよなぁ、あの新しく来た奴」



 昼休み。彩美の前の席に座る男子生徒から奪い取った椅子に腰掛け、悠陽が購買のメロンパンにかぶり付きながら言った。



「どこが?」



「ほら」



 ちょいちょいと指差す悠陽に釣られ彼女が指し示す方向に目を向けると、廊下で件の紅と、クラスは違えど学年での有名度は一、二を争う面子が顔を合わせて何事か話していた。



「あれどういう関係なんだろうな。そもそも、喜多見城は今日初めて学校に登校してきた訳じゃん? 他のクラスの奴等との接点なんてなくないか?」



「小、中が同じだったとか」



「喜多見城は知らないけど、他の奴等は皆別々の地区って聞いたような気がするけどなぁ……?」



 不思議そうに首を傾げる悠陽に、彩美は開封に失敗したサンドウィッチの包装を破りながら「知らないわよ」と吐き捨てた。

 彩美がようやくサンドウィッチを取り出した時には、紅の姿は廊下から消えていた。

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