第20話 ナナエ
失われた自分の過去を知りたい京極はラースの口から事の顛末が話されるのを待っていたが、休憩すると言ったきりその場を離れて帰って来ない彼女に少し苛立ちを覚えた。
「なあ」
早く知りたいという思いが募り、急かすようにレイブンに声をかけるが彼からの返事はない。レイブンは静かに消えかけの火を眺めている。京極は同じ日を眺め、宴が終わろうとしているのを感じ取った。
「直接聞いて来いよ」
ぽつりとレイブンが口にした。それはぶっきらぼうに突き放すような口調ではなく、京極が直接ラースに聞くべきだと伝えているようで、京極はその言葉に返事をすることなく、導かれるままにラースの元へと向かった。
彼女は砦の片隅から遠くの景色を眺めていた。城下に広がる街と緑豊かな自然が月明かりに照らされて何とか輪郭を保っている。ラースからすれば見慣れた景色でどこに何があるか想像するのが容易だが、京極にはその景色の記憶が無い。同じものを見ていてもその解像度は大きくかけ離れていた。
「私、ナナエと約束してたのよ」
京極がラースの横に並び同じ景色を眺めると、京極に促されるよりも先に彼女は語り始めた。
「どちらが勝っても恨みっこなしって」
京極は何の話か分からずラースに視線を移す。落ち着いたトーンで話す彼女の横顔には涙の跡があった。京極は理解する。彼女が魔王との戦いについて語るのを躊躇った理由を。
その戦いの最中、仲間のひとりだったナナエが魔王に殺されたのだ。これまで話していた過ぎ去った旅の美しい記憶とは異なる、消し去ることのできない悲しみがそこにはある。語るには相応の苦しみを受けることになる。
旅の記憶を持たない京極のため、ラースは気丈に振る舞いながら旅の話を進めていき、遂にその場面に辿り着いたところで我慢の限界が来た。それでもその旅が間違いではなかったと京極に示すため、涙を見せまいとしていたラース。
彼女の気高い精神を感じ取り、京極は黙ってラースの話を聞くことを決めて真剣な表情で彼女を見つめる。ラースはそんな京極の視線に気が付くと、苦しそうな笑顔を京極に向けて再び口を開いた。
「私とナナエは、ノリトの事が好きだったの」
京極は驚きはしたがそれを表情には出さなかった。彼女の言うノリトが自分であるならば、彼女がそれをこの場で告白した意味を理解しなければならない。だから京極はただ彼女を黙って見つめていた。
「旅をしながらノリトに惹かれていく自分に気付いた。でも必死に隠してたわ」
それは何故か。
「だって私よりも先に、ナナエがノリトを愛してたから」
ノリトはこの世界に来てからすぐにナナエと出会っている。勇者として旅をする前からナナエはノリトに惹かれていたのだろう。
「だけど彼女はそれに気付いて、それでも私を友達だと言ってくれた」
本来であれば王女と村娘というふたりの関係。しかし彼女たちは親友になった。その関係は同じ人を好きになっても変わることがなかったのだ。
「それで、どっちが勝っても恨みっこなしって彼女は笑ってた。もし戦いの中でどちらかが死んでも、気を遣って引いたりしちゃダメだって」
その結果、ナナエは死んでラースが生き残った。
「でもっ……!」
ラースは言葉に詰まった。目を見開いて、瞳に溜まった涙の粒を流さないように堪えている。今にも泣きだしてしまいそうな彼女の表情に京極はどうすることもできないもどかしさを感じつつも、彼女の思いを聞いて受け止める必要があると感じていた。
「本当はあの時死ぬのは私だったの!」
言葉と共に感情が溢れ出し、彼女は涙を流しながら震える声で叫んだ。その美しい声は秋の澄んだ夜空に広がっていく。恐らく少し離れたレイブンの耳にも届いていることだろう。
「あの時は私が狙われて……。それなのに、ナナエが……、私を庇って……!」
何度も言葉に詰まりながらラースはその時を回顧した。仲間のひとりであるナナエの死の真相を聞き、京極は言葉を失う。
「次の瞬間にはナナエの頭が無かった……。私は何が起きたかわからなくて……、泣きながら名前を呼ぶしかできなくて……!」
首狩り。この世界で魔人と呼ばれ恐れられるブレインズが行う凶行。京極はその行為が何を意味するか察してしまっていた。知りたくもなかった世界の秘密。ブレインズの脳がどこからやって来るのか。
ブレインズはこの世界で人間の脳を確保し、ノストラで生まれるブレインズの生体パーツとして流用している。
しかし、今の京極はそんな事を考えていられるほど冷静ではなかった。ラースが目の前で泣いているのだ。本当であれば今すぐ抱きしめてやりたい。だが、それを自分がするべきなのか分からなかった。何故なら、京極ノリトは勇者ノリトなのだから。
「ナナエが私の代わりになった事は私たち以外知らない……。私への非難を避けるためにそうするべきだって言われて……」
秘密にしたことで彼女の中で罪悪感が膨れ上がっていった。王政や貴族主義を維持するために、影響力の大きい魔王との決戦での情報統制は必須だったのだろう。
「私はナナエの家族に顔の無い遺体を渡して……、それでどうして普通に生きているのかって……!!なんで死んだのが私じゃないんだって!!」
ついにラースは泣き崩れた。昼に見た王女としての威厳のある姿ではない。彼女はただのひとりの19歳の少女なのだ。
結局京極は何もできなかった。ラースは御付きのアシュリーに肩を抱かれて砦の中へと消えていった。取り残された京極は、砦から見下ろした夜の景色をはっきりと見えるようになっていた。
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