第18話 星空

「そろそろか」


 地下牢に捕らわれてやることがなくなったふたりは少し話をした後、一眠りした。窓の無いその場所で時間の経過を知るのは難しいが、獣人であるレイブンは野生の勘からか、起き上がるとすぐに動き出した。


「ノリト、起きろよ」


 円形の炎を自在に操るレイブンは手錠を燃やして破壊し、同様に牢の鍵も溶かして外に出た。そのまま京極の牢屋の前で地べたに腰掛ける青年に声をかけた。


「出ていいのか?」


 今の今まで大人しく捕まっていたのに突然脱獄を実行するレイブンに戸惑いを見せるが、京極としてもこの場に長居する理由はない。京極は単純な腕力で手錠を引きちぎり、牢の扉を軽く蹴破って外に出た。


「良いわけねえだろ」

「……」


 レイブンが少しも悪びれずに言うものだから京極は呆れて黙ってしまった。


「でもまあ、呼ばれてっからな」

「誰に……?」


 王都の危険人物とみなされ王女の命令で投獄されたふたりを脱獄させてまで呼び出す人物とはいったい誰なのか、京極が恐る恐る尋ねるとレイブンは不敵にニヤリと振り向いて答えた。


「肉」

「にく……?」

「ああそうだ!この匂いは間違いない、今日のメシは肉だ!!」

「何を言ってんだ?臭いなんて――」

「獣人の鼻を舐めるなよノリト。これは西の砦で焼いてる炭と肉の匂いだ。つまりラースが俺たちを呼んでんだよ」

「匂いもつながりもわからん」

 

 謎の自信に満ち溢れているレイブンに疑問を感じながらも、京極は仕方なくついて行くことを決めて部屋の外へと歩き出した。


「ユニも行く~」

 

 京極が扉を壊した音で目が覚めたのか、ひとりだけやたらグレードの高い牢に入れられてからもずっと寝ていたユニが眠たい目を擦りながら立ち上がった。


「開けてよレイ~」


 ユニは鉄格子の扉の前まで行くとレイブンに助けを求めた。彼女の力では京極の様に力づくで破壊して外に出ることは難しいだろう。しかし、レイブンは彼女を助けようとはしなかった。


「お前んとこは鍵かかってねえよ」

「ほんとだ」


 レイブンが言うようにユニの牢は鍵がかかっておらず、少し力を入れれば簡単に開いた。ユニは嬉しそうに外に飛び出し、ふたりの後を追って小さな歩幅で走り出す。京極はあまりの扱いの差に呆然とし、レイブンは後ろを軽く振り返りユニが来たのを確認して、地下牢を後にした。


「疲れた。おんぶして」

「だとよ」


 ユニの子供のようなわがままをレイブンは京極へと受け渡した。


「俺が……!?」


 京極は動揺した。こんな小さな子に触れて、怪我をさせてしまわないか。自分のようなものが神聖なこの生き物に触れても良いのか。子供というものに触れあった記憶の無い京極にとってユニは絶滅危惧種の天然記念物と同等の存在。どのように対応するべきかの緊急時マニュアルが京極の頭の中には無い。


「レイ~」

「ノリト、おぶってやれよ」


 レイブンは自分の足を引っ張って懇願するユニを気にせず進みながら京極に使命を託す。どうしてもレイブンはやりたくないらしい。


「わ、分かった」


 京極は意を決してその場にしゃがみ、前を歩くユニに背を向けて迎え入れる準備を整えた。ユニは困ったように京極とレイブンの顔を交互に何度も見ている。レイブンはそんなユニの様子を楽しそうに眺めた後、行けよ、と声をかけた。


 そして、京極はユニの幸せそうな笑顔を見た。それはノストラで少女の姿を初めて見た時と同じ笑顔だった。


「ありがと」


 京極の耳の横で、小鳥の囀りのような小さな囁きが聞こえた。恥ずかしさと嬉しさの混じったその声は、京極がこれまでユニに抱いていた印象とは少しだけ違う気がした。


 ところがレイブンと京極が廊下を進んでいるとすぐに寝息が聞こえて来て、今日会ったばかりだけどもこれがいつものユニだな、と京極はひとりで納得していた。


 その後もユニを起こさないようゆっくりと歩き続ける。京極は全てが初体験のためキョロキョロと周りを見回しているが、レイブンは通いなれた道を通るように迷いなく地下通路を進み続ける。


 三人は地下牢へと送られた道をそのまま戻るのではなく、更に奥に進んでから抜け道のような場所を通った。しばらく行ったところで階段を上りまた進む。その道中でレイブンがひとつの注意を京極へ与えた。


「とにかく堂々としてろ。そうしときゃ問題ねえ」


 その言葉通り、廊下で人の良さそうな老人とすれ違ったが難なく素通りできた。


「おや、もう出て来たのかレイブン」

「見りゃ分かんだろ」

「ノリト君は久しぶりだね」

「どうも」

「こんばんは、ユニ様」

「うみゃうみゃ……」


 堂々と歩いていたことで脱獄だとは思われなかったのか、騒ぎになることなく目的地へと辿り着くことができた。そこは西の砦の屋上。外は暗くなっていて、見上げた空には無数の星が輝いていた。


「こんなに、空が……」


 京極にとってはこれもまた初めての体験だった。ノストラの空は厚い雲と塵に覆われている。世界は地下に広がっていて空は人類を閉じ込める狭い檻のようだった。それがこの世界では違うのだと京極は心が躍った。


「遅かったじゃない」


 空ばかり見ていた京極を現実に引き戻すように、美しい声が聞こえた。その言葉はレイブンが先刻口にしたものへの当てつけの様で、怒りっぽく口にした本人は冗談だと分かるようすぐに表情を柔らかくした。


「よく来たわね、ノリト」


 牢でレイブンが言ったように、そこで京極を迎えたのは投獄の命を下したラースだった。それに後ろには火と食事の用意もある。レイブンは京極と異なり驚いた様子もなく、木箱を利用した簡易的な椅子に腰かけて涎を垂らす。


「まだ肉は残ってんだろうな!」

「言ったでしょ。遅かった、って」

「ぶっ殺す!!」


 王女にそんな口を利いてはいけない。

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