第4話 与太話

「赤平さ――」


 集会室から通路へと流れ出る人の群れの中で、後方に位置する京極は近くにいた先輩へと言葉をかけたが、それよりも少しだけ早く赤平に話しかけた者によって、その声はかき消された。


「あーかーひーらー君っ!」

「久しぶりだな伊達ェ!」


 現れたのは長身の伊達男だった。スーツを着こなすスタイルの良さは、ガタイの良い赤平とは対照的。容姿も男らしい見た目の赤平とは異なり、中性的で美しい顔立ちをしていた。


 ふたりは旧知の仲である。ではあるが、決して仲が良いわけではない。今現在もハイタッチから互いの手を握り合っているように見えるが、実際は手四つからの力比べをしているだけであり、このふたりは昔から何かと競い合って来た仲なのだ。


「どうやらハッキリしたな!私の方が優秀だという事が!!」

「訓練兵時代から何かと突っかかってきやがって!俺の方が優秀だろうが!!」

「分からないのか?私がA班でお前がB班!つまり私の方が上ッ!!」

「俺はお前より優秀だから若手のホープの指導を任されてんだよ!!」

「実力が足りないから第一線を外されたんじゃな~い?」

「大事なホープだから大事に育ててんの!!」

「あちゃ~。もう後輩に未来を託す歳か……。老けたね、赤平君」

「同い年だろうが!」


 声を上げるたびパワーバランスの変わる力比べを呆れた様子で眺める京極ではあったが、自分の事を若手のホープと呼ばれ、満更でもなかった。


「京極訓練兵」


 人影の減った部屋の中で、京極は背後から呼びかけられた。振り返るまでもなく相手が分かり、緊張が走る。何かやらかしただろうか、と考えながら京極は声の主へと向き直った。


「何でしょうか、白老警備部長」


 背後ではまだふたりの大人が幼稚な言い争いをしている。


「先ほどから気になっていた」


 白老はまっすぐ京極の目を見つめている。京極の目には薄いピンク色の唇が動くのがゆっくり見えた。耳に入る言葉を脳内で反芻する。『先ほどから気になっていた』。言葉の意味を理解するより早く、白老が動いた。


 一歩踏み出した白老は、京極のパーソナルスペースの内側へと侵入する。その距離わずか20cm。抱きしめられるほどの距離に踏み込んだ白老を見下ろす形になった京極は思わず背筋を正した。


 その瞬間、鼻孔を擽るほのかなシャンプーの香りを感じ、目を見開く。その香りが目の前の女性の艶やかな亜麻色の人工毛髪から発せられていることは明白だった。洗髪はブレインズの必須事項ではないが、清潔感を保つ上では推奨されている。


 京極は、もう一度確かめるように鼻から大きく息を吸った。良い匂いだった。中毒性のあるその匂いを三度噛みしめたかったが、己を客観的に見た際の変態性の高さとえも言えぬ罪悪感を感じ断念した。


 そして、京極は混乱していた。今まで感じた事の無い興奮と、抑えきれない衝動。いつもの自分であれば、2度目の吸引を必要としなかったはず。それなのに何故……。京極は自分自身の事が初めて分からなくなった。


 これだけ思考が巡っているのに、時間は一向に進まない。一瞬が永遠のように感じられる世界で、京極は視線を白老から外すことができない。青年の胸元へとその小さな頭を近づける白老。固まる京極。言い争うオジサン。時間はゆっくりと流れる。


「よし、できたぞ」


 白老は京極のそばを離れると、自らの腰に手を当てた。彼女の視線の先には、京極の首元で綺麗に結ばれたネクタイ。白老は、乱雑に結ばれていた京極のネクタイが気になっていて、どうしても式典の前に正したかったのだ。


「け……」

「どうした?」


 京極の譫言のような言葉にならない言葉に白老が聞き直す。視線を外すことができず白老を見つめる京極を白老はまっすぐに見つめ返す。決してぶれない意志の強さを持つ、彼女らしい態度。それに対し京極は、自分の意思すら制御できずに本能のままに唇を動かした。


「けっ…こんして……くださ…い……?」


 京極自身が驚きながら口にしたそれは、プロポーズの言葉だった。

 

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