第47話 天井を見上げた刃 2


 細いチューブの中に液体が通っていた―――気泡のかけらは見当たらない。

 それがまだ人を見上げることしかできない乳児、霧崎わかちの静脈へと吸い込まれていく―――。

 


 彼女のいる、この寝室にあるのは、家電製品よりもスペースを占領している計器類。

 銀色の案山子のような器具、複数のパックに満たされてる液体が吊り下がる。

 それらを見て、母親は歯を見せ笑う。

 笑みを崩さず―――得意満面の表情である。


「ねえ、ママ―――ア■■■■ミン追加」


「まだ少しずつでいいわ―――これからの人生、とても長いのだからね、パパ」


「まだ微量だから気は抜けない―――けれどもう耐性はついてきているね―――メ■■ルブ」


 二人は互いを見つめ合いながら、確認し合っている。

 彼女の両親は双方、常人とはかけ離れた医学薬学の知識を持っているが、ここでそれを堂々と誇示するような意図はない。

 互いを見つめ合ってはいるが、互いを思いやってはいない。

 これらの行動の目的、目標地点はひとつ―――我が子の将来そのものである。



 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



 そのふたりを見上げている者がいた。

 霧崎わかち、生後四カ月である。

 まだ何も為し得ないちいさな手足を、天井に伸ばしている―――。

 

 ――わたしの他にも、動くものがある。

 ふたりいる、ふたり、おおきな存在、おおきな人間。

 この人間は何なのだろう―――。

 自分に向かって妙に高い声をかけていた。

 それが若干、無理して出しているということはわかる。


「ねぇ、パパ―――私、最近知ったのだけれど、世間には、毒親という言葉があるようね」


「なんだママ―――そんなことも知らなかったのかい、たまに聞くよね、どうもそれは子供にとって、害となる———そんな両親のことを指すんだっけか」


「そおうなのよォ」


「ひどい親もいるもんだねェ―――毒親。 ならばさしずめ、僕たちみたいな親は薬親くすりおやというべきかな?」


「あら、そうね―――だって私たち、可愛い娘のために毎日『お薬』をあげているんですもの―――あ、ベータツー・■■■■トよ、パパ。一週間前と同量を」


「薬親———良い響きだねママ、ひとつの理想形なんじゃあないのかい?」


 わたしが見上げたこの『世界』は。

 これから待ち受ける世界は、わたしに何をさせるのだろう。

 これから待ち受ける世界は。

 

 沢山の道具―――つり下がっている道具。

 赤い液体、茶色の液体。

 

 それと何色、だろう―――色んな線が刻んであって、何の意味があるのかわからない。

 わたしと関係がある、わたしの身体に関係している。


 彼女の人生は始まったばかりである。

 それらをただ見上げている。

 才走さいばしる赤子であったが―――自分の置かれた状況に違和感を感じつつも、という感覚も捨てきれない。

 比較対象を知らないのだ。

 この室内せかいは、自分一人だ。


 これらの処置は。

 明日に、必要なことなのだろうか―――本当に?


 幼いわかちは、また二人を見上げる。

 まだ自分の名前すら何なのかおぼつかない新生児は考えていた。

 自分をのぞき込んでくるふたつ、のぞき込んでくる顔面がふたつ。


 何故輝くような表情を浮かべるのだろう、と。

 なぜ新しい、幼い自分を笑っている。

 意図がわからないので妙な感じ―――印象としては気持ち悪かった。


 彼女はそう思っていた。

 その大きな人たちが自分の両親であることまで、思考が至らない。


 この室内せかいは、自分一人だ。

 それが彼女の認識である―――あまりにも狭い考え方は新生児としてのエゴである。

 そして真実になるのかもしれなかった。


 いつの日になるかはわからないが、自分に起こる調により、この身体は限界を迎え、この室内で生涯を終える。

 幼い彼女はしかし、その可能性が高いということに思い至っていた。

 自分の身体のことは自分が一番わかっている。

 万全には程遠い。


 視界が彩雲に覆われるようにぼやけている。

 かと思えば、視界がぱっと開けて、二人の唇の動きをすべて見取ることもできた。

 自分の視界すら不安定だ。


「これが、霧崎わかちの映像で―――合っているかね?」


 新しい男の声が響いたが、それがこの家族の耳に入ることはない。

 姿も見えぬ、神の声である。



【※この物語はフィクションです。薬品の服用や投与に関しては医師や薬剤師の指示に従いましょう】

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