第46話 天井を見上げた刃


 霧崎わかちは、自分の部屋のドアを閉めた。

 ベッドを見下ろしている―――静かだ。下の階では祖父と祖母が、もう眠っているだろう、いつもそうだった。


 クラスメイトと長話など、久しぶりだ―――今日は全く持って珍しい行動パターンだった。

 鈴蘭かすみ。

 嘘のように明るいクラスメイト。善良で、悪意などない人に思える。

 そう生きようと勤めているのだろう。

 だからこそ、避けたい―――私と会っても何らメリットなどないだろうに。


 鈴蘭かすみは、そういう性質の人間なのだろう。

 女神に目をつけられた自分からすると、遠い―――遠い存在だ。

 生きるか死ぬか。

 そうだ、人はあっさりと死ぬ。

 死ぬときは死ぬ―――転生と関わってしまっては、なおさらだ。


 ならばあの、周囲に笑顔を振りまく行為に意味などあるのだろうか?

 彼女の周囲で悲しみが増えるだけ、という心境が大きい。

 

 黒瀬カゲヒサ。

 黒瀬は、彼女の、あの笑顔にやられたのだろうか?

 男子として―――そういった感情で。

 どうも、それは違う気がする―――との思いは霧崎の中にあったが、真実は知れない。

 どちらにせよ、話せてよかった―――距離を置きたい。

 ある程度の間合いがないと殺しかねない。


 発言する機会がなかったことだが、黒瀬を評価してもいた。

 自分の予想以上のスピードで移動することが出来て、間合いに入ってくる……入りかねない存在。

 なるほど女神も血眼で追いかけるはずだ。

 あんな男子がいたとは、予想外である。

 

 布団をずらして、横になる。

 ベッド脇の台に眼鏡を置く。

 おいたすぐ横にラムネの包装を想わせる銀紙がころがっていて、破れがあった。

 今日、服用した薬である。

 日常であるそれらを視界のはしに捉えつつ、照明のリモコンを切る。

 

 


 暗闇のなかで、最近あった色出来事を思い出す―――思いだしてしまう。

 鈴蘭さんのあの笑顔。

 それを眺めて、別に何も感じない自分。

 黒瀬―――あの、飛びまわって女神から逃げる……サーカスの……やってる人の動き。

 最近見た、配信者———女神についてあることないことを語るシロウト達。

 異世界転生を宣言する、度はずれに眩しく輝く、女神たち。


 闇夜でも、街灯の灯りで視界はまだ生きていた。

 見ている部屋の輪郭、天井が少しづつぼやけて―――りガラス越しのように失われていく。




 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 知っている天井だった。

 シミがない、真新しい天井であり、つい最近製品として出来上がったとでも言いたげな輝きだ。

 新しく建てられたばかりの住居、その一室である。

 そして、知っている部屋でもある。


 クマのキャラクターがぶら下がって、カランカランと玩具の鐘の音を鳴らす。

 クマは瞳や、ツメや、全てが丸い。

 ピ―――、ピ―――。

 時計のように定感覚な電子音がつづいている。

 熊はプラスチック製で、空虚な笑顔を貼り付け、目の前で揺れていた。


 自分の目の前で揺れていた。

 自分?……自分は、私は誰だろう。



 その時だ。眩しい笑顔を作った男が、視界横から画面横から、すすッと出てきた。

 おおきな人間。


「やあ、わかちちゃん、パパでちゅよー」


「同じく、ママでちゅよお」


 もう一つ、同じような表情が出てきた。

 二人目の方は、わたしと似ていた、そう見えた。

 その二人は左右から手に持ったものを鳴らす。

 クマではないが、丸みを帯びて原型が不明な動物が描かれていた。

 空き缶に石を詰め込んであるような音が、部屋を満たしていく。

 耳障りだとは、思わなかった―――ただ、なんの目的の音なのか疑問だった。

 

 私はただ黙って見ている―――口元の涎の感触を感じていた。

 全身が汗ばんでいることを感じる。

 いや、肌が瑞々しいのである――汗が多い。


 私は今この時、新しい――その新しさに、どうしようもない。

 このベッドの上から、動けない。

 それが自然のように思えた、そういう生き物なのだ。


「おお……、動くぞお、起きれるかい?」


「パパ、気が早いわよ。なにを言っているの、もぉう!」


「そうだね、ママ。でもわかちちゃんには大きくなってもらわないと困るんだよ」


 女の方はニマニマと笑う。


「あらパパ、大きくなんてならなくてもいいのよ、この子が本当に、元気でいて、大きくなってくれればいいの―――あっ、大人になったら、でいいわよ?」


「そうだね、ママ!  元気な元気なわかちちゃん、これからも、誰よりも元気なわかちちゃんでいてね!」


 二人は私の瞳をのぞき込みながら、すこしばかり静かになった。

 ビッ、と違う種類の音。

 電子音が鳴り、二人は視線を外にやった。


「ママ数値は変わらないよ……血中濃度は増えていない」


「今日も平気そうね……ボク■■■ールお願い、引き続き、10ミリグラムずつ増やすわ、パパ」


「ああ、もうやっているよ」


 私はその、低い声になった二人をぼんやりと眺めている。

 視界がやや霞む、摺りガラス越しの見え方のようで―――これは、夢の中にいるみたいだ。

 ならば寝返りでも打とうと、思うよりも前に身体が動いた。

 しかし――下半身―――脚がグイっと何かに引っ張られた。

 動けない、つまり気持ちが悪い。


 のぞき込む二人に比べてまだ小さな私は、それでも片方の脚を持ち上げることは出来るようで。

 見れば私の新しく柔らかそうな脚に、細い銀色の金属が、刺さっていた。

 そこから何かスケルトン質の縄のようなものが伸びていて―――邪魔だ、動け―――願う私。

 私の精一杯の駄々の影響で、クマが少し揺れた。


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