第36話 楽しみは後に


 女神の白衣、背中が開けている。

 その白い肌が、いや肌どころではないが―――負傷している。

 光を出血している―――という言い方はおかしいが、神の身体―――神体はそうなっていた。

 そんな光景に息を呑む黒瀬だった―――負傷すらも驚きを与えるとは。

 

 霧崎の方を見ているケーオ。

 いつ何時なんどき、振り返るかわからないが、こっちも必死である。


 女神が気を取られていたのは幸いだった。

 その炎上髪を見下ろす位置にいる―――俺はワイヤーを張り、滑空するようにそこに向かう―――ケーオの背後。

 炎上髪が手を、霧崎の方に伸ばしていた。


 未だガードレールをコンクリに引き摺る少女の横に、虹色の裂け目が出現した。

 奴らの、異世界転生のゲートだ。

 危ないか……クラスメイト!


 霧崎は無傷のようである。

 だが―――次の瞬間どうなるかわからない。

 健康は幸いだったが、神を敵に回して、優位とは言い切れない。


 驚きからの不機嫌を歯噛みで殺しつつ、黒瀬は風を切っていく。

 開いていた背中の白い肌を、遠慮なく蹴り飛ばした。

 全体重をぶち当てた、というような力の込め方だった。


「がっ……!」


 クラスメイト、霧崎との交戦?の最中だったケーオは、たまらず吹っ飛ぶ。





 ただ、ケーオがその、自ら発生させた墓穴に落ちはしなかった。

 黒瀬の背後からの奇襲。

 それで例によって転生ゲートに落ちるほど容易くなかった。

 

 亜空間への穴に退避する、一歩手前で踏みとどまっている。

 自分がそこに飛び込めば現在の危機から脱出できる―――が。

 先ほど傷つけられた肩口から、光が漏れている―――出血の如き激痛が走るが、人間側にはそれが伝わらない。

 ただ人外の構造を持っていることだけが、黒瀬にもわかり、内心たじろいている。

 黒瀬はまだ、女神のことを厄介な存在だと思っている。


「くっ、この……! なんだ、なんでこんな」


 女神もまた同様でもある。

 役目は果たさなければならない。

 異世界転生が目的であり、特に転生させるべき、絶対の対象も存在する。


 神々の独り天下がまだ続いていると思いたいケーオ、信じたいケーオ。

 足を止めている―――動けない。

 いや、今まであまりにも慣れていないことであるから、不自然さを感じているのである。

 退却の出口は、手で触れるような距離にあるのに。

 ここで神としてのプライドか、それが湧いているのか?


 頭ではわかっている―――二対一、追い詰められたならまだ出直せばいいと。

 しかし身体が動かない、拒否する。

 こんな人間が、人間たちが―――いるなんて。

 人間にしてやられる、神だなんて。


 黒瀬カゲヒサの性質は知っているが、これは一体、もう一人は。

 ……せめて、この謎の少女の情報をもう少し得てから……だ。

 それから退却をしたいところである。


 空中の黒瀬カゲヒサ―――当初の目標に目を奪われた一瞬だった。

 ザ、と喉下の衝撃を受けて、視界が振動する。

 飛んだのは意識である―――これは間違いない。


 ガードレールに反射した夕陽が、煌めいた。

 それを振り切った霧崎が、ブレて見える。

 霧崎の目の色は前髪に隠れ、窺えない。

 



 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 宙を跳んだケーオの首を、黒瀬は見上げていた。

 飛んでいる……唖然とする。

 やったのは霧崎だ―――ガードレールを振り切っていた。

 首無し胴体の前で。



 トラック上の天板にがん、と物のように落ちた。

 金属板にぶつけると、大きな音が出るのは天国製(?)トラックも一緒らしい。

 だっ、ばさ、と、髪量の所為だろうか、思いのほか複雑な音を奏でた。


 落下した神の首は。

 口を開いていて、そこからは出血をしていない。

 首が、トラック天板に密着し、そこからは染みるように光が漏れていた。

 き、切れている―――我がクラスメイトが、あんな小柄で、ブチ切れて切ったのか。


「おい」


 と、ケーオが呼びかけた。

 ケーオの生首が。


 黒瀬は内心たじろぐ―――そして驚かないように努力する。

 首を飛ばされても、なお……!

 この瞬間までは内心、どこかで自分たち人間と共通の心理というか、共通点があると思いたかった。

 信じていた自分がいるらしい。

 だが、いよいよ人間じゃないな―――骨の髄まで理解した。


「おい少年・黒瀬———次———次は覚悟しとけよ」


「……え」


 ぱっちりと開いた瞳に映るアジア顔少年……え?俺?

 俺の方なの、今回のこと。

 じとりと、睨んだまま動かない生首。

 いや、動けないのだ、と静かに理解してから、黒瀬は気を取り直す。


「は……っ、別にいいぜ」


 まだ、やる気なのか―――。

 流石に次回以降ってことらしいが(首になってしまっては)

 やれるもんならやってみろ。


呪詛じゅそババア―――間違えた、クソババア。 異世界転生だか何だか知らないが、俺のスタンスは今までと変わらないぜ」


 そっちがその気なら全面戦争だ―――いや、逃げ切って躱し切ってエンドだ。

 もとより、一方的に追跡されていたわけだし。

 平和、和平はありえないと感じる。

 力いっぱい笑んでみる黒瀬———いずれ死ぬかもしれないが、今さらである。

 

 下手したてに出る気はない。

 最悪なのは下手に出た挙句、いろいろご機嫌を取った挙句、殺されることだ。

 人と神とは、相いれない。

 ケーオは首のまま睨み続ける―――首断面から光が漏れていく―――どういう仕組み何だ、構造なんだ。

 そして、まだ唇は動くらしい。


「転生が怖いか、少年・黒瀬、アタシも、協会……神全体も、やめることはェ……! 出来ねえ」


 あの世に行け、と睨む。


「悪くねえぞ―――異世界むこうは。 いいぞ―――満足して生活を楽しんでる人間は山ほどいる……それとも、」


 神が憎いか?と問いかけるケーオ。

 当たり前だ、と言いかけた黒瀬。


「憎い……? って言うのもあるが、お前らがババアで、俺がロリコンだからだよ」


 お前らとマトモな会話などしてたまるか。

 ババアの生首を足の中腹で蹴る、インサイド・キックだ。

 適当なやり取りで締めくくりたい。

 そのまま放物線を描き、足掻あがいた女神は飛んでいく。

 奴らに退く気はないようだし。

 自分が退くには、理由がない―――隠れ潜むのみだ、忍者は。


「楽しみが増えたぜ……次こそは必ず―――


 言いかけながらゲートの水面に消えていって、聞こえなくなる―――楽しみは後にとっておくタイプらしい。

 

 これで半分。半分とは言えないかもしれないが、もう半身を見やる。

 女神の身体は、光に溶けて煙をあげていた。

 霧崎も見つめるなか、消えていく。

 


 視線に気がついた霧崎が、黒瀬を振り返った。

 黒瀬は息をつき、トラックの上からクラスメイトを眺めた。

 睨まないように、いや、おっかなびっくりである。


 と、ここで足元から光が立ちのぼる。

 トラックが消え始めた―――黒瀬は慌てて地面に飛び降りて、たたらを踏んだ―――激闘であったからコンクリート片くらいは落ちている。

 その隣で夕陽を受け、首元の長さの髪が艶めいていた。

 女はすまし顔、夕焼けが照らしている。


 戦いは、終わった―――今日のところは。

 連中に対して、下手したてに出る気はない。

 こちとら、を見つけたよう、だし……たぶん。

 そして神との関係性はまだ続くらしい、新たな関係性の女も、生まれたようだが。

 味方、だよな……?

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