第31話 霧崎わかち 2


 コンクリート質のアパート跡だろうか。

 その外壁角を、足場として斜め着地していた黒瀬だった。

 

 無機質な、ざらついた表面に足をかけて、黒瀬は夕焼けを全身に浴びていた。

 外壁を足場とする彼も、神と大差ないかもしれなった―――理外の存在。

 そんな彼は足場より下のクラスメイトに向けて、言う。

 

「逃げて! 逃げろよっ?俺が引き付けるから!」


 黒瀬からの視界は、眩しくて悪い。

 ちょうど敵の炎と同色である―――、トラック炎が見えにくい空の色となっていた。

 内心、それが焦りになりもした黒瀬であった。

 燃え盛るトラックを相手取るという、意味不明な出来事にも辟易し続けている。

 


 兎に角、ひとまず、あのクラスメイトである。

 困っているような表情の彼女は、頭を打って錯乱しているのかもしれない。

 

 もういい。言っては悪いが、一般の女子に女神の相手をさせるわけにはいかない、まともに逃げることすらできないようだ。

 ……言っては悪いから、言わなくてもいいやと思う黒瀬である。あの歩いている女子———から視線を切る。


 黒瀬のそんな内心———。

 黒瀬ですら、自分が全力で逃げ回っても女神を相手に必勝は在り得ないと思っている。

 神への反逆だ、もとより生き残れると信じ切ってはいない。

 そのあたりが人間の限界ってやつだろう、というのが言えない本心。


 二台のトラックが走ってくる―――女神は黒瀬以外も巻き込む考えだろうか。

 黒瀬は風を切りつつ、それを乗り越えた。

 トラックの天板面を飛んで越えたと言ってもいいが―――すれ違うことで攻撃の回避をする。

 その熱波につま先を浮かす。


 制服が発火するかもしれない、なんて心配をすることは初めての経験である。

 人外との交戦自体は、訓練を遡れば確かにあった令和忍者であるが、それは番犬などを想定した訓練だった。



 黒瀬が幼少期から受けていた訓練。

 ―――黒瀬の認識では習い事としての「空手のついで」「空手の延長」としてそれはあった。

 今でこそワイヤー技術を多用する黒瀬だが、それは身に付けたものの一つでしかない。

 当然のように爆発物の取り扱いについてのカリキュラムが含まれていたし、それも小学生の習い事の延長線として信じ込まされた黒瀬、いや、カゲヒサである。

 黒瀬の父が元凶である。


 訓練知識、そのどれもが、将来的に父親と同じ職を想定したもので、つまりは対人の諜報活動で。

 神は関係ない。

 そもそもにストレスを感じるのは、この、異世界転生をするためにやってきたという女どもが本当に神なのか?という疑問である。

 

 神の存在を考えたことはある、予想したことはある。

 仏教など、宗教を否定はしない感覚もある。 心奪われるほどにのめり込んだ覚えはないが。

 でもこれは違う―――思っていたのとは違う。

 トラックとともに現れて、違う世界へ連れて行く―――という、意味の分からなさ。

 この世界のどの神学者が、それを予期していたといえるのだろう、そんなものを?


 今、その神界からの兵器とでもいうべきトラックとすれ違い。

 銀鉄の車両が足元ですさまじい轟音を立てた時には肝を冷やした。


「……!」


 空気を伝わる衝撃に背が押される。

 弾ける火花———爆発か?

 炎からの―――爆発!だったか、ケーオの狙いは。

 もはや神のやることに何があってもおかしくはない、条件反射的に身をよじる。ーーー電柱の上に着地する。


 しかし今回、黒瀬の予想は外れた。

 トラックは轟音立てたまま黒瀬から右逸れして、電柱に向かいカーブしていった。

 衝突で揺れる電線も、熱波で消耗していたのだろう、すぐに切れ落ちた。


 女神の奇策の臭いを嗅ぎ取った黒瀬は炎上髪を見やる。

 ケーオはトラックを見つめて硬直していた。

 なんだその顔は―――何があったのか一向にわからない黒瀬。

 どうせロクでもないことを企んでいるのだろう。

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