第3話

 言い返そうとして、押し黙ってしまう。自分の中にある常識は、誰かの受け売りもあれば、勝手に常識だと思い込んでいるものもある。

 世界に無数にある常識と呼ばれるものを、自分の好きなように選んでいる時点で、他の人の選ぶ常識と差異が生じる。


「君の中の常識と合致する常識が、この世界にあるとは思えない」

「私の夢なのに?」

「ここが君の夢? まさか!」


 ペルシャ猫が甲高い笑い声をあげる。

 いつの間にか、川岸まで来ていた。甘い香りのする白色の川は、ところどころに置かれたチョコチップの岩にぶつかっては、白波をあげている。


「これ、どうやって渡れば良いの? チョコの岩の上を跳ぶの?」


 間隔的に跳べないことはないが、足を滑らせれば流れに飲まれてしまいそうだ。


「普通に歩いて渡れば良いじゃないか」

「そんなに深くない川なの?」

「さあ? 深さは誰も気にしたことがないからね。でも、浅くはないと思うよ」

「こんなに流れが速いのに、歩いて渡るなんて無理!」

「流れの速さも深さも、何の関係があるんだい? まあ、多少今日の川は荒れてるから、気を付けて歩かないと転ぶかもしれないけどね」

「転ぶどころじゃすまないでしょ?」

「君は何を言っているんだい?」

「あなたこそ何を言ってるのよ!」


 平行線の会話に、ペルシャ猫が不愉快そうに鼻を鳴らすと、目を細めた。


「君は、この場所が自分の夢の中だと思っているから、君の中にある常識を当てはめようとする。でもここは君の夢の世界じゃないから、君の尺度で物は測れない」

「どういうことなの?」

「そのままの意味だ。ここは、アリスの夢の世界だよ。だから飴は鳥になって空を飛ぶし、アイスの川は渡れる。試しに歩いてみると良い」


 自信満々なペルシャ猫の様子に、私は恐る恐るアイスの川に足を乗せた。

 いつの間にか履いていた靴は淡いブルーで、歩きにくさを感じない程度に上げ底になっている。

 ゆっくりと体重をかける。グニャリとした感触が靴底から伝わって来たものの、沈み込むことはなかった。

 浅い泥の上に立っているような、不思議な感覚だった。

 チョコチップの岩と、時折たつ白波に気を付けながら渡り切る。


「さあ、次はあのプリンの山を登るんだ」


 前足で指された先を見れば、見上げるほどに大きなプリンがあった。表面にはホイップクリームが点々とついており、どうやらボルダリングのようにして登るらしい。


「ねえ、ここにあるお菓子って、食べられるの?」

「まあ、大体は食べられるんじゃないか? 何せお菓子だからね」

「じゃあ、プリンの下の部分を食べて、トンネルみたいに掘り進めたら、向こう側に出られない?」

「出られるかもしれないけど、君のお腹は破裂するだろうし、お茶会には間に合わないだろうね」

「でも、あんなに高い山を登る技術はないわ」

「技術なんて必要ない。ホイップを掴み損ねないようにすれば、誰だって頂上まで登れる」


 それなりに体力には自信があるが、握力に自信はない。あんな高いところまで登ろうとしたら、確実に腕や指が悲鳴を上げて落下してしまう。

 けれど今までのことを考えるに、ここでは自分の常識は通用しない。

 ペルシャ猫が登れると言うのなら、きっと登れるのだろう。ホイップさえ、掴み損ねなければ。


「一番目のホイップをつかんで、すぐに二番目のホイップをつかむんだ。後は速度を調整しながら、ホイップを適度につかんで」


 自分の筋力を過信せず、無理だと思ったら早々に諦めよう。

 そう決意してホイップに右手をかければ、体が下から押されるような感覚に、慌てて左手でホイップを掴んだ。

 重力が反転してしまったかのように、上へ上へと体が持ち上げられる。

 ホイップさえ握っていれば上へ落ちることはないが、下手をすると上空に跳ね上げられてしまいそうだ。


「あまり加速しすぎないように気を付けて。ホイップをうまく使うんだ」

「なんで上に引っ張られるの?」

「プリンの山を登るんだから、上に落ちるのは常識だろう?」


 そんな常識は知らない。そもそも、上に落ちるという言葉もおかしい。

 けれどそんなことを言っても、この世界ではそれが常識なのだから仕方がない。


「ねえこれ、くだるときはどうするの? 下に登らないといけないの?」

「いや、上に落ちるのは登りだけで、くだりは下に落ちる。とは言え、プリンの山を下に落ちるのは危ないから、滑り台がある。安心したまえ」


 ペルシャ猫の説明を聞いているうちに、プリンの山の頂上についた。カラメルの山頂では重力が正常になっており、プヨプヨとした弾力を足裏に感じながら進む。

 滑り台の入り口はわかりやすく、下山と書かれたゲートが置かれていた。


「ねえ、ここはアリスの夢の世界って言ってたけど、アリスってあのアリスよね?」


 滑り台は緩やかに蛇行をしながら伸びていたため、スピードがつきすぎることはなかった。

 プリンの香りがする風に髪をなびかせながら、肩の上で気持ちよさそうにヒゲを揺らすペルシャ猫に目を向ける。


「君の知り合いのアリスが一人だけなら、そうだろうね」

「どうして私は、アリスの夢の世界に来ているの?」

「それを僕に聞かれてもね。君とアリスの間で交わした約束なんて、知る由もないよ」

「約束? 夢に来る約束なんてしてないわ」

「ソレが約束と言う名の契約だったのか、呪いと言う名の契約だったのかは分からない。でも君は確かに、アリスと何かの契約をしたはずだ」

「ちょっとした魔法をかけてもらったけれど……」

「何かを願って、アリスがそれを叶えたのなら、立派な契約だ。しかも魔法はなんでも叶うぶん、かなり強力な契約になる。君は、どんなことを願ったんだい?」

「同じ日に生まれた片割れと、二度と顔を合わさなくてすみますように」

「……それはそれは……」


 ペルシャ猫はとても驚いたらしく、瞳がまん丸になっていた。

 出会った時から人を食ったような表情しか見ていなかったため、少しだけ気分がスっとした。

 謎の優越感が伝わったのか、ペルシャ猫は気分が悪そうに鼻を鳴らし、前足を右へとむけた。

 遠目で見るとただの枯れた茶色い森だったが、近くまで来ると、木々がチョコレートでできていることに気づく。

 独特の甘い香りが、あたり一面に漂っていた。


「この森を半分くらい進んだ所に、コスモス時のお茶会をやっている広間がある。まだ紅花分はあるから、薔薇分までにはたどり着く」


 未だに分からない花の数字に、曖昧に頷く。


「それで、何故君たちはそんなに仲が悪いんだい?」

「悪いわけじゃないわ。良くはないってだけ。なんとなく、合わないの」

「まあ、同じ日に生まれて似たような形をしていても、中身は全然違うのだからそう言うこともあるだろう。だが、魔法という契約をしてまで会わないなんて、普通じゃない」


 ペルシャ猫が吐き捨てるように呟き、くしゃみをした。小声の悪態に耳を傾ければ、どうやらチョコレートのにおいが嫌いらしい。


「そんな契約をしたせいで、君たちは代償としてこの世界に囚われることになった。偶数日は姉が、奇数日は妹がこの世界に閉じ込められる。逆に君たちの世界では、奇数日は姉が、偶数日は妹が担当することになった」

「どういうこと?」

「カナとカコは契約により、ナコという少女になった。カナがナコのときはカコがこの世界にいて、カコがナコのときはカナがこの世界にいる。双方の願いが同じだったからこそできた、強力な魔法だ」


 双方の願いが同じと言うことは、相手も顔を合わせないですむようにと、アリスに願ったのだ。

 さすが双子。考えていることは同じだと苦笑する反面、双子だからこそ、相手の考えが分かる。

 きっと私と一緒で、軽い気持ちで言ったのだろう。まさかアリスが本当に魔法を使えて、叶えてもらうためには代償が必要だなんて思ってもみなかったのだろう。

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