第32話 佐野は気付くのか

 天翔と美月に正面から近付いて来る佐野とはもう5メートル程しか距離が無い。間違い無く数秒後にはすれ違う。


『どうする? 隠れる所なんて無いし、有ったとしてもそんな時間ほ無い。それに…』


 天翔は美月と恋人らしく手を繋いでいる。これを佐野に見られれば最早言い逃れは出来ない。


『どうして佐野さん会社こんな所に? それにご両親と一緒よね?』  


 楽しいデートが一転、佐野だけでなくその両親にも教師と生徒が手を繋いでデートをしている所を目撃されてしまう危機に立たされてしまった。


『考えろ、俺は俺はAIに約8割勝った男だ!』


 残り2割はキスをしたら埋められるのであろうか。まだ目標をも達成していないにも関わらず、すっかりとAIに勝った気持ちでいる天翔は必死に考えた。



「帝都劇場って初めて行ったけど、建て替え前に行けてよかった!」


「お父さんに感謝しなさい。チケット高かったんだから。毎日ワンコインランチで頑張ってくれたのよ」


「最近はワンコインの店が少なくて苦労しているけどな。ハッハッハッ」


 心が和む様な佐野一家が2人の脇を通過して行く。

 美月も天翔もこの数秒間が、まるで時の流れが遅くなってしまったかの様に感じていた。だが佐野がこちらに気付く素振りは無い。


『もう通り過ぎる。勝った』


『ふぅ。助かったわ』


 と2人揃って安堵した瞬間、不意に佐野の首が僅かに動いたかと思うと天翔と目が合ってしまった。

 一瞬だけ心臓が止まってしまう位の衝撃に襲われるものの、なるべく平静を心掛ける。そうしなければ一気に全てが崩れてしまうだろう。

 天翔と目が合った佐野だが、目が合っていたのはほんの数秒だった。目が合った事が気まずそうに逸らした視線の先に、今度は美月を捉えた。

 とは言えお互いに反対方向に歩いている。歩道での接触はそれだけで終了した。


「ねぇ、今すれ違った2人、凄いイケメンと美女でお似合いのカップルだったの。あんな美男美女って本当に居たのね」


 背後から聞こえた佐野の声に2人は先ずは安堵した。次の瞬間に言われた内容に照れてしまった。

 

「行こう」


「うん」


 すっかり安心した2人は繋いだその手をさっきよりも大きく振って歩いた。



◯▲△



「佐野さんは私達の事に気が付いていなかったわね」


「学校での美月とは何一つ同じじゃないからな」


 教師としての普段の美月は髪は後ろで1つに纏め、服はボディラインが出ない色気の無い黒っぽいスーツ、ファッションアイテムとは程遠い分厚い伊達メガネを掛けている。

 それに対して今日の美月は鮮やかなブルーを基調とした軽やかな服装がふわっとしなやかな長い髪とよく似合う。もちろん小さく整った顔は何にも邪魔されずに天翔へと向けられている。


「天翔くんもね!」


 一方の天翔はそもそも学校では制服姿だ。平均以上には長身なので目立たなくなる様に猫背を心掛け、髪はボサボサにしてやはり分厚い伊達メガネを掛けている。


『同性の佐野さんから見てもやはり美月は美しいんだな。これからはもっとガードを高めないと』


『すれ違っただけなのに天翔くんの素晴らしさに気が付くなんて侮れないわね。佐野さんといい宇都美さんといい、気を付けなくちゃダメね』


 それぞれお互いを異性からどうガードしようかと考えて歩いてくださいが、それだけでは夜景が見えるまでの時間は潰れてはくれない。

 次の一手を天翔が必死に考えいる時だった。


「いけない!」


 突然、美月が何かに気が付いたのか声を上げた。


「どうしたの?」


 口調からして何かを思い出したよりだが、それが何なのか天翔には見当も付かない。


「門限。ごめんなさい、門限が有るからもう帰らなきゃ」


「門限?」


 「社会人だよね?」と口に出掛かったがそれは飲み込む事にした。家ごとに事情は有るからと天翔は思った。


「うん、ごめんなさい。天翔くんは門限は無いの?」


「ああ。今は1人暮らしだからね」


「1人暮らし?」


「あっ!」


 言ってからしまったと後悔した。高校生の1人暮らしなど学校としては望ましい事ではない。私立高校なら大量の寄付金で何とかなるかも知れないが天翔が通う高校は公立なのだ。それに恋人であっても美月は教師なのだ。


「天翔くん、高校生は保護者と一緒に暮らしていないと」


 美月が申し訳無さそうに教師の一面を見せてきた。天翔としては何とか取り繕わないといけない。


「ちょっと待って。言葉の綾だ。親父は南米に行っているだけで、一時的に1人暮らしって事!」


「お仕事で南米に?」


「そうそう!」


「お父さんはどんなお仕事なの?」


「えっ?」


 趣味で宝探しをしているなんて言えない。


「なっ、南米の奥地の村で井戸を掘っているんだ」


「そうなの!」


「うん、NPO法人の仕事だったかなぁ」


 天翔は咄嗟に嘘をついた。この場を収めるにはこうする他に方法が無いと思ったからだ。


「天翔くん!」


「はっ、はい」


 向き直った美月は両手で天翔の手を握ると瞳を輝かせている。


「立派なお父様ね!」


「そうでもないけど」


「お父様を誇りに思って。謙遜なんていらないわ」


 天翔の父親に関する偽りの情報を得た美月は、上機嫌でタクシーに乗り込んで行った。

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