第30話 いつ歌うの?
「!」
結局はカーテンコールの拍手で飛び起きた美月は勢いそのままに立ち上がり、誰よりも早いスタンディングオベーションとなった。
ハッと我に返った美月は、観客の誰もまだ立ち上がっていないことに気が付くとバツが悪そうに座ろうとする。だが今度は隣に座っていた天翔が立ち上がり舞台上の演者に拍手を捧げる。
「天翔くん」
申し訳ない気持ちで呟く様に隣の天翔を見れば天翔はひたすらに舞台を見つめている。次の瞬間、首が動いたかと思うと美月に向かって優しく微笑んだ。
美月と天翔がフライング気味に立ち上がった事が呼び水となったのか、周囲の観客が次々と立ち上がり会場全員によるスタンディングオベーションとなった。美月は自分と天翔がこの会場を所狭しと響き渡る拍手の渦の中心に居る気になっていた。
「素晴らしい舞台だったね」
「う、うん…」
天翔に同意を求められても後半は寝ていたのだ。素直に同意出来ない。
『ああ、私のバカ!』
何とか平静を装ったつもりでも、引きつった笑顔にまでは注意力を回す余裕など有る筈も無い美月であった。
◯▲△
「いや~っ、あの演出は心憎かった。見事としか言いようが無いね!」
「そっ、そうね」
2人は近くのカフェに場所を移して舞台の感想を語り合う事にした。
針のむしろの美月と矢鱈と楽しそうな天翔、テーブルを挟んだ2人の思いは対照的である。
「原作を大きく改変していたけど、あの結末は良かったね」
「そっ、そうね」
『えっ、原作を大きく改変? どう変えたのかしら?』
しどろもどろな美月を天翔は微笑ましく見ている。
「原作では結ばれなかったハムレットとオフィーリアがあんな形で結ばれるなんて、ね!」
「えっ、そうなの?」
『いけない!』
美月も同じ舞台を見ている筈なので、これは口にしたらいけない台詞である。
だがそんな事はお構い無しに天翔は続ける。
「身分違いを理由に反対されていたあの2人、原作では悲劇だけど今風な大逆転のハッピーエンドって見ていて楽しいよね」
「ハッピーエンド?」
『悲劇をハッピーエンドに変えるの? それは許されるのかしら?』
「ラストにハムレットとオフィーリアが愛を高らかに歌い上げる、あの曲は良かった!」
「うん。いい歌よね!」
『私が寝てから歌ったのね。中々歌わないから、いつ歌うのか不安だったのよ』
という具合に合わせていた美月ではあるが、流石に心苦しくなってきた。
「天翔くん、ごめんなさい!」
「ん?」
「実は私、途中で寝てしまったの」
「………」
美月としてはかなり思い切った告白ではあるが、それを聞いた天翔は右手を口に押し当てて俯き、肩を小刻みに震わせている。
「ごめんなさい、天翔くん!」
「ぷっ、……ぷっぷ」
必死に謝る美月に対して天翔は遂に吹き出してしまった。
「天翔くん?」
「ごめん。今俺が言った事は全部冗談だ。ちゃんと悲劇だったし、歌ってもいない」
「えっ?」
言われた事が余りにも意外だったのか、驚いたまま他に身動き1つ取れない。
「客は本格的なハムレットを観に来ているから話は変えられないし、ミュージカルと違ってストレートプレイだから歌わないよ」
「もう、からかったのね!」
「ごめん。気持ち良さそうに寝てたから」
咄嗟に軽く怒った美月であったが、自分が寝ていた事が原因なのでそれ以上は怒れなかった。
「今日はお得な日だハムレットを観に来たら、眠り姫まで見られた」
「またそんな事を。もう!」
膨れてみせるが、それが天翔には可愛いらしくて仕方ない。
「でも寝てた私が悪いから文句も言えないわね」
「連休中でも忙しいの?」
天翔は美月の教師としての仕事量を心配していた。
天翔も忙しいのだが、最新の研究に基づいた最も効率的な睡眠方法を取り入れている。その為、実は深刻な睡眠不足には陥ってはいない。
「ううん、昨日まで学校に工事が入っていたから誰か出ないといけなかったの。もう終わったから大丈夫よ。ありがとう」
今日のデートが楽しみで殆ど寝られなかった。なんて言いたくなかった。言えば天翔がどんな態度を取るのか想像出来る。それはまた違う機会に取っておきたいと思った。
「でも王子と宰相の娘で身分違いってなるんだね」
「そうね、愛し合っているのにそんな理由で結ばれないなんて悲しいな」
言い終わって美月はハッとなった。
戦後の財閥解体まで御神本家は財閥としては小規模ながらも、御神本財閥として隆盛を誇っていた。
その為、現在では商事会社のみであっても御神本家の人間は自尊心が過剰に高い。
自分と天翔は認められるのか急に不安になってきた。年齢差の事も有る。
「ねえ天翔くん、身分差って言う訳じゃないけど格差って言うのかな。天翔くんはどう思う?」
「格差?」
「たとえばよ、片方がそれなりに資産が有る家だったとするわよ。それでちょっと気後れしたりはしない?」
「!」
少し前まで美月をからかっていた余裕は何処へやら。天翔はギョッとして言葉が出ない。
『俺がアオイホールディングスの
御神本家とは逆に蒼井家は戦後のヤミ市で成り上がって以来、代々の当主が時流に乗って今や世界的企業となった。
創業者である天翔の曽祖父の遺言により蒼井家の当主がそのまま会社の代表となる。その為、次の当主である天翔が会社を継ぐ事は既に決まっている。それ故の最高経営責任者代行なのだ。
「俺は、う~ん、そうだな」
中々言葉が出ない。
「そうだな、家の事とか抜きにした素の俺と美月で愛し合えたら良いんじゃないかと思いたいし、美月にもそう思って欲しいな」
「私もそう思うわ!」
『『でも、もう少しこのままで!』』
そうは言ってもやはりそれ以上は深く自分の家の事を伝えられない2人は、同時に同じ事を思っていた。
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