第29話 それが問題だ
「ごめんね天翔くん、待たせちゃった?」
「いや、今さっき来た所だから」
この日の晴れ渡る空の様な鮮やかなブルーを基調とした服装の美月が待ち合わせの時間前に到着すると、そこには天翔が既に待っていた。
「うぅ美月、その服似合っているね!」
久し振りに明るい色の服に身を纏う美月に、つい見惚れてしまった天翔はデートの待ち合わせのテンプレート的な事しか言えない。
普段の学校での美月は天翔が他の男の目に留まらぬ様にプロデュースした色気も素っ気も無い服と分厚い伊達メガネがトレードマークとなっている。
思えばこうしたデートも2ヶ月振りになってしまった。
「ありがとう。行きましょ!」
美月は踊り出しそうな軽いステップで天翔との距離を無くすと、そのまま天翔の手を取った。
美月もまた、久し振りのデートに浮かれているのだ。
『本当は他のカップルみたいにしたいけれど、天翔くんはどうなのかしら?』
美月の本音としてはもっと天翔の腕に抱き着きたい所だが、それで自分の柔らかい所を天翔に押し付けた時の反応が少し怖かった。それに育った環境から、自分から抱き着く事は大胆で端ないとも思えた。
◯▲△
今日の目的地は丸の内に在る。場所柄それなりの店が多く、デートでの食事には困る事はない。
浮かれている天翔と美月は目に付いたイタリア料理店に入ると、ランチのパスタをどんなパスタかも考えずに適当に選んで注文した。
「今日の演目なんだけど」
「うん。今日は何を観るの?」
「ハムレットだ…」
瞳を輝かせて身を乗り出す美月に天翔は思い切って言ってみた。
その輝く様な笑顔を失う心配は有ったが、このタイミングを失う訳にはいかない。
「ハムレット? シェイクスピアの?」
「うん」
言葉少なく頷くしかなかった。
「ハムレット、楽しみね♪」
ハムレットと聞いて更に笑顔の輝きが増した事が意外では有ったが、理解した上で期待してくれているので天翔は安堵して思わず笑みが溢れる。
「ハムレットなら原文を読んだ事が有るわ。知っている物語で良かったわ!」
英語教師である美月は翻訳されていない原文を読んだ事が有った。その余裕が美月にこんな事を思わせた。
『お話は知っているから、これで観劇中に舞台に集中するだけじゃなくて、天翔くんの様子を伺えるわ♪』
一方の天翔もこう思う。
『流石は英語教師だな。俺の知らなかった美月をもっと知りたい!』
黙って見つめ合う2人のテーブルに、ガッツリとニンニクの効いたパスタが運ばれて来た。
この時点で天翔が今日のキスを諦めた事は言うまで無い。
◯▲△
丸の内に在る東京国際フォーラムで行われているハムレットの公演には比較的落ち着いた年齢層の観客が多く、美月と天翔はその容姿から一際目を引く。
『このおじさん達でさえ美月をガン見している。連休明けも学校では、もっとがっちりガードしなければ!』
『妙齢の女性達が天翔くんをチラチラ見ているわ。学校ではもっと女子の目に付かない様にしなきゃ。特に演劇部、中でも宇都美さんには!』
容姿端麗なお似合いのカップルに見えるが、内心ではそんな事で燃え上がっている2人であった。
そんな2人が席に座りスマホの電源を切ると程なく客席が暗くなる。そして幕が上がった。
『ああ、天翔くんとこんなに長く居られるなんて本当に久し振りね。夢なら醒めないで』
うっとりした美月であったが、そこから暫くの間の記憶が無い。
天翔がそんな美月の異変に気が付いたのは劇も中盤の頃だった。
『あれ、美月が俺の肩にもたれ掛かって来た。別にそういうシーンじゃないんだけど』
そう思い美月に視線をやると、寝ている!
睡眠不足の状態で昼食にパスタという炭水化物その物を食べた美月では、どうしても午後の睡魔から意識を守れなかったのだ。
『起こすべきか、寝かせておくべきか、それが問題だ!』
美月にもたれ掛かられ、その上で可愛い寝顔も拝める。天翔にとっては悪い事ではないがここは劇場だ。周囲の目も有る。
天翔としては現在の自分の悩みはハムレットに負けていないと思った。
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