第26話 4月も終わり

 それから2週間後、都内の公立高校では離任式が行われている。

 赴任校の変わった教職員が前の赴任校に赴き、在校生らに別れの挨拶をするこの儀式、美月も3月までの赴任校である南池袋高校の離任式に臨んでいた。

 

「御神本先生、大丈夫ですか?」


「はい。新しい学校では演劇部の顧問になりました。この日の為に部員に混ざって発声練習はしましたから」


 尋ねた元同僚の教師としては緊張しやすい美月のメンタルを気遣っての事であったが、美月は離任式の為に演劇部で自主練習をしていた事で妙な自信を身に付けていた。

 声が出る練習はした。だが逆に言えばそれしかしていない。そのせいか自分の順番が近付くに連れて緊張し、予想以上に心拍数が増して考えが纏まらなくなっていった。


『つっ、次が私の番だわ!』


「御神本美月先生」


 名前を呼ばれてすくっと立ち上げると右手と右足が同時に出て歩き出す。

 そんな美月を見た場内からどよめきが起こるが、そんな事に構っている余裕など有る筈もなかった。


『どっ、どうしよう』


 内気な性格の美月は人前に出ると縮こまってしまう癖が有る。教職に就いて多少は慣れたものの、簡単な挨拶以外で全校生徒を相手にしてスピーチを行うにはまだ無理が有った。


『なっ、何を言うんだったかしら? 天翔くんは紙に書いて行けって言っていたけれど、他の先生は誰も紙なんて見ていないし』


 美月の頭から記憶していたスピーチの内容がスゥ~と消えて真っ白になったその時だった。


「御神本先生!」


 まだどよめきが収まり切らない体育館に1人の女子生徒の声が響いた。


『益子さん?』


 声の主は益子彩花だった。美月は大勢の生徒の中から瞬時に声を張り上げた益子を見付ける。


「御神本先生、ありがとうございました!」


 恥ずかしさを抑えて力の限り叫ぶ益子に全員の意識が集中すると、憑き物が取れた様に美月は落ち着きを取り戻した。


『ありがとう益子さん』


 それからは、別人の様に落ち着いた美月は別れの挨拶をそつ無くこなした。



◯▲△



 離任式が終了して放課後、美月は益子と会う機会を得た。


「御神本先生、ありがとうございました!」


「お礼を言うのは私の方よ。ありがとう益子さん!」


 お互いに礼を言い合った2人は揃って笑い出した。

 美月は2週間前の事は詳しくは聞かない。この件に関しては何か尋常ではない事が有ったと思っているが、解決した事を掘り返しても誰も得しないと理解しているからだ。


「それじゃ先生、先生の彼氏さんにも宜しくお伝え下さい」


「えっ、彼氏!」


 突然その事に触れられて美月はしどろもどろになる。


「どういう人なんですか?」


「そっ、そうねぇ…」


 益子にしてみたら、あんな芸当が出来る天翔が普通の人間ではない事は察しが付く。

 だが天翔の事を美月に聞いても、欲しい答えが返って来ない事までは予想できなかった。



◯▲△



「ねぇ天翔くん、私って天翔くんの事を全然知らないのね」


「急にどうした?」


 離任式の翌日、演劇部の稽古も終わり2人で駅まで歩きながら不意に美月が切り出した。


「益子さんから、天翔くんはどういう人なのか聞かれても答えられない」


「彼女から何か聞いたの?」


「ううん。益子さんの中学の同級生がトラブルに巻き込まれて、何とかしようとした益子さんがあそこに居たって言っていたけれど、天翔くんが具体的に何をしたのか私が聞いても口を濁すから深くは聞けなかったわ」


 それは天翔が固く口止めをしたからに他ならない。

 今回、天翔の一連の行動の中には法に触れる事も含まれている。目的の為ならそんな事まで行う人間が世界的企業、アオイホールディングスのトップである事が世間に知られる訳にはいかない。

 どこから漏れるか分からない為、情報には常に神経を尖らせている。


「天翔くんたら、新入生歓迎会での新入生勧誘の挨拶だって緊張しないで無難にこなしたわよね。私なんて数人の前の挨拶だって精一杯なのに」


「慣れだよ」


「そんなに慣れる程、人前に立ってるの?」


 迂闊だった。天翔は立場上、人前に立つことが少なくない。

 隠し通せると考えている訳ではないが、声を大にして言う事でもないと考えているのでどうした物かと考える。


『全てを言うべきなのか? でも俺の立場とか知ってドン引きされたら? 出来ればまだ、この距離感でいたいな』


 一方の美月も思っていた。


『天翔くんの事をもっと知りたい。でもそれだと私の事も言わないといけないわ。御神本商会の娘だって知っても天翔くんは大丈夫だと思うけれど…。出来ればもう少し今のままの関係でいたいな』


 実は2人して同じ事を思っていたその時だった。

 

「あっ、蒼井君!」


 2人の進行方向の街灯の下で手を振る女子生徒が居る。演劇部部長の宇都美悠衣だ。


「ねぇ蒼井君、偶然ね! そうだ、発声についてのアドバイスが有るんだけど、この後まだ時間有る?」


「あの、宇都美先輩」


 偶然と言われているが、待ち伏せされていたとしか思えない天翔は念の為に美月を確認すると、そこには可愛さの欠片も無く、明らかに不機嫌になっている美月しか居なかった。


「う〜つ〜み〜さ~ん!」


 宇都美は瞬間的に動きが止まった。眼を三角にして唸っている美月を顧問の御神本美月だと認識するのに若干の時間を要したからだ。


「あっ、御神本先生も居たんですね!」


「宇都美さん、蒼井君は私を駅まで送ってくれているのよ! あなたの利用駅は逆方向でしょう! 日も暮れているから早く帰りなさい!」


「それじゃ、先生を駅まで送ったら何処かに行きましょ!」


「行きません! 早く帰りなさい!」


「え~っ、蒼井君、私も駅まででいいから送って」


「それでは蒼井君の帰りが遅くなるでしょう!」


 珍しく苛立っているし、珍しく教師らしい事も言っている。


 そんな美月も愛おしいと思う天翔であった。

 



◯▲△



 ここまでお読み頂きましてありがとうございます。

 ここまでを取り敢えず第一部とさせて頂きまして、1月に続きをスタートさせるつもりです。

 その際には、またお読み頂ければ幸いです。

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