第22話 誓いを新たに

 その夜、天翔が本社ビルに入る頃には周辺のビルの灯りは数える程しか無くなっていた。


「はぁ、それでそのままカラオケ店のバイトのヘルプに入ったと仰るのですね?」


「まぁ、そうなんですけど」


 CEO代行としての職務を放棄してカラオケ店のバイトに入ったのだ、眼の前の秘書が目を三角にして怒るのも無理はない。

 しかも美月が心配な余り、普段働いている渋谷センター街店の店長経由でエリアマネージャーに無理矢理ねじ込んでもらってのヘルプだった。もっとも店としては慢性的な人手不足なのでこのヘルプは文字通り助かったらしいが。


「で、どうなさいますか?」


「ドローン企業の買収の事?」


「他に私が何か聞きたいとでも?」


「いえ…」


 玲子の迫力の前では身が縮む思いだ。実際に天翔は先程から肩幅を最小限にしている。


「彼らはどうしました?」


「代行抜きの晩餐会での神戸牛にご満悦でした。取り引きはスムーズに進みそうです」


 玲子は淡々と述べた。神戸牛と高級ワインの味を思い出しても怒りは収まり切らない様だ。


「それはよかった。カラオケ店の賄いも美味かったですよ」


 天翔は敢えて明るい声を出して冗談交じりに言った。

 美月らが帰るまで店に残っていた為、天翔の夕食は賄い食のエビピラフだ。カラオケ店の利用客が注文する場合は、390円する。


「明日こそ実際に彼らのドローン技術を見て頂きますよ。それでそちらは大丈夫ですか?」


 玲子の言う「そちら」とは天翔が晩餐会に来られなかった理由、美月の事である。正確には益子の事だ。流石に無断で予定をキャンセルする訳にはいかなかったので、大まかな事は事前に告げてある。一方的ではあったが。


「その事なんですけど、特別調査班を使わせてもらいますよ。玲子さん」


「お言葉を返す様ですけれど、公私混同は如何な物かと」

 

「場合によっては新しいプロジェクトに繋がる可能性も有ります。私的に会社組織を使う様でしたら相応の罰を受けましょう」


「畏まりました。それでは現時点で判っている情報を下さい」


 天翔の決意に゙玲子は特に驚く事もなく、必要な事だけを口にした。だがこれは不機嫌であるからではなく、迅速に職責を全うする為である。それは天翔も理解しているので特に思う事は何も無い。


「益子彩花、都立南池袋高校の3年生。これが写真です」


 いつの間にか彼女の写真まで用意してある。美月が絡むと天翔の行動力は飛躍的に上がる。


「彼女について調べればいいのですね。今日はもうこんな時間ですので代行の明日の下校時間迄には」


「午後1時迄にお願いします。あんな時間にあんな路地裏に立っていた理由はメールした通りです。彼女がそうせざるを得なかった理由、それまでの経緯も含めてお願いします」


「畏まりました」


 今度はこの秘書が世界一頼もしく思える天翔であった。



◯▲△



 翌日、高校の昼休み中、午後1時の5分前に天翔のスマホが震えた。


『調査完了か。我社の調査チームは優秀で助かる』


 アオイホールディングス特別調査班。決して組織図に記載される事がないそれは、CEOからの命令でのみ行動する特殊部隊である。

 ビジネスの世界では、より新しい情報をより詳しく入手出来る者が勝者となる。

 アオイホールディングスは元は戦後の闇市から成り上がった企業だ。機を見るに敏。情報の重要性は身に沁みて判っている為、情報の収集と分析の専用部門を創設し重視している。

 彼らは与えられた任務の為ならば、非合法的な行為でさえも厭わない鍛えられたプロ集団である。

 CEO代行の天翔は早速、玲子からのメールを熟読する。


『ん? これはやっぱり美月の耳には入れられないな。たが美月は俺が守る! 美月の心配事も俺が払拭する!』


 心の中でそう叫んで決意する天翔は、再びスマホに見入っていた。



◯▲△



 放課後、天翔は職員室に美月を訪ねると幸運な事に美月の周囲には誰も居ない。

 話し込むチャンスだと思った。


「ちょっといい?」

 

「あっ、丁度よかったわ。ねぇ天翔くん、昨日の事なんだけど」


 美月も周囲に誰も居ない事を意識していたのか、蒼井君ではなく天翔くんといきなり呼んでくる。何処からボロが出るのか判らないので天翔としてはヒヤヒヤ物だが、スリルと言うべきかこの2人だけの秘密の感じが気持ちよくもある。

 

「ああ、代金は俺が払ったからいいって!」


「そうじゃなくて、益子さんの事よ」


 敢えてトボけたが美月は本題をいきなり言って来た。美月の性格上、仕方ないかと天翔は思った。


「彼女がどうかした?」


「心配なの。だから今夜もあの場所に行こうと思うの。でもあの場所が場所だからその…、天翔くん一緒に行ってくれると心強いんだけど」


「ごめん。今日は外せない用事が有って。それに彼女はもうあそこには行かないよ、金輪際!」


「えっ? 来ない?」


 自信たっぷりに言い切った天翔を美月は不思議顔で見つめていた。


「どうしてそんな事が判るの?」


「そんな事より、今日は演劇部顧問として大変なんじゃないの?」  


「顧問として?」


 明日は新入生歓迎会で演劇部も短時間ながらも日頃の成果を披露する事になっている。新たな部員を獲得する為、部員一同張り切って稽古に励んでいるのだ。今日はその最終確認をする事になっている。


「そうだったわ! 天翔くんもでしょ?」


「ごめん。さっきも行言ったけど俺は用事が有って今日は部活を休む」


「用事? バイト?」


「そっ、そうなんだよ。今日は本来の店でシフト入ってて。そうだ、演劇部に入ったしシフトを変更しないとなぁ!」


 白々しさは有るが何とか誤魔化した。

 

「じゃあこれで!」


 天翔は一方的に会話を打ち切ると美月に背を向け歩き出した。美月から見えなくなると同時に、その表情を険しくしながら。

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