第16話 何故か千葉県

 どうにかして美月を先にタクシーに乗せる事に成功した天翔だが、恨めしそうな眼で渋々タクシーに乗り込む美月がどうにも引っ掛かっていた。


『あれは、何かを企んでいたのに邪魔された様な眼?』


 天翔が美月が何を企んでいたのかまでは知る由もないが、それに敢えて乗ってやるような事はしない。その理由は天翔らしい物だった。


『あの今まで見た事の無い恨めしそうな表情、それはそれでかわいい!』


 そんな事を思いつつ表情を緩ませながら次に来るタクシーを天翔が待っていると、黒塗りの高級車が停まり後部座席の窓が開く。それと同時に中から女性にしてはやや低めの声が聞こえる。


「時間が有りません。乗って下さい!」


 その言葉に従い天翔は運転席から出て来てドアを開けようとする運転手を制して、自分で後部座席のドアを開けて乗り込む。

 

「まさか付いて来たんですか?」


「そこまで暇ではありません。お陰様で」


 先に乗っていた、黒く長い髪が印象的なその女性は皮肉たっぷりに答えた。


「はいはい。世話かけて悪うございました」


 天翔も悪びれもせずに応える。すると彼女も少しだけ表情が緩む。


「楽しんで頂けましたか?」


「そりゃもう!」


 会心の返答だったが彼女は依然として無反応だ。


「いえ、彼女さんです」


「お陰様で。持つべきものは優秀な秘書ですね」


「一言足りていませんが」


「持つべきものは、優秀な秘書ですね!」


「そう言う事にしておきましょう」


 彼女は樋口玲子ひぐちりょうこ、30歳。天翔の父親が代表を勤める会社を支えるスーパー秘書である。

 玲子が居なくなったら会社は終わる。とまで天翔は考えている。


「それで玲子さん、電子印で対応可能な書類には電子印で対応しました。実印が必要な書類は帰ってすぐに対応します。それでもわざわざ迎えに来た理由ってやっぱり?」


「ニューヨークはもうすぐ市場が開きます。例の買収の件、ご指示をお願いします。代行!」


 IT事業の成功で得た資金を基に企業買収を続け、それによって急成長を遂げ世界的な企業となったアオイホールディングス。

 元々は戦後のどさくさに紛れて財産を築いた天翔の曽祖父が興した会社だ。

 バブル崩壊を切り抜け投げ売りとなった資産を買い漁り、不況に喘ぐ他者を尻目に飛躍的に躍進させた人物が天翔の祖父である。

 更にIT事業の成功で世界的企業としたのが父親で、現在では天翔がCEO代行を勤めている。

 勿論まだ高校生の天翔にそれほど多くの権限は無いが、父親がまだ若いのに事実上の引退をして第二の人生を謳歌している為、天翔しかCEO代行となり得なかったのである。

 しかしこれだけの企業の事実上のトップに据わるのだから、天翔自身も経営の素人ではない。

 父親の勧めと出資により中学生でアプリ開発会社を起業して成功している。

 その際に出向という形で派遣された社員が秘書の玲子であり、他に数名のスタッフだった。

 彼らの実力が発揮出来る様に心掛けた結果、しっかりと巨万の富を得る事に成功した。。


「ドローン事業はこの前アメリカの企業を買ったでしょう。玲子さん、また同じアメリカでドローンのベンチャーを買う意味が有りますか?」


「ドローンは今後もっと伸びます。そして、まだ余り知られていませんがこのベンチャーの技術と発想力は目を見張る物が有ります。アピールが下手なだけです。確かに現時点でのメリットは少ないかも知れませんが、将来的に他所の資本が流れて我社のライバルとなった場合のデメリットを考えれば」


「今の内に買っておいて損は無いか」


 暗い車内で玲子から渡されたタブレットを見つめて呟く。

そこには玲子によって買収を実現させた場合のメリットとデメリットが理解しやすく整理されていた。

 実力は有るのに認められない。古今東西、よく聞く話だ。そこに天翔は引っ掛かっていた。


「これ、直に見たいなぁ」


「そう仰ると思いまして、関係者を既に来日させています。現物をご覧下さい」


 ポツリと漏らした言葉を有能な秘書が聞き漏らす筈もなく、買収への道筋は既に出来上がっている事を天翔は悟った。


「判りました。買いましょう!」


「よろしいのですか?」


 その言葉を待っておきながら玲子は探る様に伺ってくる。


「もう来日させてあるって、ほぼ事後報告じゃないですか。でも玲子さんが言うなら間違いない!」

 

「それでは進めさせて頂きます。次にメタバースの面白い企画書が有りまして」


「まだ仕事有るの?」


「今夜は長くなりそうですね」


 暗い車内で僅かに浮かび上がる微笑が怖い天翔であった。



○▲△



 その頃、渋々乗り込んだタクシーを停車させて美月は待っていた。


『ここは一本道。この直後に来るタクシーに天翔くんが乗っている筈よね。付いて行って親御さんに帰りが遅くなったお詫びをもしなくちゃ。どんなご家庭なのかも知りたいし。ちょっとストーカーみたいだけど』


 まだまだお互いに判っていない事が多いこの2人だが、好きな相手の事を知りたいと思う気持ちが高ぶっている。


「運転手さん、後ろから来るタクシーに追い抜かれたら、それに付いて行って下さい」


「抜いたタクシーに付いて行くのですか?」

 

「はい。お願いします!」



○▲△



 程なくして、追跡が始まった。


『高速道路? 意外と遠くまで行くのね』


『えっ? 千葉県に入ったわよ!』


『標識に成田空港まで30キロって書いてあるけど?』


『成田空港まで18キロになったわ!』


 高速道路なら10分程度の距離だ。


『高速道路を降りたけど、ここはどこ? えっ、アウトレット?』


 天翔が既に違う車に乗っているとも露知らず、流石におかしいと思いながらも、成田空港に近い千葉県の酒々井しすい町まで美月は行く羽目になった。

 当然ながらタクシーに乗っていた中年男性と面識などある筈も無い。

 力無く運転手に告げる。


「すいません。東京に戻って下さい」


「東京のどちらまで?」


「南麻布までお願いします」


 美月の最優先すべきは大人しく帰る事。時計の針は間もなく日付変更線を越えるが、明日も朝は早い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る