第15話 帰り

 思わず立ち上がりカーテンコールに並ぶ俳優陣に拍手を送る。

 美月は心の底から興奮しスタンディングオベーションをする事などこれまでの記憶には無い。

 

「天翔くん」


 やはり隣でスタンディングオベーションをしている天翔にそれしか言えなかった。

 隣に居る彼に伝えたい事がもっと有るのに感動のあまり言葉が出て来ないのだ。

 緞帳が降りては満員の観客のスタンディングオベーションに応えてまた上がる。これを行うのは舞台監督の仕事だそうだが、何度か繰り返してようやく観客達も収まった。

 天翔が隣の席に目をやると、悦に入った表情を浮かべながらもぐったりしている美月が居た。


「美月、大丈夫か?」


「うん。どうして?」


 応える事が精一杯といった感じで、声のトーンも何処と無く違う気がする。


「なんだか気が抜けたみたいに見えてね」


「舞台に感動したら何だか疲れちゃったみたい」


「取り敢えず出よう!」


 天翔は舞台芸術に初めて触れて、舞台の気にやられた年上の恋人を劇場の外へとエスコートする。

 

「少し歩きましょ!」


 劇場を出れば皇居のお堀が目の前だ。2人は目的地も決めずに少し歩く事にした。

 4月とはいえ夜は若干の肌寒さが残る。しかし今の2人にはそれが心地良く感じる。


「もぅ天翔くん、もっと早く連れて来てよ!」


 不意に不機嫌な表情をしてみせるが無論本気ではない。

 この辺りは皇居のお陰で都心に在っても空が広い。その開放感が美月の高揚感に拍車を掛けたのだ。


「そうは言っても、美月の趣味が判らなかったし」


 今なお手探り状態で付き合っているのだ。お互いの嗜好を本当に理解しているのか怪しい事は否めない。


「チケットも安くはないし、それで美月が楽しめなかったら時間も勿体ない。そうすると誰にとってもマイナスでしかないデートになるからね」


「でも天翔くんの好きな事なら誘ってくれても良かったんじゃない?」


「それじゃまた今度改めて、一緒に劇場に行って下さい」


「はい。喜んで!」


 言って美月は、ウフフと笑みをこぼす。そしてそのままの勢いで天翔の腕に抱き付く。

 劇場から離れれば流石にこの時間の丸の内は人も車も疎らだ。

 明治大正から残る街並みが灯りに照らされると、2人は自然と無言になっていった。


『周囲に人も居ないし、今ならキスを!』


 劇場から他の観客と別方向に向かった事は雰囲気に流されての事であるし、更に人も居ない此処まで来た事も偶々である。計算した訳では無い。

 だが天翔はこれを好機と捉えた。路上ではあるが、今ならキスが出来るかも知れないと思った。

 いや、キスをすると決心した。そして行動に移そうとする。


「美月」

 

 真剣な表情で美月に向き直る。後は目の前に居る年上の恋人、御神本美月が自分に全てを委ねてくれるのを待つだけである。

 が、寝ても覚めても美月が瞳を閉じる瞬間が訪れない。

 何時までもクリッとした大きな瞳は天翔を捉えている。そればかりか、両腕はいつの間にか身体の正面に移動してしっかりとガードに入っていた。


「あの、美月」


 思わず弱気な声が出る。こうなるともうこのチャンスは終わりだ。


「キスはクリスマスだけって言ったでしょ。あっ、タクシー! 天翔くん、タクシーが来たわよ!」

 

 天翔をはぐらかす様に美月は明るい声をあげた。


「送って行くよ」


「私が天翔くんを送って行くわ。明日も学校よ。早く帰らなきゃダメよ!」


「彼女に送られる彼氏なんているのか?」


「もう1台来たわ! それじゃ私はそっちに乗るから此処で別れましょ」


「それじゃせめて美月が先に乗ってくれ!」


「ダメよ! 天翔くんは高校生よ。早く帰りなさい!」


「彼氏には彼女が無事に帰れるか見届ける義務が有る!」


 この堂々巡りのやり取りが続く間、何台ものタクシーが2人の横を通り過ぎて行った。

 

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