第238話 懐かしい声
238 懐かしい声
あまりうまくいかなかった鯛めしの試作品をお茶漬けにして厨房のみんなに振る舞った次の日、朝早く僕は1人で市場に出かける。領都は王都に比べて少し気温が低いと思う。体をあたためるために市場には魔力循環しながら走って行った。
市場でひとりでもっと食材を吟味して、いろいろ買ってみたいと昨日の夜にフェルに相談をした。
はじめはあまりいい顔をしなかったフェルだったけど、朝ごはんは2人で一緒に食べることという条件で市場に1人で行くことを許してくれた。
フェルは僕が仕入れに行っている時間に領都の街を少し走ってみるそうだ。
朝の早い時間にも関わらず、市場は活気がある。
まだ市場に来る人たちは少ないけれど、どこのお店でも忙しそうに店員さんが働いている。
セシル婆さんがお店の準備をしているのをエドさんが手伝っていた。
なるほど、こうやっていいやつを先に買い占めているのか。
エドさんと目があって2人で笑った。
「お、兄ちゃん今日は早いな。いいぞ。この時間なら何でも選び放題だ。今日は青物の魚がいいぜ。塩焼きでも十分美味いが、煮込んでもいけるな。そこのサンマは特に足が速いからな、悪くなる前に煮込んで食うと最高に美味い。どうだい?1尾銅貨1枚。たくさん買ってくれたら少し負けてやるぞ」
エドさんは一体何時から市場に来ているんだろう。おっちゃんの店は綺麗な氷がびっしり敷き詰められていて新鮮な魚がたくさん並んでる。
サンマは10尾、イワシは型が小さめのを20尾もらう。おにぎりの具にしたいから塩鮭も買った。
向かいの八百屋に行ってセシル婆さんに欲しいものを伝えるとどれも鮮度が抜群だ。
オススメは何かあるかと聞いたら今日はそら豆が良いみたい。
ずっしり中身が詰まって重たいそのそら豆はきっとただ茹でるだけでもすごく美味しいに違いない。
持ってた袋いっぱい売ってもらった。
昨日作れなかったナスの煮浸しを作るためにナスも多めに買う。
セシル婆さんはナスは鮮度が命だから早めに使えと言っていた。
もらったナスははち切れそうなくらい実がパンパンに膨らんでいる。
僕の驚いた顔を見てセシル婆さんがニヤリと微笑んだ。
お肉とパンは買いに行くにはまだ時間が早いので急いで宿に戻る。
宿の入り口でフェルがストレッチをしていた。ちょうど走り終えて戻ってきたところらしい。
「この街は意外と狭いな」
フェルがそう言って汗を拭く。
一体どこまで走りに行ったのだろう。
朝ごはんを2人で食べる。
フェルは今日はパンがいいみたい。
僕はお米で梅干しと一緒に食べた。
珍しく支配人が食堂で接客をしている。今日は接客係の人数が足りないらしい。
額に滲む汗を拭きながら、今日もよろしくお願いしますと支配人が笑顔で言う。
フェルは商業ギルドで屋台を取りに行き、僕はマリーさんの肉屋に向かう。
そのあとパンも仕入れて急いで広場に向かおうとしたら途中でフェルが屋台を引いているのが見えて合流する。
広場に着いて屋台を設置したら、ハンバーグを仕込む前に買ってきたサンマを捌く。
甘く煮込んでみたいから市場で蜂蜜を買ってきた。蜂蜜の値段は王都と変わらない。
何でも安いってわけではないんだなと当たり前だけど買う時に思った。
お砂糖の代わりに蜂蜜を鍋に入れ、内臓をとってぶつ切りにしたサンマを、ちょうどひたひたになるくらいの水で薄切りにした生姜と一緒に煮込む。
お酒とみりん、そして少しの醤油を鍋に加えた。
蜂蜜の風味と甘さがしっかりサンマに染み込んでからもう少し塩味を足していくつもり。
セシル婆さんが鮮度が命と言ってたからさっとナスの揚げ浸しも作ってしまった。味がしっかり染み込んできっと午後には食べ頃だろう。
一度道具をしっかり洗ってから今日の屋台の仕込みを始める。
何にも言わなくてもフェルはフェルで必要な作業を進めてくれている。
ありがとうと伝えるとフェルが照れくさそうに「む、難しいことはできないからな、他に何か必要なことがあったら言ってくれ」そう言って作業に戻る。
難しいことはできないと言うけれど充分すぎるほどだ。
フェルがいなかったらとてもじゃないけれどやっていけない。
ハンバーグの仕込みを終わらせたら夕方のための準備をする。
とは言ってもそこまで手間のかかることはしないのだけど。
鰹節を削ってお米も多めに炊いておいた。
営業を始めてしばらくした頃小さな女の子が買いに来てくれた。
「はんばーがーください」
はじめは屋台の下の方から声がしたから驚いた。
フェルがすぐに外に出て接客をしてくれる。
目線を上げたら少し離れたところで笑顔で様子を見ている父親っぽい人がいた。
僕の視線に気づいてその人は僕に向かって頭を下げた。
これはきっと娘さんに買い物を経験させたいのだろう。
僕もその人に会釈で返す。
「なんだ、おつかいか?偉いな、お嬢さんは照り焼きバーガーがいくつ欲しいのだ?」
しゃがみ込んで目線を女の子に合わせ、フェルが優しい声で聞く。
「あのね、お父さんと一緒に食べるから2個。お父さんは大きいからあたしには全部食べきれないよって言うんだけどそんなことないと思うの。だから2個ください」
「承知した。ケイ、2個だ。お嬢さん。お代は銅貨12枚だが持ってるかな?」
女の子はポケットから銅貨を取り出す。その銅貨を両手で持っているから数が数えられなくて女の子が困った顔になる。
「では私と一緒に数えよう。私の手のひらに1枚ずつ置いていくからな。一緒に数えるんだ」
女の子が真剣な顔で頷くと、フェルが1枚1枚自分の手のひらに銅貨を乗せていく。
「「いーち。にーぃ。さーん……」」
「うむ。確かに銅貨12枚、お預かりした。これは注文したという証だ。無くさないように持っているんだぞ」
フェルが札を女の子に渡すとお金を大事そうにしまったその子はそれを両手で握りしめる。
なんかかわいいな。
ちなみに僕にはこんな経験はない。
気がつけば自分で作ったポーションを売って勝手に調味料とか欲しいものを買っていた。
行商人からよく買ったのはお砂糖だ。全く使わないと料理が物足りない味になってしまうんだもの。
かわいい子供ではなかったな……。
出来上がったハンバーガーを小さなお盆に乗せて、少し少なめに入れたお茶とナイフとフォークを一緒につけて女の子に渡してあげる。
紙に包んだハンバーガーはお皿の上に置いてあげた。
「お皿とかはあとで返してくれればいいからね。お茶はおかわりできるからもっと飲みたかったら取りに来て」
お盆を渡すとお茶の入ったコップを見つめて女の子が真剣に父親のところに運んでいく。
どうか転びませんように。
フェルと2人でその様子を見守った。
女の子が無事に父親のところにたどり着く。ほっとしてフェルと顔を見合わせて微笑んだ。
おっと、こんなことしてる場合じゃない。お客さんを待たせているんだった。
我に返って慌てて周りを見渡すと待っているお客さんたちまでもがその女の子のことを固唾を呑んで見守っていた。
声をかけるとそのお客さんたちも照れくさそうに笑いながら出来上がったハンバーガーを受け取りに来る。
売れ行きは順調だけれどやっぱり前ほど注文が立て込むこともない。今のところ屋台の鉄板を使って焼くだけで注文がさばけている。
今日も400個仕入れたけど余るようなら明日は減らしてみようかな。
途切れることはないけれど、注文が一気に立て込むことがないからなのかいつもより少し余裕がある。
ちょっとサンマを煮込んでた鍋でも様子を見ようかと思っていたらさっきの女の子と父親が食器を返しに来た。
さっきはありがとうございましたと父親が言って、父親に抱っこされた女の子は僕たちにずっと手を振っていた。
「なあケイ。あの女の子になぜ食器とカトラリーを渡したのだ?」
「あー、なんとなくだけどあの子の口の大きさだとハンバーガーを食べるのが大変そうかなって。あとずっとしっかり持ってられないだろうから置く場所もあったほうがいいと思って」
「なるほど。そんなことまで考えていたのだな」
「何となくだけどね。本当はみんなにお皿付きで出したいけどそうもいかないから。だけどできる限りはやってあげたいって思ってる。でも忙しいとなかなかそうもいかないからもっと何か工夫しないとね」
今日はたまたま余裕があったから気を回せたわけで、注文が立て込んでくれば毎回こんな風に個別の対応なんて出来ない。
使い捨ての食器なんて用意できないし、持ってるお皿にも限界がある。
もともと屋台にすると決めた時にいろんなサービスを整理して最低限ここまでって決めたつもりなのに。
やりたい気持ちはどうしても出てきてしまう。
ファーストフードのお店のようにトレイまで大量に用意することはできない。サービスが全く至っていないのはずっと感じてはいる。
できないことを悔やんでも仕方ないけれど、この気持ちは忘れないようにしようと思った。
2時を回ってあと残りはどれくらいかと数えていたら遠くから懐かしい声が聞こえてくる。
何となくそろそろ来る頃だと思ってた。
パンの残りを数えながら口元が緩むのを感じる。
「ケイくーん!やっと来れたよー。どう順調?なんか毎日大盛況らしいじゃない。どのお店に言ってもケイくんの屋台のことをみんな知ってたよ。あー今日から僕も銀の鈴に泊まるからね。夕飯は一緒に食べようよー。宿の料理もずいぶん変わったみたいじゃない。支配人からいろいろ聞いたよー」
「3男!いらっしゃい!いろいろと忙しいかと思ってた。今日は時間はあるの?屋台が終わったらいろいろ試作で料理を作ってるんだ。よかったら食べて行ってよ」
3男と領都で食器を扱う商会のデイビットさん。それからジークとザック、黄昏の道化のメンバーたち。たまにゼランドさんの商会で見る従業員の人たちも何人か来ている。
やっぱり領都に戻る依頼ってゼランド商会の商隊のことだったんだな。
でも何となくそんな気がしてた。
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