第232話 幸せなごはんを

 232 幸せなごはんを


 どうしよう。みんなが無言で食べている。

 

 屋台の裏に勝手に作られた食事スペースで、皆がゆっくりと、静かに、お皿に盛った鯛めしを食べていた。


 フェル以外はお箸を使えないからスプーンで食べている。


 そしてカランとお皿にスプーンを置く音が鳴り響く。

 そのあと追うように次々に皆がスプーンを置く音が続く。

 

 え?何この感じ。


「……ケイ。これは一体……」


 何?フェルまで?怖いよ。


「この料理は一体何なのだ?こんなに奥深い味わいは今まで経験したことがない。言葉にできないほどだ。……美味い。こんなに美味いものは食べたことがない」


「大げさだよ。確かに美味しく作れたと思うけどさ、おっちゃんところの魚が良かったんだ。美味しいもので料理を作ればそりゃ美味しくならないわけがないじゃん」


 フェルが今までに見たことがないような真剣な顔をするから少しびっくりしてしまった。


「ケイ。もうお前王都に帰らないでいい。領都で店をやれ」


 ローガンさんが真剣な顔で言う。

 それはまだ早いです。

 

「これは美味いな。米の料理がこんな高級な味がするとは思わなかった。王宮でも食べられんぞこんな料理は」


 アランさん……。大げさです。王宮でお米を食べてないだけの話だ。


「酒を飲むのも忘れてたぜ。魚ってこんな美味いもんなんだな」


 ザックが憑き物が落ちたような爽やかな顔で言う。

 そんな顔で真面目に言うけど、言っていることが昨日と全く同じだ。鯛めしに浄化の特殊効果はない。いいから飲んでよお酒。


 自分が引き起こしてしまったことだけれど、とりあえずおかしくなってしまったみんなをほっといて出来上がった鯛めしを僕も食べてみる。


 うん。鯛の出汁の味が力強く出ている。かなり強めだな。

 刻んで入れた生姜はいい仕事をしてるけど、もっと生姜の味が前に出ていてもいいのかも。

 炊くとき搾り汁を混ぜる?それとも一緒に炊かずに後から混ぜ合わせた方がいいのかな?

 

 一緒に炊き込んだからこそ生姜の風味が馴染んでるところもあるから難しい。

 ふた通りの作り方を試せば良かった。


 でも美味しい。改良の余地はまだあるけれどこんなに美味しく作れるとは思わなかった。きっと素材が特別良かったんだ。

 明日忘れずにおっちゃんにお礼を言おう。


 買ってきた食材も無くなって、お酒を飲んで盛り上がった冒険者たちは他の屋台から適当に料理を買って来て食べている。

 

 僕も買ってきた。

 

 前に食べて美味しかった串焼きと、前とは別の屋台で売っていたスープ。

 フェルが串焼きを美味しそうに食べて、僕は買ってきたスープを飲んだ。

 美味しいけど、無難な味といえば無難な感じがする。あまりスープだけが主張し過ぎても困るけど、うちの屋台の2軒隣の、トマトスープの複雑な味わいには勝てていない気がする。あれは僕の想像を超えた味だった。


「なんだ?スープにしたのか?料理の勉強?スープならギルドの前で売ってる婆さんのスープが美味いぜ。ちょっとした名物なんだ。ちょうどいい。明日買ってきてやるから食べてみろよ」


 冒険者の一人が親切に教えてくれる。

 ありがたい。どんな味がするのか楽しみだ。


「普段働いてる店ではいつもスープを作っているからいろんな味を知りたくて、いろいろ食べてみたいから助かります」


「いいって、それからな、俺たちにもザックと同じように接してくれ。聞いてるぜオーク退治の活躍は。みんな感謝してるんだ。領都の冒険者たち全員お前たちに会ってみたいって言ってる」


「そうなの?そんなに僕たち噂になってる?」


「噂、というか、どちらかっていうと焼肉パーティーだったか?その話でみんな騒いでるな」


「じゃあ明日はもっと人数増えるかな?材料多めに買ってこようか」


「たぶん今日の話が伝わって明日は大勢押し寄せるかもな。今日出してたナスの煮込みか?あれ美味かったぜ、明日も作ってくれよ」

 

 この人明日も来るのか。仕事は大丈夫なのだろうか。

 でも嬉しい。明日はちょっと張り切って作ってみよう。


 ビトと名乗ったその冒険者はCランクのパーティーを組んでいるらしい。明日はパーティーメンバーも誘ってくると言っていた。

 

 ラッセルさんが来て今日の営業はおしまい。

 ラッセルさんに鯛めしのおにぎりを渡した。ラッセルさんはおにぎりという食べ物に馴染みがなさそうだったけど、喜んで受け取ってくれた。

 相変わらず一言も話さなかったけど。

 

 屋台の片付けを済ませて僕たちは先に帰る。

 アランさんはいつの間にかいなかった。きっとまだ仕事が残っているんだろう。

 

 ガンツも先に帰った。工房に寄ってザックとシドの剣を持ってくると言っていた。


 屋台を返して、パンとお肉の発注を済ませて宿に戻る。

 フェルはもう宿に先に戻っているはず。フェルにはエドさんの屋台で果実水を買ってくるのを任せた。

 2人で半分こにすればいいから、好きな物2種類選んでおいでと言うと嬉しそうな顔をして買いに行った。


 宿に戻るともうガンツも帰ってきていて、早速シドとザックの出来上がった剣を渡される。

 当たり前だけどずっしりと重く、一目見ていい剣なんだとわかる。だけど不思議と持ち手は優しく手に馴染んだ。

 なんかガンツっぽい仕事だなって思ってしまう。


 そのガンツの仕事を台無しにしないように丁寧に仕上げをする。

 ガンツがそんな僕の姿を見て嬉しそうに微笑んでいた。


「それにしても美味かったぞ。流行るのも当然じゃ。オヌシの料理は優しい味がするの。何故だかわからんが食べると幸せな気持ちになる」


 夕飯をガンツとお弟子さんたちと食べながら、屋台の料理の感想を聞いた。

 もっと細かくいろいろ聞きたかったのに、ガンツもみんなも大まかなことしか言ってくれない。


 安心したいのかな?これでいいぞってときどき誰かに言って欲しくなる。不安な気持ちはいつでも抱えてる。

 

 前にハンバーグをひたすら焼く夢を見たことがある。

 

「ロイ、ダメだよ、まだそれは焼きが甘いから。肉の音が違うんだ。お肉がまだ食べちゃダメだって言ってるんだよ」

 

 ロイが笑いながら勝手にどんどんハンバーグを出していく。やめて、ちゃんとしてない物を出したら師匠に殺されちゃうよ。


 そしてガチャってドアが開く音が聞こえて、やばい!師匠だ!そう思った瞬間目が覚めていた。


 目を覚ましてから隣で静かに眠るフェルを見て癒されていたのは内緒だ。

 あの夢は怖かったな。


 夢の中でサンドラ姉さんは涼しい顔でずっとコーヒーを飲んでいた。


 思い出したら少しだけイラッとした。


 食事が済んだら明日の準備をするために厨房に行く。

 支配人にも声をかけてもらって、スティーブさんたちのために残しておいた鯛めしのおにぎりを食べてもらう。

 冷めちゃったので焼きおにぎりにした。


 あんまり焼きすぎると水分が飛んじゃってパサパサになるから、表面に軽く焦げ目がほんのりつく程度炙る。

 持ってきた鯛めしのおにぎりは3個。

 そのうち1個は支配人が食べて、残りはスティーブさんと厨房の人たちが分け合ってみんなで味見をしてくれた。


「これは……なんとも……贅沢な味ですな。魚の持つ旨みを全てお米に吸い込ませているのですか。そしてそのまま炊くことで一段とその味が濃くなっている」


 支配人は真剣な表情で味の感想を伝えてくる。スティーブさんは大きめに一口食べたあと、一度口を濯いで少しずつ米の味を確かめるように食べた。


「炊き込みごはんと言ったか、当然炊くのに使うスープが美味ければ美味いほど美味しくはなるだろう。だがこれは今まで食べてきたものとは全く違う。まだ工夫の余地は残されているようだが、これでも充分に美味しい料理に仕上がっている」


 僕がスティーブさんの料理に出会って感動したように、スティーブさんもこの鯛めしの出来に感動してくれた。純粋に嬉しい。


「おにぎりにしたのは持ってくるのにその方が都合が良かったからで、炊いた物をふんわりお皿に盛って食べるのが普通です。あとでここに薄く味付けした出汁をかけて雑炊にしたりしても美味しいです。だけどこれはお米の料理としてはけっこう高級な種類になるかと思います」


 支配人はスティーブさんと小声で少し話し合い、僕に真剣な顔で言った。


「ケイ様。この料理を領都の名物料理として完成させる気はありませんか?」


 え?名物料理?


「ケイ様も感じておられるかと思いますが、この領都には名物らしい名物、特別なものが無いのです。領都では様々な食材が手に入るのですが屋台の料理を全て集めたとしても、いまいち決め手に欠けるのです。ですから私たちはこの領都でしか味わえない特別な料理を作り出そうと日々研究しておりました」

 

「そこまですごい物ではないんです。どちらかと言うとスティーブさんの料理に影響を受けたと言うか、あの素晴らしく美味しい鯛の煮込みのスープでお米を炊けばきっと美味しくなるだろうなって作ってみただけで、その、僕の料理だと言うにはおこがましいというか……」


「ご謙遜されなくても良いのですぞ。このスティーブの真似が出来るというだけでもあなたには素晴らしい才能があることは間違いありません。もちろんまだまだ経験というものが不足しているのは仕方のないことです。けれどそれはこれからしっかりと身につけていけば良いこと」


 そう言って支配人は僕の顔をしっかりと見た。


「ケイ様。これは私からの提案なのですが、スティーブと一緒にこの料理を完成させてみる気はありませんか?わざわざ私たちに試食させたということはあなた自身もこの料理に足りない部分を感じていたからではないのでしょうか?この料理はこれだけでも充分に完成されている。けれどもその上で、さらにその先の可能性が秘められている。私が一番驚いたのはそこです。そしてこの料理は王国では間違いなくこの領都だけでしか作れない。王国のほぼ全ての食材と東の国から入る珍しい食材が手に入るこの領都でしか味わうことができない、まさに領都の名物としてふさわしいものになるでしょう」


 支配人の言葉を聞いて自分が感じていたことに少し整理がついた。

 きっともっと丁寧に作ればこの料理はさらに美味しくなると思ったけれど、具体的にどうすれば良いとか何か見当がついているわけじゃない。

 素材が良いからとても美味しく作れたってことは、結局僕の仕事はあまり関係がなくて単純に素材が良いだけだってことなんじゃないだろうか。


 ずっと心に引っかかっていたのは、僕じゃない人が作ったらもっと美味しく作れるんじゃないのかってこと。

 たとえばスティーブさんのような人に。

 

 炊き込みごはんを作るのはきっと誰にだって出来る。でも心が動かされるような美味しい炊き込みご飯を作ることは誰にでも出来るわけじゃない。

 

 僕は料理人になりたい。

 美味しくて食べた人たちがみんな笑顔になれる料理。

 そんな幸せなごはんを作れる人になりたいんだ。


「スティーブさん。お願いします。この料理はもっと美味しくなる。でもそのためにどうしたら良いのかわからないところがとても多い。僕は誰かの真似をする器用なだけの料理人にはなりたくない。僕は……、師匠やスティーブさんのような一流の料理人を目指したいんです」


 スティーブさんは優しい目で僕に微笑む。


「こういうのも何かの縁なのかもしれないな。実はあの戦争の時に私も義勇兵として参加していてね。そしてそのあとはずっと君の師匠のクライブたちと一緒に炊き出しをしていたことがあるんだ。だから君の師匠のクライブのことはよく知っているよ。クライブとはよく語り合ったものだ。お互いの理想を時にはぶつけ合ったりして。まだ私もクライブも若かったからね。小熊亭にはこの宿で働くことになった時、支配人と挨拶に行ったんだ。本当ならばクライブも一緒に領都の発展のために一緒に頑張って行くはずだったからね」


 支配人が当時のことを思い出しているのか、スティーブさんの話に頷いている。


「ケイくん。これから君が帰るまで私の知ってる限りのことを教えてあげよう。私は主に魚を使った料理が得意なんだけどね。その魚の扱い方で私が知る範囲のことは何でも教えてあげよう。君にもし時間があるなら一度港町に行ってみるといい。私は仕事があるから付き合えないけれど、その時は向こうに弟がいるから紹介してあげよう。きっとそこで見たものはこれからの君にとって有益なものになるはずさ」


 こうしてスティーブさんとこの鯛めしを領都の名物料理にするべく、いつも仕込みをしている時間に試作をしてみることになった。

 

 そして支配人には完成したレシピの料金のことで僕の考えていることを正直に話した。このことで僕がなんらかの利益を得るようなことがないようしっかりと頭を下げてお願いをした。

 

 だってこんなことって普通ありえないと思うんだ。

 

 ただの観光客がこの街で一番の腕を持った高級宿の料理長に、何の紹介状も持たずに直接指導を受けられる。もうそれだけで僕は満足だ。

 支配人はそんな僕の気持ちを汲んでくれて、きちんとそのことには配慮すると約束してくれた。


 僕には前世の記憶がある。

 そしてその記憶をさかのぼって料理を作る。その料理はどこか誰かの真似をしているような。

 そう、前世の僕の真似をしている、そんな気がしていたんだ。


 小熊亭に入って、師匠の仕事を見て、野菜の切り方とか大きさとか。

 わかった風なことを言ってそれを真似して。

 だけどちょっと圧力をかけられただけですぐに身動きが取れなくなって自分の実力の限界を思い知って、しまいに市場の人混みの中で大泣きして。


 アラカルトのメニューを教えられた時なんてかなり苦しかった。

 レシピ通りに作るけれど、料理にはそれぞれ作る人の考え方で違う手順の作り方があったりする。

 師匠はその考え方をそれぞれ僕に説明して、「お前ならどうする?」と必ず聞いてくる。

 答えられなければもう一度だ。不正解な時だってある。その間違いを自分で気づくまで何度もやり直しさせられる。

 

 毎日家に帰ってからお店のレシピをなぞるように繰り返し読んだ。


 師匠の口数が少ないことに僕は何か思うところなんてない。

 投げっぱなしで放置されているようで、師匠は僕にしっかりと、料理人になることはどういうことなのか教えてくれている。


 ただハンバーグを焼くんじゃない。美味しいハンバーグを焼くんだ。肉の焼ける音を聞いて、食材を一番美味しい状態に仕上げていく。


 僕の料理なんてまだよくわからない。

 だけど誰かの真似をし続けてもそれが見えてくるわけではないことを最近なんとなく感じてた。


 前世の僕が素晴らしい料理人だったかなんてわからない。

 その知識として知っていること、それはけっこう広く料理のことを網羅してるけど、実はレシピの本が好きで良く読んでいただけの単なる読書家だったかもしれないし、僕自身がどういう風に料理の仕事と関わっていたかなんてわからない。


 これから学んでいくんだ。まだきっとこの先がある。そう信じて進むしかないんだ。


「これからよろしくお願いします」

 

 そう言って頭を下げた僕を支配人はニコニコしながら見つめていて、スティーブさんはそんな僕の頭をくしゃくしゃっと乱暴に撫でた。











 

 


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