第202話 私は…… ⭐︎

 202 私は……


 風呂から上がるとケイはむにゃむにゃとした顔で椅子に座って待っていた。

 そんな油断した顔を見るのが実は好きだったりする。

 

 風呂にはいるケイを見送り、コップに水を注ぐ。


 水差しから氷がぶつかる音がして、少し笑ってしまう。


 私のために水を冷やしてくれたのだろう。

 まったく、あいつときたら。


 椅子に腰掛けて水を飲む。冷たくて美味しい。

 果実水にしてもよかったかもしれないと思ったが、今は食材が一切ないことを思い出す。

 きっとケイもおんなじこと考えたんだろうな。せめて氷くらいとか思って。


 思わず口角が上がってしまう。


 ケイがいなかったら、あの時ケイと出会わなかったとしたら、私は今頃どうなっていただろうか。


 野外訓練を行うと称して、私の所属する第一騎士団から副団長と他3名の騎士、そして私の5名は国境近くの山で野営の準備をしていた。


 自分のテントを作っている最中、私は男たちに囲まれて襲われた。

 前から副団長が私を見る目つきが気になってはいたが、ここまで外道とは思わなかった。

 

 真っ先に私に襲いかかってくる騎士の腕を切り飛ばし、怯んでいる隙に私は逃げた。

 夜通し森を走り続け国境を越え、朝方少しだけ休んでいたところを大きな熊に襲われた。

 強烈な熊の突進に弾き飛ばされ、足にケガを負ってしまう。

 何とか熊に深傷を負わせて撃退に成功したが、そのあと私は気を失った。

 

 次に目を覚ました時には、心配そうに私の顔を覗き込むケイの顔があった。


 私が山で倒れているところを、ケイが家まで運び手当をしてくれたらしい。

 私の足は折れていたそうだ。

 持っていた中級ポーションを惜しげもなく使い、私の治療をしてくれたらしい。


「内臓が傷ついてたら大変だからポーションもう1本飲んでおいて」

 

 そう言ってケイはポーションを惜しげもなく渡してくる。


 ポーション代を払う、と言ったが、私の荷物は野営地に置いたままだ。今の私に手持ちはない。どうしよう。

 私がオロオロしていると、ケイは、自分で作れるから気にしなくていいと笑いながら言う。母親が薬師だったのだそうだ。


 私が山で倒れていた理由を話すと、「剣とか鎧とか処分してもいい?山に捨ててくるよ」いきなりそう言い出した。

 

 私がもう騎士団には戻れないだろうし、構わないと伝えると、私の装備一式と飼っていたニワトリを1匹しめ殺してケイは山に向かった。


 帰ってきたケイは鎧を壊してニワトリの血をかけてきたと言う。私が山で獣に襲われたように偽装してきたと屈託のない笑顔でそう言っていた。


「たぶんそいつらフェルを探しにくるよ。そういう奴らってけっこう執念深いから」


 ケイの言う通り奴らは私を探しにきた。

 私にその報告をしたあと、ケイは道案内を頼まれて山に同行したらしい。

 どうか無事に帰って来ますように、この親切な青年が部屋を出ていくのを見送り、私はそう願った。


 どういう風にケイが偽装したのかはわからないが、奴らは血で汚れた私の剣と鎧を持って国に帰って行ったそうだ。

 なんでも無いことのようにケイは簡単に説明するが、私は理解が追いつかなかった。


 ケイは時々信じられないくらいの洞察力を発揮する。

 聞けば私の2歳下、まだ当時15歳なのに、その15歳とは思えないような思慮深さは、熟練した大人のような空気を感じさせる。そんな不思議な青年に私は興味を持った。


 そしてそのあと村を出る私にケイは平気な顔でついてきた。


「そのうち村を出るつもりだったし、大体フェルお金持ってないじゃん」

 

 道中ケイはそう言っていた。


 話によれば、ケイは村長の息子と仲が悪く、その息子が村長になれば村に居づらくなるのがわかっているので、近いうちに村を出て王都に行き、何か仕事を探すつもりでいたらしい。


 そして王都に向かう旅では何から何までケイの世話になりっぱなしだった。


「気にしなくていいよ。王都に着いたらさ、2人でがんばってやりたいことを見つけよう。きっと何か見つかるよ。もちろんフェルが嫌なら王都に着いてから別々に暮らしたって構わない。でもたぶん1人より2人の方がいろいろ協力し合えると思うんだ。2人一緒なら多少苦労したとしてもきっと毎日楽しいはずだよ。だから野宿するしかないときは、2人で野宿する。その代わり楽しいことも2人一緒に楽しんで、笑って生きていこう」


 王都に向かう旅の途中、屈託のない笑顔で、ケイは私にそう言った。


 あれからもう一年になる。

 ケイと一緒にいて嫌だと思ったことは一度もない。

 むしろもうケイがいなかったら今頃私は娼婦にでもなっていたかもしれない。

 怪我をして、冒険者を続けられなくなって。


 私は世間知らずで、愚かで、剣以外何も知らない不器用な女だった。


 ケイはいつも変わらず私のことを気にしてくれている。

 節約して私の装備を整えて、今も使ってる剣は錆びてボロボロのだったものを磨いて新品同様に使えるようにしてくれたのだ。後にガンツという名工の作品だと知るが、そのボロボロの剣を手入れして渡してくれた日は嬉しかった。剣があればもっとケイの役に立てる。今思うと恥ずかしいが、子供のようにはしゃいでその日はずっと夜更けまで素振りをした。


 小熊亭で働き出してからは、店がどんなに忙しくても毎朝必ずお弁当を作ってくれた。

 そして帰ってくるといつも優しい笑顔で私を迎えてくれた。賄いを自由に作れるようになってからは私にいつも何が食べたいか聞いてくる。毎回オムライスというのが恥ずかしくて、いつもなんでも良いぞと答えてしまうのだけれど。


 ……ケイは何をするのでも私の都合を優先したがる。


 王都に来てから、ケイがやりたいと言ったことは、意外に少ない。スラムでの炊き出しと、小熊亭で働くこと、今回の旅行。 

 これくらいだ。


 そう言えば王都に着く直前で、私の靴が体に合ってないとか言って烈火の如く怒り出し、サンダルを買って帰って来たことがあったな。

 

 怒って宿を飛び出して、帰って来たらシュンと泣きそうな顔で言ったのだ。


「サイズがわからなかったから靴が買えなかった。王都に着いたらちゃんとした靴を買うからそれまでこれで我慢して」


 そう言ってブカブカのサンダルを私にくれたのだ。あの時は嬉しかったな。

 

 国を捨て、1人きりになってしまった私のことを親身になって心配して、さらに怒ってまでくれる人がいる。ケイのその純粋な気持ちが嬉しかった。

 

 王都に着いて、全財産を使ってまず私の靴を買って、そのせいでギルドの登録料が足りなくなって。受付の人に相談して。

 

 たしかその時、今使ってる剣も売ってもらったんだっけ。バタバタしてたけど面白かったな。


 今思えばそれもケイのやりたいことの一つだったのかもしれない。

 

 あのサンダルを買って来てくれた時、私はその時初めて、この先ずっとケイと一緒にいたいと思ったのだ。


 私はその時のことを思い出して、声を殺しながら静かに笑った。あまり騒げばケイに聞こえてしまう。

 あの時買ってもらったサンダルは今も王都の家の寝室に飾ってある。恥ずかしいから捨てろとケイは言うが、あれは私の大切な宝物なのだ。


 そして今回のこと。

 

 オークの攻略作戦が始まる前に、ケイはこれまで見たことのない力強い表情をして、優しく、静かに。

 

「みんなの役に立ちたいんだ」


 そう言った。


 もともとは私が巻き込んだようなものだ。

 領都でもウサギ狩りをしてみたいと言い出したのは私。

 森の異変を報告してから、ゴブリンの巣の討伐の依頼を受けたいと言ったのも私。


 ケイは、「いいよー。一緒に行こう」そう言っていつものように笑顔でついて来た。

 作戦が深刻になるにつれて、私はずっとケイに申し訳ないという気持ちでいた。


 こんなことに巻き込んでしまって。


 だけどそんな気持ちがケイの話を聞くにつれ、少しずつほぐされていき、気づけば私は涙をこぼしていた。

 それがどんな感情だったかと説明するのは難しい。

 罪悪感で心に穴が開くくらい悩んでいた私にケイの言葉は力をくれた。

 

 オークとの戦いのさなか、ケイの活躍には正直、鬼気迫るものがあった。


 前から弓の腕はいいと思っていたけれど、本気で魔物との戦闘に弓を使う姿を見たのは初めてだ。その腕前は私の想像を遥かに凌駕していた。


 普段、私たちの狩りの仕方だと、ホーンラビットとはいつも混戦になる。

 弓が使えるのはせいぜい最初の1、2回で、あとは集まるホーンラビットを剣で倒していく。

 どうしてもそんなやり方になってしまう。


 確かに弓が目立つような戦い方ではない。


 一度オーク狩りに誘ったこともあったが、無理だよすぐ殺されちゃうとケイは言って断られた。

 私もケイは冒険者向きではないと思っていたので、それから無理に誘わなくなった。


 苦しげな表情でオークに狙いをつけ、何度も何度も矢を放つ。

 おそらく気配察知を使い続けているんだろう。

 頭のなかが焼き切れそうになっていたのではないだろうか。

 私は隣でケイに次々と矢を渡していくことしかできなかった。

 ケイの放つ矢は一つも外れることなく、数多くの仲間の窮地を救い、戦場の流れを変えて行った。

 一流の弓使いが後衛にいると、こうも戦場の流れが変わるものかと、その効果が恐ろしくも思えた。きっと乱世ならケイは英雄になれるだろう。


 どんどんオークを倒していくケイ。

 矢を放つたびに目つきが鋭くなり、どんどん呼吸が荒くなっていっていた。


 血走った目でオークの死体を量産していくケイを見て、このままだといつものケイがどこかに行ってしまうんじゃないかと思って怖くなった。


 いつも優しいケイ。

 

 私に微笑む笑顔。

 私の隣で眠るケイの温もり。

 私の大切なケイ。


 ケイと離れて外で戦っている時も私は不安でたまらなかった。

 1秒でも早くケイのところに戻りたい。


 ジンには飛ばし過ぎだと怒られたが、焦る気持ちは止められなかった。目についた敵からどんどん切り刻んでいった。


「なんかうまそうな匂いがしないか?」


 そう誰かが言い出し、私は我にかえる。

 その匂いは砦の中から漂って来ていた。


 ケイの作る味噌汁の匂いがする。

 あぁ、ケイが、いつものケイが私の帰りを待ってくれている。


「フェルがお腹空いてるだろうと思ってごはん作っておいたよ」とか言うんだろうな。

 戦場にいてお前くらいだぞ、そんなこと普通に笑顔で言える奴。

 たとえ戦場にいても普段通りの行動ができるその芯の強さを尊敬してしまう。


 気づいたら私は大きな声で笑い出していた。


 そうだ、すごいんだぞ、私のケイは。

 剣が使えなくたって、力が弱かったって、英雄じゃなくたってすごいんだ。


「みんな!終わったら美味しいご飯が待ってるぞ!楽しみにしておけ、ケイの作る料理はうまいからな!」


 そうだ。みんなも知るといい。ケイはたとえ弓なんて使えなくても、オークなんて倒せなくても、とにかくすごい奴なんだ。

 

 その瞬間から私は変わったと思う。


 これからは騎士としてでもなく、冒険者としてでもなく、ただ一人の女として愛する人と生きていきたい。


 戦いの中に身を置く暮らしよりも、愛する人との日常こそ大切にしたい。


 いつもケイの隣にいたいのだ。


 もう離したくない。


 もう離れたくない。


 私は……


 ケイを愛している。






 
















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