第128話 ボタン
128 ボタン
手を繋いで寝るだけの、ささやかなお願いだった。そのはずなのに一体なぜにこうなってしまったのか。
フェルのパジャマの上のボタンが取れてしまっている。露出した胸が僕の腕に当たっていた。
これで寝返りでも打ってしまったら中身が見えてしまいそう。
紳士とは何であろうか。
答えのないその問いを懸命に考えることで少しずつ落ち着いてきた僕はフェルを優しく起こした。
フェルが寝ぼけながらも、ボタンが取れたことに気づいて、布団の中を探し始める。
慌ててフェルから顔を背けた。チラッと……その……見えてしまった……。
急いで着替えて外に出る。
顔が熱い。味噌汁を作りながら顔のほてりがとれるのを待った。
着替えて出てきたフェルと市場まで走りに行く。
揺れるフェルの胸をチラチラ見ながら家に戻った。
家に戻るとフェルが恥ずかしそうに僕から遠ざかる。まずい。バレてた。
全力で謝った。
エリママのところに向かうフェルと別れて店に向かう。
昼の営業が問題なく終わり、夜の仕込みをしようとしていたら、昨日のビーフシチューの仕込んである肉が少し違うことに気づいた。
「サンドラ姉さん。ビーフシチューの仕込みって昨日誰がやりました?」
「あら、気づいたの?昨日仕込みをやったのはアタシよ。クライブとは少し違うでしょう」
「内臓が、なんて言うか、ハリがあるというか。いつもより柔らかそうな感じです。どうやったんですか?」
「簡単よ。洗う前に沸騰したお湯をかけただけ。クライブは油が落ちるからやらないけど、アタシはそうした方が具材として美味しくなる気がするのよね」
なるほど湯引きか、まだ完成してないビーフシチューを温めて優しくかき混ぜる。
「油が落ちちゃってるからコクが足りないようならバターを足しなさい。クライブは原価が上がるって怒るかもしれないけど」
「わかりました」
ビーフシチューを味見してみると、確かに内臓がぷるぷるして美味しい。
内臓も一緒に小皿に盛って師匠に味を見てもらう。
「今度からサンドラのやり方でやれ」
そう言われた。
夜の営業を終えてお風呂に入りに行き、フェルが出てくるのを待ちながらレシピ帳をまとめる。3男が選んでくれたこの手帳はとても便利だ。紙を外せるから種類別にまとめることができる。ビーフシチューのレシピを更新しておいた。
フェルが来たので髪を乾かしてあげる。
フェルは明日もエリママのところに行くのだそうだ。なんかすっかり懐いてしまっているな。
家に戻ってケチャップを作る。昨日けっこう使ってしまったからだ。
フェルが横でパジャマのボタンを付けている。
今朝のことを思い出してしまって顔が熱くなってしまった。
綺麗だったな……いや、もうやめよう。
ケチャップを瓶詰めしたらもう寝ることにした。瓶をマジックバッグに入れてテントに入る。
「寝るのか?ならば私もそうしよう」
できれば今日は1人で着替えたかった。
理由は話せないのだけど。
先に布団を引いて、パジャマに着替えたら滑り込むように布団に入る。
フェルも布団に入ってきて僕のそばに体を寄せる。
「ケイ?ポケットの中に何か入っているぞ?」
フェルが僕のポケットの中に手を入れようとする。
違う。それが入っているのはポケットの中ではない。
「いや、その……そうじゃなくて」
もぞもぞとポケットの中身を探していたフェルが、少し遅れてパッと僕のポケットから手を離す。
フェルも気がついたみたいだ。みるみる顔が赤くなる。
「その……すまなかった。そう言う時も……あるものな。気にするな。私は平気だ」
恥ずかしくてその日はお互い背を向けて眠った。
次の日、目を覚ますと、背中を向けて寝ていたはずなのにいつの間にかフェルと向き合って眠っていた。
フェルを起こして走り込みに出かける。
フェルはギルドに寄ってからエリママのところに行くらしくて、ギルドの前で別れて店に向かった。
なんかフェル元気なかったな。昨日あんなことになっちゃったからかな。
大量にタマネギを刻みながらフェルのことを考えていた。
「ケイくんいつもより作業が早いっすね。でもそれくらいにしとかないとハンバーグで使いきれなくなっちゃうっすよ」
ロイに言われて気がつくといつもより余分にみじん切りにしてしまっていた。
「ロイ、どうしよう。考え事してたらこんなに切っちゃった」
「残りはロールキャベツに使うから大丈夫っす。ケイくんもそんなことあるんすね。なんか安心したっす」
ロイが笑顔で僕にそう言った。
「僕なんて失敗してばかりだよ。先にロールキャベツに使う分切っちゃうね」
「入ったばかりなのにもうこんなに仕事ができるからすごい人なんだって思ってたんすよ。なんかかわいいところもあるんすね」
「仕込みは5歳の頃からやってたからね。でも僕だっていろいろ失敗するよ。じいちゃんのスープ丸々ダメにしちゃったこともあるし」
ロイがロールキャベツを作るのを待ってくれているので急いでニンジンを刻んだ。
ロイがその早さに驚いている。
気を取り直して仕込みを続ける。
集中してやったらあっという間にハンバーグの仕込みは終わった。だいぶ慣れてきたな。でも慣れてきたからこそちゃんと集中しなければ。しっかりやろう。
サンドラ姉さんが来たので、ビーフシチューの前日仕込みの手順を教えてもらって、今日の分と合わせて仕上げていく。昨日仕込んだものは内臓を湯引きしていない。
湯引きのやり方を教えてもらって実際にやってみる。なるほどけっこう脂が落ちるんだな。しかも汚れが取りやすい。いいなこのやり方。とりあえずノートに書いておく。あとでまとめよう。
「ロイ、ロールキャベツのスープも出来たよ。入れちゃって」
ロールキャベツのスープを味見して前に師匠の作ってくれた味に仕上げた。
「ケイくん早いっすよ。まだ巻き終わってないっす」
「だからスープは得意なんだってば。村では毎日作ってたし。毎日スープとパンなんだよ。信じられる?肉なんて月に2、3回しか食べられなかったんだから。かなり工夫して作ってたんだよ。少しでも美味しくしたいから胡椒も自分で作ってたんだ。それに比べたらこんなの全然楽だよ。いい食材も使えるし、すごく美味しく作れるし。王都ってやっぱりすごいよ」
「そんなに田舎だったんすか?肉が食べられないってどう言うことっすか?」
「うちの村の周りには畜産農家がいなかったんだよ。行商人が持ってくる干し肉か家で買ってたニワトリを締めるか、山で運良くウサギや鹿が獲れた時とかしかお肉なんて食べられなかったんだ」
「ケイ。あんた意外とたくましい暮らしをしてたのね。胡椒って自分で作るものだとは思わなかったわ」
「野草とかうまく使って美味しくしようとした時があって、一度気付かないで毒草を入れてしまってスープの鍋を丸ごとダメにした時もありました」
「そ、そうなのね。大変ね」
野生の鹿の骨で出汁をとると、臭みを消すためにいろいろ下処理をしなければいけなかった。
その点ホーンラビットは良い。安くて良い出汁が取れる。鹿を狩りたいと思う気持ちはもうあまり無かった。
ロールキャベツを巻くのを手伝って、スープの中に入れあたため始めたら、サンドラ姉さんがコーヒーを入れてくれた。
今日はクッキーを作ってくれたみたいで、厨房の椅子に座って3人で食べた。
「ケイは日に日に仕事が早くなって来てるわね。まあ丁寧に仕事してるから良いと思うわ。でもクライブが来る前にロールキャベツとビーフシチューまで作れるとは思わなかったわよ。これは何か夜のメニューを増やしても良いかもしれないわ」
「最近お客さんも増えてるっすもんね」
「たぶんフェル目当てね。でもケイ安心して、あたしが目を光らせてるから変なことする奴なんていないから」
「テーブル少し詰めれば、あの角の荷物片付けてもう一席増やせませんかね」
僕は店の奥を指さして言った。
「あーあの角の荷物ね。2階に持って行ってしまおうかしら」
客席が増えればそれだけ売り上げも上がる。
「それなら入り口側にも2人席くらいなら増やせそうっすよ。椅子の配置を工夫すれば良いっす」
「確かにそうね。クライブに相談してみようかしら」
ロールキャベツの様子を見ようと立ち上がったら師匠が来た。
仕込みの進み具合に少し驚いたようだった。
ロールキャベツの火を弱めて仕事を再開しようとしたら師匠がまだ良いから座ってろと言う。
仕方なく座ってコーヒーの残りを飲む。
師匠が僕の作ったスープの味を順番に見ていく。緊張して落ち着かない。
ゆっくりと全ての料理を味見して、「問題ない」そう一言だけ言って2階に上がって行った。
「実際良くやってると思うわよ。あのクライブが何も言わないんだから」
「そうっす。自分なんて最初の頃はいつも怒られていたっす。今もっすけど」
そう言われて少し嬉しかった。
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