第111話 幕間 2
111 幕間2
汚れた服を脱ぎ、動きやすい質素な服に着替えて、老人はソファに腰掛けた。
「今日は良い日であった。2人とも良い若者だったな」
そう声を発したのはこの国の王、レオナルド1世。
レオナルドは私室で過ごす時間は派手なものは好まず質素な物を好んだ。着ているものでさえ平民とそんなに変わらない服を着ている。
今着ている服は歳の離れた妹がレオナルドに贈ってくれたものだ。
部屋も派手に飾られておらず、一見、普通の平民のような暮らしのように見える。
もちろん置いてある家具は全て名のある職人が作った高級品なのだが。
「そうですねぇ。2人ともとっても仲が良くって微笑ましかったわ。あんなに椅子を寄せて2人でくっついて座って。なんだか若い頃を思い出しちゃったわ」
レオナルドが脱いだ服を綺麗に畳み、洗濯カゴに入れるのは、この国の王妃、アンヌ=マリーだ。
彼女もまた飾り気のない質素なワンピースを着ている。
「しかし今日で良かったな。他の日であればあんなに時間は取れなかった。ライアンから知らせがあったのは昨日だったか。2人がちゃんと来てくれて良かったな」
「あなたずっと楽しみにしてらしたからね。お茶を飲みながらソワソワして。あんなに楽しそうなあなたを見るのは久しぶりよ」
そう言ってアンヌ=マリーは優しく夫に向かって微笑む。
「しかしあのお弁当というのは美味かった。つい王城の厨房で働かないかと声をかけてしまうところであった」
「そうね。きっと味付けが優しいのよ。フェルちゃんの好みに合わせているのね。相手のことを想ってつくるからかしら。私も今度お弁当をあなたに作ってみようかしらね」
「それは楽しみだ。確かにあのフェルが言っておったように、愛する者から渡されたお弁当の蓋を開けるのはさぞ楽しい瞬間であろうな」
「愛する者だなんて、なんですか。いまさら恥ずかしい」
「照れることはないじゃろう。ワシはお前と夫婦になって良かったと今でも思っているぞ」
「そんなこと言っても出るのはお茶くらいしかありませんよ」
そう言ってアンヌ=マリーはお茶の支度をする。
今でこそ平和だが、レオナルドの代の王国はいくつもの厄災に見舞われた。
レオナルドが即位してしばらく経った頃、西の山脈に魔竜が棲みつき、そこから魔物の群勢が王国を襲うようになった。
土地は荒らされ、王国は壊滅的な被害を受けた。レオナルドは私財を投げ打って民のために動いたが、それでも住む場所や親を亡くし路頭に迷う者、冬を越せずに凍え死んでしまう者が大勢いた。
古い書物を読み解き、異世界から勇者を召喚したのが今から15年ほど前、まだ若い少年と少女は神の奇跡をもって、王国の騎士や有志で結成したパーティと共に魔竜を打ち倒した。そこから復興に全力を注ぎ安定しかけた矢先に、今度は帝国が大軍を率いて東の領都に攻めて来たのだ。
領都が陥落すれば次は王都に攻め込んでくる。当時の王国の戦力では到底勝ち目はなかった。
勇者たち2人は諸国を見て回りたいと旅に出たところだった。もう奇跡には頼ることもできず、心無い貴族たちは王都から逃げ、自分の領地に立て篭もった。
当時王城に残っている兵士は3000人にも満たなかった。
レオナルドはかつて魔竜を打ち滅ぼした時の功労者であった冒険者を呼び出した。
その冒険者は魔竜の討伐の後、いまだ各地に残留する魔物たちを討伐し続けていた。
当時のその冒険者のランクはSクラス。今ではほとんどいないが、魔竜の影響により魔物の脅威が迫っていた当時の王国の冒険者ギルドには強者たちが揃っていた。
「どうかこの国を救って欲しい」
王にそう言われたその冒険者は、すぐに同じ冒険者の仲間たちを連れて領都に向かった。
その中にはかつて魔竜の討伐で功績のあった者たちが大勢参加していた。
領都を治めていた当時の辺境伯は、本来領都を守るはずの軍勢を引き連れ早々に逃げ出していた。
中にはついて行かず領都のために残った兵士もいたようだが、その数は少なかった。
その冒険者が領都についた頃、帝国の軍勢は領都のすぐそばまで迫っていた。
冒険者たちはゲリラ戦を繰り返すも、大軍の前ではいかなる戦果を上げようが焼石に水だった。
そして領都は帝国軍に完全に包囲される。
後にその冒険者の報告でレオナルドは知ったのだが、帝国軍の大半は侵略した国から奴隷として連れて来られた者たちで構成されていたらしい。たくさんの罪なき者の命を奪ってしまったと、その冒険者は悲しそうに王に報告した。
冒険者たちは帝国の正規兵に果敢に攻撃を仕掛けたが、その度に帝国の兵士は奴隷兵を盾にして退却していったらしい。
これでは埒があかないとその冒険者は賭けに出た。領都を囮に使い、後方で指揮をしている帝国軍の中枢を叩きに出陣した。その時領都を守っていたのは街で志願した義勇兵と数人の冒険者たちであったという。
その電撃戦に見事勝利し、帝国軍は撤退することとなった。
その戦争から10年経つ。
旅の途中で知らせを聞き、領都に駆けつけた聖女により、戦後領都の民は手厚い治療を受け、領民に1人も死者はでなかったそうだ。行き場を失った奴隷たちも聖女によりその制約から解放されて、その後領都の復興のために懸命に働いた。今では領都で仕事を得て領民として穏やかに暮らしているらしい。
その時に王国の危機を救った冒険者たちは皆戦いから退き、今は普通の暮らしをしている。
中にはまだギルドに所属して、しかるべき役職についている者もいるが、皆凄惨な戦いに疲れ、冒険者を引退していた。
王国はその功労者たちに充分な褒賞を出すことができなかった。
レオナルドはそのことを今でも悔やんでいる。
レオナルドが質素な暮らしを好むのは、自分が贅沢をする余裕があるならばその金で民に手厚い援助をせよと、日頃から考えているからだった。私室にある高級な家具はレオナルドの本意ではなかったが、戦後、王に取り入ろうとする、当時いち早く自領に逃げた貴族たちから贈られたものだ。
派手なものはこっそりと売りに出し、復興の資金としたが、比較的落ち着いた意匠のものは私室に残しておいた。
そうしなければ角が立つからである。
レオナルドは戦後、王国の至る所に公衆浴場を作らせた。領都復興の際、まず聖女が造らせたのは、皆が温かい湯で体を洗える施設だった。
銭湯と呼ばれたその施設を参考にして、腕の良い鍛治師だったドワーフに頼み、公衆浴場を王都の各地に造らせた。そのドワーフは素晴らしく腕の良い武器職人だったが、戦争の後、武器を作るのをやめてしまっていた。
10年が経ち、王都はかつての繁栄を取り戻しつつある。人口が増え、もはや住む場所に困るほど今の王都は手狭になってしまった。
城壁の拡張工事が計画されるが、まずは貴族の住む地域から工事は着手された。資金を出しているのが、王城に役職を持つ高位の貴族たちだったので、その計画にレオナルドも強く意見を言えなかったのだ。
実際、王都復興の資金は、当時自領に全く被害がなく、さらに戦後の特別需要で利益を出した貴族たちから出資させていた。
その代償として彼らに王城でそれなりの役職を与え、今に至る。
目の上のたんこぶのように、議会でふんぞりかえるその貴族たちがレオナルドは嫌で仕方なかった。
しかし、それらの貴族たちに対抗できる可能性が出て来た。
とある冒険者が思いついたという、ホーンラビットの大量駆除の方法だ。
戦後レオナルドはまず民が飢えることのないように農地を広げ、農民たちを支援した。
長年勤めた騎士が引退して開拓村を作った時も、レオナルドは自分の私財から援助を行った。
その騎士は領都の防衛戦で功績を残したが、騎士団に戻るとあらぬやっかみを受け、しばらくして辞職をレオナルドに願い出た。
レオナルドは王国のために尽くしてくれる人材が自分から離れていくことをひどく残念がったが、王都の近くの空いている土地を与え、その騎士に支援金を渡した。
ところが時がたち農作物はある一定の収穫量に届いたが、そこから全く生産力が伸びてこない。
原因を調査させると、ホーンラビットの被害によるものだとわかって来た。
だがそのホーンラビットを駆除しようとしても騎士団では細かい対応が難しく、駆除してもまたすぐにホーンラビットはその数を増やしていた。冒険者ギルドにも常設依頼として支援金を出して討伐をさせてはいるが、一向に作物の被害が収まる気配がない。
大規模な駆除作戦が計画されるが、それにかかる費用も馬鹿にならず頭を悩ませていたところに、南支部のギルドマスターであるライアンがこの話を持って来たのだ。
ライアンは元は騎士団に所属していたが、魔竜の厄災の時にいち早く騎士団を辞め、魔獣の討伐に参加していた。当時の騎士団では自由に魔物の討伐の活動ができなかったからである。
冒険者を率いて各地の魔物を討伐し、多くの功績を上げ、今のギルドマスターの職を与えられている。
領都の戦いに本人は参加するつもりであったが、王都の最後の守りとして、レオナルドが無理を言って残ってもらったほど、その部隊を指揮する能力は高かった。
本人の持っているスキルなのか、レオナルドはライアンに人の才能を見抜く不思議な力があると思っていた。
ライアンが部隊を編成し、冒険者たちに役割をふれば、その冒険者たちは普段以上の活躍を見せるのだ。
レオナルドはライアンに当時のことをとても感謝しているが、王国を想う優秀な者たちが自分の周りから離れていくのを寂しく思っていた。
できればライアンに今の王国の騎士団を率いて欲しいと思ってはいるが、この平和な現在の王都ではその必要は無さそうだった。
唯一、臣として残ってくれたのは領都の危機を救ってくれと送り出した冒険者だ。その冒険者はもともと領都の生まれで孤児だった。
レオナルドはその冒険者を新たな辺境伯に任命して領都の復興を任せた。
領都もこの10年でかなりの発展を見せている。当時復興のために作ってしまった多額の借金が返せたなら、これから領都はますます発展していくだろう。
今は無理だが、引退したら領都で農民として静かに暮らしていきたいと、密かにレオナルドは考えている。領都は今まさに活気のある街に発展しつつあるという。
その時のために、実務はほぼ王太子に任せ、王城の一角で、畑を耕し野菜を育てている。
マリーは最初は慣れない手つきで手伝っていたが、今では一緒に畑を耕し、楽しそうに作業している。
レオナルドは一緒に畑を始めてから会話も、夫婦の仲も良くなったと実際感じていた。
ライアンの提案で、各地でのホーンラビットの駆除の作戦が今まさに動いている。
レオナルドはマリーの淹れてくれたお茶を飲みながらその報告書に目を通した。
この春の収穫量は今までのおよそ1.3倍が見込めると報告書には書かれていた。
そうなれば隣国に輸出もできて外貨も獲得できる。今隣国では食料が不足しているため、かなりの収入が見込めそうだ。
国庫に資金が貯まれば、国が主導で行う公共事業もやりやすくなる。いちいち大貴族たちの顔色をうかがう必要がない。
レオナルドはその収益で王都の南側の拡張工事に取り掛かるつもりでいる。
スラムで不自由な生活をしているものに仕事を与え、生活の援助をして、ゆくゆくはスラムを解体し、その地区に住宅街を王家主導で作るつもりだ。
以前に、転生して来た若者から、国が主導で住宅を作り、安く販売、あるいは賃貸で住まわせる公団住宅というものがあると、レオナルドは聞いていた。
その公団住宅を建てたらレオナルドは王位を退くつもりでいる。
「なぜに王国のために尽くしてくれる者たちほど、こうも無欲な人間ばかりなのであろうな」
レオナルドは今日の午後、そんなに裕福な暮らしをしているわけではないのにも関わらず、出会ったばかりの素性がわからぬ者に自分の食べ物を渡して笑顔になった、あの若者のことを思い出していた。
「みんなで食べた方が美味しいじゃないですかとか言っておったな。あの若者の笑顔は見ていて気持ちが良かった」
「そうですね。今の時期珍しいから温室のトマトを渡したけど、アンナの話だとフェルちゃんがトマトが好きだからって、あんな物でもとっても喜んでいたらしいわ」
「あの者の王都に残した功績は袋いっぱいのトマトでは釣り合わんのにな。一応一筆書いて袋の中に入れておいたぞ。困ったことがあればなんでも相談しろと書いておいた」
「まぁ!あなたったら余計なことをして。ケイくん途中で私たちのことに気づいていたわよ。あの子とても頭が回る子ね。動揺を必死に隠していたわ。どうするのよ、あの子達がもう怖がって来なくなっちゃったら」
「やはり不味かったかの。しかしあのような真っ直ぐな若者をみるとつい応援したくなってしまう」
「気持ちはわかりますけどね。欲のない人たちは自分たちには不相応だと感じる褒美を与えたら怖がって離れて行ってしまうわ」
「そうじゃな。いつかあの若者の気持ちに報いる日が来ればいいのだが。しかし貴族以外の王国の民からご飯をご馳走してもらったのは生まれて初めてじゃな。しかもとても美味い飯であった。また機会があれば食べたいものだ」
「そうですね。また会いたいわ。2人ともいい子たちですもの」
レオナルドは今日会った若者がいつか店を開いたならそこに食べに行こうと思っている。
国のために尽くしてくれた皆が、望んで自由になり、幸せに暮らしているという話を聞くたびに、レオナルドは常々うらやましいと思っていた。
自分もこの国のために充分尽くしたのだ。そろそろ自由になってもいいだろう。
レオナルドはいつかあの若者が開く食堂の常連になり、畑を耕してつつましく暮らす未来を想像して微笑んだ。
この後、マリーがおにぎりを作りたいと言って精米器を取り寄せた際、その精米器を扱っている商会に嫁いだ義理の妹のところに、フェルが時折遊びに来ていることを知る。
マリーが時折、そのお茶会にお忍びで参加するようになったのは近い未来のまた別の話だ。
そのお茶会にはいつも美味しいお菓子が添えられていたという。
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