第51話 小熊亭
51 小熊亭
今日は怖い顔のマスターはいないようだった。
僕たちはカウンターに座り、3男はオニオンソースのハンバーグ。僕はオークステーキを注文する。
メインの焼き場には背の高い、すらっと細身な長髪の男性が立ち、奥には年配の男性と、若い男の人がいて厨房を3人で回していた。
かなり忙しそうに作業している。
20分ほどで料理が来る。
「お待たせしてごめんなさぁい。今日はマスターが休みを取ってて、忙しいのよ。あら?こちらの方ははじめてね。ゆっくりしていって。お詫びにコーヒーご馳走してあげるから」
語尾にハートマークがつきそうな、なよなよっとした話し方で、お兄さん、いや、たぶんオネエさんは焼き場に戻った。
オークのステーキは信じられないくらい美味しかった。今まで食べたどの肉よりも美味しい気がした。トマトソースが完成度が高い。
前世の知識にはあまり高級な食べ物の記憶がない。
美味しい肉の記憶なんて、給料日に並んで行った有名店の焼肉の記憶くらい。
トマトソースがとても美味しくて、これは参考にしたいと思い、ノートに使っているであろうスパイスやハーブの種類などを夢中で書き出していった。
なんだろな?ちょっとクセがあって、でもあまり嫌ではなくて、コリアンダーかな。ほんの少しだけ使ってる。
市場でコリアンダーはまだ見つけていない。似ているだけで僕の知らない香草かもしれない。
トマトはじっくり時間をかけて煮込んでるのかな。もしかしたらトマトを継ぎ足して何日かかけて作るのかな?とても熟成した味がする。
こんな風に思いついたことを、ステーキを食べながら夢中でメモをとる。
オネエさんが僕の様子が気になったのかノートを覗き込む。
少し驚いた顔をしたオネエさんはニヤッと笑ってまた仕事に戻っていった。
食後に厨房の奥にいた年配の男性が、コーヒーを持って来てくれる。
コーヒーはオネエさんの私物らしい。
小熊亭は普段、昼はお客さんの回転をよくするためにお茶以外の飲み物は出さないんだそうだ。
カウンターからオネエさんにお礼を言うと、オネエさんはこちらをみてかわいくウインクをした。
こんな店で働けたらいいな。
せっかく勉強するなら自分で美味しいって思える料理を出すところがいい。
フェルと2人で、週1回どこかで外食するのもいいな。美味しい店を探してみたいな。
コーヒーを飲みながら、3男にどこかいい料理屋を知らないか聞いてみる。
この辺だと他に2軒くらいしかいいお店はないみたい。
北区の方には少し高級なお店があって、そこなら何軒か知ってると言う。庶民でも入れて、何かの記念日とかに行くお店なんだそうだ。
ちょっとまだ高級なお店は無理だと3男にいうと、「そうだよねー。まずはフェルちゃんの装備を整えないとケイくん心配だもんねー」と冷やかされる。
たまにギルドの依頼に調理の手伝いみたいなものが入ってくることもあるらしい。
従業員がケガしたり、奥さんが妊娠したりなど、短期で代わりの従業員を募集することがたまにあるそうだ。
「はじめはそういう依頼を受けてみて感じをつかむのもいいと思うよー。ケイくんなら上手くやれると思うなー。でもまずは装備なんでしょー。装備がしっかりしてないとケイくん、フェルちゃんと離れて仕事できないもんねー」
その通りです。3男。よくわかっていらっしゃる。
いろいろ今日はお世話になったからお昼は僕がご馳走した。
お金を支払ってオネエさんにもう一度お礼を言って店を出た。
小熊亭を出たらもう2時近かったので、3男とは店の前で別れてガンツの店に向かった。
小熊亭からは歩いて20分くらい。
小熊亭は南区の真ん中ら辺にある。
南区の大通りから脇道に入り、少し歩いたところにある。
大通りから外れているので、誰かに連れて来てもらわないとわからない場所にあるけれど、店もそこそこ広くて席数も多いのに、行列ができていたことを考えるとかなりの人気店なんだろう。
確かにあの味であの値段だと行列もできるはずだ。僕だって通いたい。
ステーキは銅貨8枚、ハンバーグは銅貨7枚だった。
値段はギルドの食堂の方が安いけど、小熊亭の味に比べたらその差は歴然だ。
ギルドの食堂も夜はいろいろ美味しい料理を出してくれたけどね。
工房にいくとガンツは中で作業していた。
フェルと3時ごろに待ち合わせしている、と伝えると、ヒマなら手伝え。とガンツに納品前の剣を渡される。弟子がつくった物の仕上げをしろと言う。
3本剣を仕上げたところでフェルが来た。
エリママに馬車で送ってもらったらしい。
お昼はエリママと、ゼランドさんの御宅で食べたそうだ。サンドイッチを何個か包んでもらったから夕飯に食べようとフェルが言った。
食べきれないくらいの量があったんだって。
フェルが食べ切れないくらいだから相当な量なはずだ。
剣の仕上げは全部で10本。
作業しながらガンツとこれからの僕たちの装備の相談をする。
とりあえず所持金のうち、金貨1枚分、銀貨で100枚なら装備に使えると伝える。
ガンツは顎髭を撫でながら装備を揃える順番を考えてくれた。
「まずはフェルの頭の装備じゃな。これが銀貨80枚。少し高いと思うじゃろうが、これは魔道具でな。強力な結界の魔法陣を仕込んでおる。下手な兜よりよっぽどいいぞ」
ガンツは少し大きめの銀色の髪留めのような物を持って来た。
「着けて少し魔力を流すだけで良い。あとは勝手に魔力を外から吸い上げて動く仕組みになっておる」
フェルは実際に頭の左側につけ魔力を流した。
「見た目にはわからんが、頭全体を保護するようになっておるのじゃ。髪から外せば魔道具は勝手に止まる仕組みになっておるから取り扱いも簡単だぞ。気をつけなければならんのは、それを付けたままでケイがフェルに抱きついたりすると、ケイが痛い思いをしてしまうことかの。街に着いたら外すように気をつけるんじゃな」
僕たち2人はたちまち顔を赤くする。
ガンツはニヤニヤしつつ僕らを無視して話を続ける。
「あと買うとしたらこの間注文したケイの武器かの。これももうできておる。あとで持ってくるから確認するがいい。ケイの頭の装備も必要だが、まずは手甲じゃろうかの。オヌシは怖がらず接近戦を少し練習した方が良い。これは安いから先に買った方が良いと思うぞ。防具がきちんとしていれば、余計な恐怖心もなくなる。ギルドで誰か短剣使いに稽古をつけてもらうのも良いじゃろう。少しは積極的に魔物を狩らんといつまでも強くなれんぞ」
そう言ってガンツは防具を僕に渡して。
「手甲は銀貨5枚で良い。ケイの体つきはこれから変わるからの。使った材料は安いがそれなりにしっかりと作ってあるから、今のところはこれで問題ないじゃろう。体の成長が落ち着いたらまた改めて作ってやるからの。とりあえずはこれで充分じゃ。さて金額だが……。全部で銀貨105枚だ。どうする?払えるか?」
ガンツが心配そうに僕らを見る。
それくらいであればギリギリ足りる。
本当にギリギリだけど。
「他の装備の値段じゃが、まだ手を付けておらんのでな、だいたいあと金貨1枚あれば全部そろうとおもうぞ。頑張ってお金を貯めてこい」
そう言ってガンツはニヤリと笑う。
「ケイに頼まれてた保温箱は、今日の仕事の報酬でお前にやろう。だがそれだけでは報酬としてはちと足らんの。ケイよ。何か欲しい道具はないか?たとえばお主の料理に使えるような簡単な道具ならタダで作ってやるぞ」
そう言われて、5本目の剣を仕上げた僕は手を止めて、ピーラーと泡立て器を図に書いて説明する。
いつの間にかお弟子さんが集まって僕の研いでる様子を真剣に見ていた。
ガンツは驚いて、ピーラーなんかは特許をとって商品化できるぞ、と言うが、もともと僕が考えた物ではないし、特許の申請などはガンツに任せることにした。
いろんな人が使えるように特許料は安くして欲しいと伝えると、ガンツは嬉しそうにその提案を受け入れた。
「あとはなんか欲しいものはないか?これではむしろワシがもらい過ぎてしまう。新しいものでなくて良いぞ。ゼランドのところにあったようなものでも構わん」
そう言われて悩んだけど、ちょうどいいものを思いついた。
「ガンツ。小熊亭のハンバーグって料理があるじゃない。3男から聞いたけどガンツもたまに食べに行くんだって?そこのお肉ってどうやって細かくしてるのかな?あれだけの量、全部包丁でやってられないよね。なんか魔道具みたいなもので肉を細かくしているの?」
「あーそれはミンサーという魔道具を使っておってな。昔知り合いから仕組みを教えてもらってワシが作ったのだ。他にもミキサーといって食材を細かくするものもある。欲しいか?在庫があるからすぐ渡せるぞ」
ミキサーもあるのか!
ちょっと興奮気味にガンツにおねだりをする。
「ガンツ!それ欲しいよ。それがあればいろいろ料理が作れそう。出来上がったらガンツにも食べさせてあげるよ」
「ふむ。ならばそれもやろう。今用意して来るから、オヌシは残りの剣を仕上げておけ」
そう言ってガンツはどこかにいなくなった。
剣は1本だけ荒砥からやり直す必要があったが、作業はその後30分ほどで終わった。
戻って来たガンツに終わったことを伝えると、ガンツは普通に驚いていた。
「全くお主は。うちの弟子にやらせると半日以上もかかる仕事じゃぞ。それをお主は会話しながらこんな短時間で終わらせるとは。ワシの見立てでは夕方までかかると思っていたのだがの。よし、問題ない。丁寧で良い仕事だ」
ガンツは全部の剣をチェックして問題ないことを確認してから、優しい目をして僕にそう言った。
「さてオヌシの装備の確認じゃな。ケイこれをちょっとつけてみろ」
手甲は僕の手にピッタリと馴染んで、ガンツがいろいろと触りながら確認する。
弓を握る左手の方だけ工房の奥に持って行き、すぐに調整してガンツは戻ってきた。
実際にライツの弓を構えてみたら、邪魔にならずスムーズに弓が引ける。
腰鉈は柄の部分に革の輪がついていた。
矢を放つときはその輪に手首を通しておいて、ぶら下げて撃てるようにしてあるのだそうだ。
いちいち地面に放り投げたり、鞘に収める必要がない。
実際どう使うかはこれからいろいろ考えなくてはならないけど、これは便利そうだ。
そしてミンサーとミキサーのほか、米を炊く鍋、保温箱をもらってガンツの店を出た。
フェルはまだ髪留めをつけたままなことに乗り合い馬車に乗るまで気づかなかったようで、馬車の中で慌てて外していた。
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