第33話 梅干し ⭐︎
33 梅干し
目覚めたのはまだ日が登る前だった。
フェルはもう起きていて、目が合うと微笑んでくれた。
男だし見られても大丈夫かなと思って、下着以外の服をテントの中で着替えて、さっさと先に外に出た。
たぶんフェルも早く着替えたいよね。僕が起きるの待ってたのかな。だとしたら申し訳ない。
3男のテントから小さく寝息が聞こえた。よかった。生きてた。特に心配してなかったけど。
フェルが着替え終わってマジックバッグを持って出てくる。
あかりの魔道具を出してスイッチを入れると、強過ぎず程よい明るさでテントのあたりを照らした。
フェルにそれを持っててもらい朝食の準備をする。
朝ごはんのこと何にも考えてなかったな。
どうしようかな。フェルにまたタマゴでもいいかと小声で聞くと素早く2回うなずいた。
昨日水につけておいたお米の水を切り、鍋に入れてコンロの火をつける。
最初からすぐ炊けるように水の分量もきちんと測っておけばよかったな。なんか二度手間になっちゃった。
味噌汁はきのことネギを使った。きのこを先に入れて火をつけずちょっと放置する。少しでも出汁が出てくれたらいいなと心の中で少し祈った。
けっこう明るくなってきたので時計が見えて時間がわかった。5時15分、あんまりのんびりしてる時間はなさそうだ。フェルも今日の走り込みは止めるそうだ。
マジックバッグからフェルが食器を出してくれる。
そんな共同作業がなんか新婚さんみたいでちょっとうれしい。
3男のテントがモゾモゾ動き、中から眠そうに3男が出てくる。
僕たちを見てヘラっと笑って井戸の方にタオルを持って歩いて行った。
うちのテントはフェルがもう畳んでいる。今は敷き詰めていた雑草を回収してる。
お米が炊けるのと味噌汁が出来上がるのはほぼ同時だった。タマゴは4つしかなかったので、目玉焼きは諦めてスクランブルエッグにした。
醤油で味付けしたから和風味だけど。
味噌汁の用意はフェルに任せた。いろいろ考えると3男の分の味噌汁のお椀がない。フェルに大きめのコップに3男の分入れといてと伝える。ご飯をよそうのもお願いして、こちらはスクランブルエッグを作る。
ボウルにタマゴを割り入れ、溶き卵にする、そこに刻んでおいたネギを入れ、砂糖と醤油、少しだけお酒を入れてやや濃い目の味付けにする。3男は椅子に腰掛けて遠くを見ていた。
お世辞にもカッコ良くは見えなかった。3男ってけっこう整った顔してるんだけどね。ただの不審人物にしか見えない。
この荒れた風景に全く馴染んでいないのだ。
フライパンを火にかけて中火で温める。油を敷き、温度が上がったら一気にボウルの中の卵液を入れる。
フライパンを動かしながら卵液をかき混ぜ火を止めて、大さじでゆっくりかき混ぜる。出来上がった半熟のスクランブルエッグをギリギリお米が隠れるくらい盛って完成。タマゴ丼と呼んでいいかわからないけど、そんな感じのものができた。
前世の記憶では忙しい朝に手早く作ってかき込んで、仕事に行ってた気がする。
「3男できたよ!ちょっと時間ないから急いで食べて!」
そう言うと慌てて3男が椅子を持って寄ってくる。作業台をテーブルがわりにして急いで3人で朝食を食べた。
3男によかったら飲んでと麦茶の入った水筒を渡す。そのときに昨日3男が使ってたお箸も渡した。
3男は興奮して僕に抱きついて来た。
フェルの視線がなんか痛い。僕、そんな趣味ないからね。
3男と別れて市場の野菜売りのおじさんのところに行く。
おじさんは箱いっぱいにクズ野菜を入れて来てくれていた。
「近所の奴らからも分けてもらって来たんだ。うちの母ちゃんなんて喜んじゃって、農家の天敵を退治してくれるなんて何かお礼をしなきゃって聞かなくてさ」
おじさんは大きめのツボを僕に渡してくる。
「それでさ、これ母ちゃんの手作りなんだが、梅の塩漬けって食べたことあるか?俺はちょっと苦手なんだが、近所の奴らにはけっこう評判がよくてな。みんなが褒めるもんだからうちの母ちゃん張り切っちゃって、今年は食いきれないくらいの量を作って、とにかく家にいっぱいあるんだよ。人によって好き嫌いはあると思うから気に入らなきゃ捨てちまってもかまわないんだが、できたら食べてくれるとうれしい、せっかく機嫌が良くなった母ちゃんを怒らせたくないんだよ。昨日はずっと機嫌が良くてね。そしたら夜も激しくて。おっと、お嬢さんもいたんだったな。えーとつまり、だな。これを受け取ってくれれば俺も助かるってことだ」
「梅の塩漬けってどういうの?」
「ああ、ちょっと開けてみなよ。うちの近くに生えてる梅って名前の木があるんだ。春と夏の間くらいに実がなるんだが、普通に食べると渋くて酸っぱいんだ、実が柔らかくなってくれば酸っぱいが食えないこともない味になる。それを塩漬けして2か月くらい漬けたらお日様にあてて乾かすんだよ。そうすると酸っぱいが、人によってはクセになるくらい美味い漬物になるんだ。潰してパンに塗ったり、スープに入れるっていうやつもいたな」
奥さんの手作りだというその食べ物の包みを解いてフタを開ければ、前世で見慣れた食べ物がある。
梅干しだ!しかもちゃんと紫蘇の香りがする。
「おじさん!これ僕の大好物だよ!もう手に入らないと思ってた。作り方もうろ覚えだし、実は諦めかけてたんだよ。おじさんの家にはまだいっぱいあるの?お金を貯めて買いに行くよ。おじさんの家ってどこにあるの?」
前世の記憶では店でおにぎりを買う時、必ず梅のおにぎりを買っていた。好きだったのだ。
「お、お、あー、ありがとうにいちゃん、この話をしたら母ちゃん飛び上がってオレにしがみ着いてくるよ。家まで来てくれたら母ちゃんもきっと喜ぶぜ。金なんていいよ。好きなだけ持ってってくれ。どうせ食いきれないほど家にはあるんだから」
農家のおじさんが嬉しそうな顔をする。
ほんとに奥さんのこと好きなんだな。
「そのかわり家のまわりのホーンラビットをちょこっと退治してくれれば助かる、クズ野菜がいっぱいあるのも実はあいつらの仕業なんだ。うちも困っててな、近所の連中と今、金出しあってギルドに依頼しようって話が出てるくらいさ。今の王様は俺たち農家に優しいが、農家をやってると、ちょっとしたことで畑一枚まるまるダメになっちまうなんてのはよくあることなんだ。だからみんななるべく無駄な金を使いたくなくってね。どうするか揉めてる最中なんだよ」
そう言って野菜売りのおじさんは僕らに名前を名乗った。
「オレの名前はゴードン、母ちゃんはヘレンだ。うちの母ちゃんは若い時すげえ美人でね。近所でも評判の美しい娘で、ある時、偉い貴族が来て、どうかうち息子の嫁になって欲しいってその貴族が土下座してお願いしにきた事もあったぐらいなんだ。それがオレなんかを選んでくれてさ、だから嫌な仕事でも文句も言わずに頑張って、母ちゃんに褒めてもらおうって美味い野菜をタネから選んで植えてさ」
ゴードンは作業をしながらどんどん話し続けるが、セシル姉さんとの待ち合わせの時間もある。ゴードンさんの野菜をいくつか買って、来週なら行けると思うと伝えて、まだ来週の予定がわからないから事前に連絡すると約束し、少し強引に話を切って南門に向かった。
市場が混んできて人通りが多くてなかなか前に進めない。
突然フェルが僕の腕に自分の腕を絡ませて、僕の方に顔を寄せて僕に質問する。
「ケイ、もしもだな。もしも、この先私とケイがずっと一緒にいたとして」
フェルは真剣な顔でグイグイと僕に迫ってくる。
「私の顔にいっぱいシワができて、太って醜い身体になって、口うるさく文句ばかり言うようになっても……ケイはそれでも私と一緒にいてくれるか?」
真剣だけど、どこか不安そうなフェルの表情を見て、思わず吹き出してしまう。
「そんなことでフェルのこと嫌いになるわけないじゃん。もう、急に何言ってるの?どんなに長く一緒にいても、歳をとったとしても、フェルはずっとフェルじゃない。僕は自信があるよ。どんなフェルでもずっと好きでいられる自信が。見た目がすごい変わったとしても、中身はずっとフェルなわけじゃない。甘いものが好きで、ちょっといじっぱりで、少し焼きもち焼きで、食いしん坊で、でも食べてる姿が可愛くて、笑うとすごく幸せな気分にさせられて。真剣な顔も好きだな、キリッとしたカッコいい目で次々魔物を切っていくんだ。それでもたまに甘えてきたりして、そんなフェルが……フェルのことが……」
僕は恥ずかしくて、少し声を荒げてフェルに言った。
「あーもー何言ってるかわかんなくなってきちゃったじゃん。だから要するに、フェルがおばさんになっても、しわくちゃの梅干しみたいなおばあちゃんになっても、変な病気にかかっちゃって顔じゅうに変なぶつぶつができて気持ち悪い顔になったとしても、ずっと今と変わらずフェルのことが好きだって、そう言うこと!はい、この話はこれでもうおしまい!セシルさんが先に来て待ってるかもしれないから急ぐよ!ほら手を繋いで、はぐれちゃうと大変だから!」
そう言ってフェルと手を繋いで人混みをかき分けて進み、ギルドの前まで来た。
冷静になった僕は、さっきうっかりフェルに告白してしまったことに気づいてしまった。
急に顔が熱くなる。どうしよう。フェルは気づいちゃったかな。
こんな時どうしたらいいの?
教えて?
前世の僕は恋をしたの?結婚してた?
それとも1人でいたの?
大切な人と出会って恋をして、その人の表情とか、言葉とか、態度とか、些細な普通の日常の会話とか、相手の反応を見て、そのたびに怒ったり悲しんだり喜んだり悔やんだりしてなかったの?
そんな記憶はないの?
梅干しみたいにしわくちゃになったとしても、フェルのこと嫌いになんかならないよ。
だってこんなに大好きなんだもん。
ねえ、教えてよ、前世の僕、今、ここで、フェルになんて言ったらいいの?
前世の知識には僕が生きた、僕の人生の記憶は一切ない。そんな気がするな、とかそう言う男だったかもしれないな、とか、うっすら残っているけど、自分がどこで生まれて、何をして、どうやって死んだのか、どんなことを考えて生きてきたのか、そう言うことを思い出そうとすると急にモヤがかかったかのように、記憶のイメージが遠ざかっていく。
前世の僕の名前すらもわからない。
記憶、と言うよりはこれはただの知識でしかないんだ。
それを1つ1つつなぎ合わせて、「普通はこうするけど、こうしたら面白そう」とか考えて僕は行動してるだけだ。
実際の僕はただの15才の子供で、まだまだ人生経験の足りないただのひよっこなんだ。
頭の中はずっと混乱しっぱなし、こんな状態で何か話せばきっとまた訳のわからないことを言い出すだろうし。
ギルドの前を通り過ぎたあたりから、逆にフェルに手を引かれて、僕はずっと足元を見ながら迷子の子供のように、フェルに導かれるまま歩いた。
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