榊原順一郎の場合2 ~人間観察と非日常~
「陽だまり」での日常は穏やかに過ぎていく。取り立てて面白いことが起きるわけではないが、いわゆる普通の生活を渇望していた男にとっては贅沢の極みである。
それでも週に一度やってくるデイサービスの迎えはそんな彼の楽しみの一つである。
初めてデイ「こもれび」を利用する際、やってきた男性職員は篠塚といったか。背の高いすらりとした体型の男性で、柔らかな眼差しをしていた。職員同士のいさかいの仲裁もお手のもので、この人なくして、この事業所は成り立たないとさえ思われた。
榊原は元来から人間観察するのが癖である。それゆえたいてい自分の考える人物像と目の前の人物の特徴とを言い当てることができた。相手が積極的に外に向けている面という意味合いにおいても、また彼の人が積極的に隠そうとしている本質的部分においてもである。
篠塚は何事をもそつなくこなす仕事人で人当たりも良さそうに見えるが、実のところ何事にも心揺さぶられることがないように見えた。冷静な目で世界を俯瞰し、自分がどの位置に立ってどのように振る舞えば、その均衡が保たれるのかを常に考えているようにさえ見える。そこに自身の感情や立場は組み込まれていない。世界が求めれば絶対的悪にさえなれそうな素質さえ兼ね備えていそうだった。
そしてそんな篠塚を、『赤い鳥』主人公原田のようだと、榊原は思った。二人に違いがあるとすれば、誰かにその存在を求められることを切望するか否かという点だ。そういう意味においては、まだ原田のほうが人間味がありそうにも思える。
榊原がそんな人間観察も交えてデイサービスに慣れ始めた折、車椅子を新しいものへ交換すると若い福祉用具事業者の職員がやってきた。そして事もあろうに彼の隠していた原稿もろとも引き上げてしまったのである。翌日に返ってきた茶封筒には自身の原稿の他に紙片が入っていた。
これは恋愛小説だろうか。
作品の構想と思われる手書きのメモに目を走らせる。
(あの青年は小説を書くのか)
ぜひとも読んでみたい、そんな感情が湧いた。でもおそらくそんな日が来ることはないだろう。青年と自分とは介護事業者と利用者という関係性しかないのだから。自分にも純粋に文章を書きたい、ただそれだけで前に進んでいた時期があったはずだった。どこに置き忘れてきてしまったのであろう。もしかするとあの青年のように別の仕事に就いたまま文章と向き合っていたならば、自分の人生はもっと別のものになっていたかもしれない。ふとそんな感傷がよぎったのも男性の目の中に自分がかつて宿していた光を見たからかもしれない。
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