第33話 男同士の友情~頭ん中どうなってんねん~
九月の最終週の土曜日。自室に招いていたのは出来たばかりの彼女ではなく、河野である。
久しぶりにやってきた息子の来客に、しかもその来客がいつぞや息子を助けてくれたなかなかの二枚目だったので、母親は浮き足だったように滅多に入れない玉露入りのお茶と慌てて買ってきたであろう山のような和菓子を出して去っていった。
「元気そうで良かったわ」
耕司は相手が湯呑みを机の上に置くのを待ってから
「すみません。俺のうちで良かったですか。変わった料理も出ませんし、まったくムードも何もありませんが」
「お前アホか。何で男同士で語らうのにムードを求めんねんな。デートちゃうねんで」
河野は気の抜けたような笑みを溢す。それから組んだ胡座の上に手を置くと
「しかしお前も思いきったな」
と感嘆の声を出した。
河野には実は昔から小説家を目指していたこと、夢を諦め切れずに本格的に執筆活動をするため東京に行くことを伝えていた。
「一回死にかけて、生きているうちにやりたいことは今やらなくちゃいけないと思ったんです」
「そうは言ってもなかなかできひんよ、普通は」
それから河野は母親の持ってきた菓子入れの中から小さな大福を一つ選び出して封を開けながら
「何言うか、お前には毎回驚かされるわ」
言った。
「惚れた女のために騙されても良え、言うか思ったら、その女を警察に突き出すんやもんな」
「河野さんでもそうしたと思いますけど」
「せやから俺は」
「「そんな惚れ方はせえへん」」
先を読むように声を合わせられて相手は声を立てて笑った。
「それにしてもお前は何かあれやな、損な役回りやな」
河野は再び湯呑みを手の中におさめて言う。地域ニュースの表面的なこと以外、彼には美月が自分と榊原順一郎の姿を重ねて、グループに引き込もうとしていたことを伝えている。
「要は榊原さんへの積年の恨みをお前にぶつけてたっちゅうことやろ」
「あれは、恨みというよりも執着心に近いんじゃないかな」
「執着心」
「手に入れることのできないものへの憧れ」
「嘗て騙すことのできなかった男に傷つけられた自尊心。それを取り戻すための復讐やなくて?」
河野に分かるように説明しても良いが、頭の中まで純愛小説で出来上がっているお花畑人間だと嘲笑されそうな気がしたのでやめておいた。河野はまだよく分からないような表情を浮かべている。
「そういえばこの間の『笑顔悩殺少女』とはどうなったんですか」
「せやからそのあだ名で呼ぶのはやめてくれ。あいつは小夜子いうねん」
「小夜子さん」
「……付き合うことになった」
河野らしからぬ消え入るような呟きに耕司は目を見張った上で、体を前のめりにして
「それはどういう展開で」
尋ねた。
「お前小説のネタにする気やないやろな。……どういうってお前の言葉に従っただけや。相手の人間力いうん信じただけや」
「へえ」
自分の言葉が目の前の男の背中を後押ししたことに若干驚いたが、それよりも彼が前を向いて歩みを進めてくれたことが嬉しかった。
「何や悪いな。あんな事件で傷ついてるお前にこんな話するんも」
「え、別にいいですよ。話が聞けて嬉しかったですし、俺もついこの間人生初の彼女ができましたから」
「は?」
河野はあんぐりと口を開けている。
「せやかて最近あの女に振り回されたばっかりやん」
「だから美月さんのことは確かにあのときは好きだったのかもしれませんけど、やっぱり違っていて。本当の意味で俺のことを見てくれている女性に気付いたんです」
「どんだけ惚れっぽいねん。その女大丈夫か。『助けてくれてありがとう詐欺』ちゃうやろな」
「違います」
断言してから何か言いたげな河野を無視して耕司は話題を変えた。
「実は今日河野さんを呼んだのはお願いしたいことがあったからで」
「何や」
急に話の様相が変わったので相手は表情を引き締めて背筋を正した。
「河野さん、俺の友だちになってくれませんか」
意を決して発した台詞に相手はぽかんと口を開けている。自身の耳たぶを引っ張りながら
「俺はすでにそう思っててんけど、お前は違うたんやな」
自嘲気味に笑った。
「あ、そうじゃなくて、きちんと確認しとこうかと」
「ダチになるんに改めて確認されたんは初めてやわ、お前、色々あれやな」
それから
「わざわざ確認されたから訊くねんけど、俺がお前の思ってるような人間と違うてもええんか?お前の主義っていうやつに反する人間かも分からへんで」
真剣な目でこちらを見つめる。
耕司はその眼差しを正面から受け止めた。
「前にも言ったと思いますけど、俺は今の河野さんは過去の色んな出来事を経験した上で形作られていると思うんです。だから河野さんの抱える問題が何かは分からないけどその上で今の河野さんと親しくしたいと思っています」
「詳しく聞いたりはせえへんのやな」
「話したくなったら言ってくれるでしょうし、別に話したくなければそれでも構いませんよ」
「そうか。……俺もアホなこと聞いたわ。それこそお前の人間力いうん、見くびってることになるんやったな」
鼻だけで笑った。
「それに俺が何か間違ったことしたとしてもお前やったらちゃんと正してくれそうやし」
河野は独り言のように言って耕司のほうへ姿勢を正すと
「こちらこそよろしく」
と右手を差し出した。耕司は両方の手でそれを握り締めると
「よろしくお願いします」
頭を下げた。
「良かった。俺、河野さんの名前を聞いたときから運命を感じていて。きっと俺たちはこうなる運命だったんですよ」
「何やねん。暑苦しい」
「いや、だって河野さん、下の名前太陽っていうんでしょう」
「せやけど、それが?」
「だって太陽っていったら、脇田壮二郎作品の伊達隆臣シリーズの一番最初の殺人事件の被害者の名前じゃないですか」
「!」
「これはもう運命としかいえないですよ」
「……つまり、あれやな。お前はずっと俺をそういう目で見てたっちゅうことやな」
「?」
「俺のことを脳内で何回もなぶり殺しにして楽しんどった、ちゅうことやな?」
「いや、そういうわけじゃ」
反論した台詞は河野の後ろからの羽交い締めによって塞がれた。
「ちょっ、河野さん」
「こいつホンマ。腹立つわ!」
騒いでいると母親が頼んでもいないのにおかわりのお茶を持ってきて
「楽しそうね。プロレスごっこ?」
湯呑みを珈琲カップに替えて笑っている。
「はい、そうです」
河野は耕司の首元を右腕で捕らえたまま人好きのする笑みを浮かべた。散々ふざけてから夕食時母親の呼び声で食卓につくと
「おかんの肉じゃがに免じて、さっきの失言は勘弁したるわ」
河野が母ご自慢の手料理をおかわりした。母親は嬉しそうに器に肉じゃがをてんこ盛りにして
「遠慮しないで、どんどん食べてね」
とにこにこ顔で食事の姿を見つめている。その姿を見て、河野と母親双方に感謝しつつ、自分も肉じゃがのおかわりを申し出たのだった。
空港で東京行きの飛行機を待ちながら、耕司は母親と河野と談笑していた。父は少し離れたところでそれを見ている。
「河野君、耕司が東京に行っても、遊びに来ていいからね」
「はい、お邪魔します」
母親は出立前の息子をよそに、にっこり笑う河野に見とれている。耕司はその姿を見ながら
「お母さん、俺は?」
と突っ込みを入れたかったが辛うじて抑えた。このままいくと、久しぶりに戻った実家に河野の部屋でもできているのではないか、母ならありえそうだと馬鹿げたことを考えながら辺りを見回す。と、先程から探していた姿を見つけて耕司は歩み寄った。
「耕司さん!」
付き合い始めたばかりの彼女はいそいそと大きな鞄から包みを取り出した。
「これ、途中で食べて」
「これって」
「茹で玉子とサンドイッチ。つぶ餡も持ってきてたけど、やっぱり今日はこっち」
「ありがとう」
二人で見つめ合っていると
「え、え?優子ちゃん」
母親が大声で近づいてくる。
「山脇さん!」
「どうしたの、空港なんて」
「彼が今日出立するので。それより息子さんですか」
優子は河野を見つめている。
「うん、まあそんなところね」
違うだろ、と突っ込みを入れようとしたが
「それより彼ってどこに?」
母親が周囲を見回して探しだしたので優子が笑いだした。
「ここにいるじゃありませんか」
「?」
優子の指差した方向に自分の息子がいるので母は目を剥いた。
「そういうことです」
耕司は頭を掻いて双方に互いを紹介する。
「山脇さんって耕司さんのお母さんだったんですか」
「優子ちゃんの想い人って耕司だったの!」
二人とも驚愕の顔。
「お前まだ言うてなかったんか」
河野だけは飽きれ顔である。
「せやからおかんに余り心配かけるな言うてるのに」
搭乗のアナウンスが流れて耕司が皆にしばしの別れを告げて歩き出すと
「しっかりな」
先程まで黙っていた父親が声を掛けた。耕司はそれに頷きで返す。
「おかんのことは俺に任せとけ」
まだ動揺を隠しきれない母の肩を叩いて河野が言った。
「彼女には自分でフォロー入れとけよ」
「うん、そうする。河野!」
初めて呼び捨てで親友のことを呼んで
「それじゃ頼む」
言うと河野は驚いたように目を見開いたが、嬉しそうに笑って
「ああ、任せとけ」
もう一度言った。
「優子ちゃん、また連絡入れる」
優子ははにかむように頷いた。耕司はそんな皆を見ながらゆっくりと歩みを進めた。
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