第30話 未来に向かって~夢への一歩~

 あの夜警察署に行ってからしばらくは、どこもかしこも高齢者を狙った犯罪詐欺グループの首謀者が捕まった話題で持ちきりだった。耕司はそれを耳にしても自分には関係ないことのように話題に加わることもなかった。

「それにしてもこの犯罪グループの壊滅に一役買ったっていう一般人ってどんな人なのかしら。警察署から感謝状を出そうっていう話も辞退したっていうし、まるで仮面を被ったスーパーヒーローね」

 ソファーに腰掛けている宮田がうっとりとした顔をしたので耕司は慌てて視線を逸らした。

「私が思うに、きっと篠塚さんみたいにきりっとした長身の二枚目で、人からの称賛とか目もくれない人なのよ」

 一般人が男性か女性かも発表されていないにもかかわらず、宮田の中には勝手な英雄のイメージが出来上がっている。隣で黒崎が

「でもこのニュースに出てくる詐欺グループの女の顔、俺どっかで見たことある気がするんですよねえ」

 と言い出したので耕司はそそくさと場を後にした。


 事件が公になって程なくして耕司は夜の食卓で両親に向き直って告げた。

「俺東京に行きたい」

 母親はぼかんと口を開けてこちらを見つめている。

「こんな歳になって何を言っているんだって思われるかもしれないけれど。俺今回のことで思ったんだ。やりたいって思うことは今やっておくべきなんじゃないかって。いつかできる、これくらい経ったら動こう、そんな風に先延ばしにしてたら、いざ取り掛かろうとしたときに死んでたりして。一回死にかけて初めて自分のことにきちんと向き合わなくちゃって思ったんだ。だから作家になるために東京へ行くよ」

 黙って聞いていた母親は、

「そんなの駄目よ!」

 叫ぶように言った。

「仕事も慣れてきてようやく社会人としてうまくやってこれてるのに。耕ちゃん、やめてちょうだい」

「いいじゃないか」

 後の台詞は父親のものだった。

「何言ってるの、お父さん!」

「いいじゃないか、本人がやりたいと言っているんだから」

「だって」

「社会の現実を知らない若造が言っているんじゃないんだ。一度社会に出て自分の力で稼いだことのある男が、それでもやりたいことがあると言っているんだ。それを止めるのは親の仕事じゃないよ」

「でも」

「君は耕司より長生きをするつもりなのかい?」

 そう問われて母は困惑したように、自分の伴侶を見つめた。

「私たちが亡くなった後、年取った耕司にやっぱりこうしておけば良かったと後悔しながら生きさせるつもりなのかい」

 言われた母親は涙を目に溜めて夫と耕司を交互に見つめてから

「だって都会は物価も高いし、人付き合いだってこっちほどうまく行くか分からないし」

「子離れしなさい。可愛い我が子に旅をさせてやろうじゃないか、お母さん」

 優しく畳み掛けられて妻は涙を溜めた目をぎゅっと閉じると

「分かったわ。お母さんも耕司のこと応援する」

 それだけ言って隣にいる夫の胸に顔を埋めると、わあわあ声を立てて泣き始めた。父親は当然のことのようにその頭を撫でると

「それでこそお母さんだ」

 と言った。

 耕司はこのときになってなぜ父が母を生涯の伴侶として選んだのか、また母にとって普段存在感のないこの父がどれほど重要な存在なのかを知った。

「ありがとう」

 短く礼を言って耕司は母親の泣き声を聞きながら自室へと上がったのだった。

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