第27話 君の本当に欲しかったものは

 何度かメールを送った。

 最初はこの間放った台詞に関する謝罪としばらく連絡を取らなかったことへの詫びの類を送ったが、案の定相手から返しはなかった。仕留めたと思っていた相手から連絡があって驚いているのだろうか。それとももはや欲しくなくなった獲物は捨て置くということなのだろうか。

 耕司は思案してから再度メールを送った。

 すると驚いたことにこの間の彼氏と決闘の場として選ばれた公園に今夜の夜九時に、という連絡が来て手が震えた。承諾の返事をしてから下準備を整える。

 肩に斜めに掛けるタイプの鞄を持って時間より早めにあの夜と同じベンチに腰かけていると、今度はちゃんと美鶴がやってきて、すぐに自分の隣へ腰を掛けた。

 相手は耕司の額に巻かれた包帯を見やるも一言も発さず、こちらの目の奥を探るような眼差しで覗き込んでいる。

「驚くよね、こんな状態じゃ」

 答えは返ってこない。

「来てくれてありがとう」

 耕司はあえて敬語を使わずに言った。

「もう会えないかと思った。自分が言っておいてなんだけど」

 美鶴はそこに何の感情も示さなかった。次の言葉を待っている。

「君とここで会う約束をした日から連絡が取れなくなって本当に心配した。君の身に何か起きたんじゃないかと思ったら居ても立っても居られなくて色々動き回ったのも事実で。でもずっと連絡を取れないと、まるで最初からそうだったのかな、って。そもそも君との出逢い自体が夢だったんじゃないかってそう思い始めていた。だから急に君が現れたとき驚いてしまって」

「……」

「別に本気で君と離れたかったわけじゃないんだ。少しだけ自分の気持ちに向き合いたかっただけで」

 ここで相手の目を見つめたが、そこにはやはり何の感情も読み取れなかった。自分の発した言葉が響いているのか、全く届いていないのかさえ判然としない。

「本当の意味で会えなくなったと分かってから後悔した。こんな風に傷つけておいて今更何を言ってるのかと思うけど」

 耕司は息を吸い込んだ。

 未だかつて自分の口からは発したことのない台詞を言うのにはさすがに抵抗があったが今はそんな小さな自分に躊躇している場合ではない。耕司には確信があった。彼女は村山はるかを本当には読んでいない。

「僕は夏の向日葵が日の光にしか興味を持たないように君のことだけを見つめ、冬枯れの樹木が雪の衣を纏って地に頭を垂れるように君に平伏す。君が秋に梅の花を見たと言えば僕も梅の香りを嗅いだと言うし、春に紅葉を見たと言えば僕もその葉を本の栞にしたと吹聴するだろう。それくらいに君を想っている」

 恥ずかしい、自分の口で言うと殊更に恥ずかしい。

 耕司は必死で自分自身の心と格闘した。

「村山はるか」

 目の前の女が呟くように言ったので、耕司の心臓は跳ね上がった。まさか本当に読んでいたとは思わなかった。膝の上で組まれた両手はそのままに体の向きだけをこちらにずらし、興味深そうにこちらを見つめている。耕司は耳の先まで熱くなるのを感じた。

「それで要するに私に何がおっしゃりたいんですか」

 問われて必死に頭を回転させる。この手の相手には小細工は通用しない。偽りの言葉がそこだけくっきりと浮かび上がらないように、出来る限り真実を織り交ぜなければならない。水と油が分離して境目が簡単に見極められないよう、シャボンを加えて攪拌しなければならない。

「あなたが本当には俺のことを好きじゃなくても構いません。俺はあなたの本当の笑顔を失いたくありません」

 できるだけ苦しそうな切望するような声を出したつもりだ。

 相手は先ほどの笑いを引っ込めて怪訝な顔でこちらを観察している。

「美鶴さん、僕の言ったことをちゃんと聞いていらっしゃいましたか。僕はこう言ったんです。あなたが秋に梅の花を見たと言えば僕も梅の香りを嗅いだと言うし、春に紅葉を見たと言えば僕もその葉を本の栞にしたと吹聴する、と」

 それから鞄の中から茶封筒を取り出すと

「これは僕からの気持ちです」

 そう言って相手の手に握らせた。

 相手は打たれたように顔を上げてその真意を探るように耕司を見ている。その視線を避けるように

「ごめんなさい。僕は電話を一本掛けなければいけないので」

 と言ってわざとそこから離れた。

 電話を掛ける用事などなかった。耕司は少し離れた位置から美鶴がどういった行動を取るのか観察していた。相手が茶封筒の中から紙束を取り出し中を改めるのを確認する。彼女はただそれを凝視して紙面を繰っていた。それを確認してから近づく。

 美鶴は足音に気付いたのかすぐさま顔を上げて耕司のことをその視界に捉えると

「あなたがこれをどうして」

 と独り言のように尋ねた。

「やっぱり」

 耕司はその反応を確認すると再び隣へ腰掛ける。

「あなたが欲しかったのは僕でもなければ、一般的な顧客情報でもなく、作家脇田壮二郎氏の情報だったんじゃないですか、美月さん」

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