第26話えくぼ美女の正体、そのとき彼は
ようやく退院できたその週の金曜日。久しぶりに職場に顔を出すと皆が労うような声掛けと共に好奇の視線を向けてくる。
「黒崎君、あっち手伝ってくれる?」
宮田が敢えて質問攻めになりそうな状況から守ってくれる。
「大変だったわね。しばらく内勤に専念してもらうつもりだけど、それでいい?その、どうしても包帯が目立つから、店内にいて色々聞かれるのが嫌だったら外でもいいけれど」
「大丈夫です。ご迷惑をお掛けしますが内勤でお願いします。色々聞かれるのは外でも中でも変わらないと思いますし」
「そう」
こういう時の宮田は本当に優しい。耕司は心の中で感謝して店番に専念した。その昼休みになって店内に見慣れない姿がやって来て
「山脇君、警察の方が話を聞きたいっていらっしゃってるんだけど。中のソファー使ったら?」
「はあ」
「それから今日は午後から有給休暇使って休みなさい。何だかすぐには終わらないみたいだから。久しぶりの勤務で疲れているだろうし、応対が終わったら帰ってゆっくりしたらいいわ」
長い休みをもらっておいて更に早退するのも気が引けたのでお礼だけは言っておいて残ろうと考えていると、警察官が二人室内に入って型通りの挨拶をするなり目の前のソファーに腰を掛けた。
「先日もお話しをお伺いしたところで申し訳ないのですが、どうしても再度山脇さんに確認させていただきたい事項がございまして伺いました」
言いながら胸元より手帳を取り出す。
「山脇さんからお話しいただいた救急搬送の日付ですが、八月十一日の金曜日でお間違いなかったですね」
「はい」
「時間帯も十二時すぎということで」
「はい」
「救急隊員に確認したところ、確かにその時間帯に土手沿いで救急の連絡が入り、通報者も河野太陽さんで間違いありませんでした。山脇さんのお名前もありました」
「はあ」
「ただ運ばれた女性の名前は寄家さんではありませんでした。個人情報の観点でここでその方のお名前はあげませんが、叔母と姪御さんという関係性で言えば苗字は異なることもあると思い調べました。しかし山脇さんが救助された女性は所謂独り身に近い方で、近くには親戚もいらっしゃらないようでしたし、ましてや兄弟もおらず姪に当たる方は存在しないことが分かったんです」
「はあ」
この事実をどう受け止めれば良いのか思案していると
「つまり山脇さんは最初から何らかの目的で彼女に接触を図られた可能性があるわけです。あなたは忘れてしまっていても過去に寄家美鶴と名乗る女性とどこかで出会っているということはありませんか」
「過去に、ですか」
「はい。相手が一方的にあなたに恋愛感情を抱いていて接触を図ってきた、そういう場合を想定しています」
「まさか」
「しかし山脇さんが人命救助を手伝ったことまで知っているとすればかなり近いところであなたを観察したことになると思うのですが」
「言われてみればそうですが」
そう説明されたところでそこまで熱心に女性からアプローチされたこともないのでいまいち現実のこととして捉えられない。
「あるいは以前お付き合いをされていた相手ということはありませんか」
「悪いですけど前に交際していた女性を忘れるほど記憶力は劣っていませんし、第一僕はお付き合いそのものをしたことがありません」
「これは失礼しました」
丁重に謝罪されると却って居たたまれなくなる。
「あるいは我々はもう一つの可能性も考えていまして」
「もう一つの可能性?」
「山脇さんがおっしゃっていた、寄家美鶴と名乗る女性が、警察という単語や水死体の話題を警戒していたという点です。万一のために彼女のモンタージュを作成したいのですが、ご協力願えませんでしょうか」
「モンタージュ?」
「いわゆる似顔絵のことです」
隣に座っていた女性警察官が答えた。
どうやらそのためにこの間とは別の警察官がやって来ているらしい。耕司は承諾して思い出す限りの情報を伝える。相手はさすがは専門家と見え、河野がその特徴をほぼ聞き出せずじまいであった女性の情報を見事に絵の中に盛り込んだ。
「さすがはプロですね。そっくりだ」
感嘆の声を漏らすと目の前でその似顔絵を作成していた女性警察官が何やらもう一人の警察官に耳打ちをして、二人は思案顔で
「少し失礼」
というと部屋の片隅に行って何やら小声で話している。耕司はまさかこんなに時間が掛かるとは思っていなかったので、やはり今日は宮田の言う通り帰らせてもらおうと思っていると、話し合いが終わったのか二人がこちらへやって来た。
「山脇さん、この女性とは二度と接触しないと約束してください。その上で彼女の方から接触を図ってきた時には我々警察にご連絡いただきたいのです」
河野に言われたときとは違い、純朴な青年が悪女に関わることを心配する意味合いではなさそうだ。真意を測りかねて目の前に腰かける警察官を見比べていると
「単刀直入に言います。山脇さんは何らかの犯罪に巻き込まれている可能性があります」
「!」
「実はこの顔は以前にも描いたことがあるんです」
つまり以前にも誰かが彼女を探していたということだろうか。
「以前に聞き取ったのは結婚詐欺の被害に遭った男性からなんです」
「結婚詐欺!」
「はい。この女は若く見えますが、実年齢は山脇さんよりも一回り上です。独身男性に狙いを定めては多額の金を騙し取っており、過去に前科もあります」
「ちょ、ちょっと待ってください。俺は結婚詐欺の被害に遭いかけていたってことですか」
「まあ、そうなるかもしれません」
「そうなるかもしれない?」
何だかはっきりとしない話し方だ。
「ただ山脇さんはその類の被害に遭うにしては年齢としてお若すぎるように思いますし、被害に遭うほど資産をお持ちとも思えません」
丁寧な言葉でなかなか辛辣な発言をする警官だ。若干傷ついたが表情には極力出さずに相槌を打つ。
「山脇さん、あなたこの女に何か頼まれませんでしたか」
「頼まれる?」
「ええ。以前お話しいただいた恋人との別れ話に付き合うといった類のものではなく、仕事上仕入れた情報を何らかのかたちで、この女に提供したようなことはありませんか。世間話の一つとしてでも」
「俺は仕事で得た書類を持ち替えるようなことはしませんし、まだお付き合いもしていない女性との話題でそのようなことを取り上げることはありませんね」
「本当ですか」
明らかに怪しんでいる目を向けられて、どう答えれば彼らに理解してもらえるのか耕司は頭を悩ませた。
「俺がこの女性と話したことと言えば、俺の好きな食べ物が肉じゃがだということ、小説家では村山はるかがイチ押しで、好きな女性の服装はどちらかというとスカートっていうこと、それから好きなスイーツはチョコレートで……」
「山脇さん、もう結構です」
「とにかく利用者さんのことや他事業所のことを話した覚えは全くありません」
「そうですか」
二人はどうしたものか大分悩んでいる様子だったが、意を決した様子で耕司の方へ向き直った。
「山脇さんに『寄家美鶴』と名乗った女は本名を白鳥美月といって先ほど申し上げたように結婚詐欺の常習犯なのですが」
常習犯なんだ、と思ったがこれも黙って頷く。
「この女はもう一つの顔を持っていて、詐欺グループに被害者となるターゲットの情報を提供する、いわゆる『情報屋』の卵を見つけ出し育成する『育ての親』としての役割を持っているんです。『育ての親』に育成された『情報屋』が組織にターゲットの情報提供を行い、それにより電話による詐欺であれば被害者に電話を掛ける『掛け子』が、その先では実際に被害者に接触する『実行役』が存在して組織全体が潤う仕組みになっています」
「……つまりこの女性は詐欺グループに所属している『育ての親』で、俺は彼女に『情報屋』の候補として目を付けられていたということですか」
「簡単に言うとそういうことになります」
耕司は眩暈がしそうになって左手で自分の頭を支えて大きく息を吐いた。
「大丈夫ですか。痛みますか」
「いえ、頭痛ではなくて、ちょっと混乱して」
「そうでしょうね、お気持ちお察しします」
「ちょ、ちょっと待ってください。ということは、俺はその犯罪組織に命を狙われているってことになるんですか」
「そこまではなんとも。ただ山脇さんに組織を脅かす意図はなかったにしろ、会話の中に彼らに危険を感じさせるような単語が入っていたのは確かでしょう。少なくとも我々はあの湖畔沿いの水死事件も彼らの仲間割れによるものだと見ていたんです。被害男性が『情報屋』である証拠も固まってきていたところだったので。ただしこれは関係者以外は知り得ないことですので他言無用です」
「勿論です。妙なことを言って関係ない人を巻き込みたくないですし」
「賢明なご判断です」
耕司はすっかり生ぬるくなった麦茶で喉を潤しながら目の前の窓ガラスから外を眺めた。
「何で僕だったんでしょうか」
「そこまでは分かりません。それにあくまで先ほどの説は仮説であることを念頭に置いておいてください。あなたが必ずしも犯罪組織に組み込まれようとしていたかどうかは憶測でしかありませんから」
「そうは言ってもプロの、こういうのにプロとか言っていいのか分からないけど、詐欺師が俺のことを本気で好きになったとも思えませんけど」
警察官はそれには何も答えなかった。
「ああいう連中は、それこそ獲物の心を確実に捉えたことを確認してから本題に入りますから、あなたの心が自分に動いていないことをどこかで察知したため、本格的な話にはなり得なかったのかもしれません。そういう意味ではあなたは他の被害者に比べて、奴らの思うような人物像ではなく狙いが外れたということかもしれません」
「思うような人物像?」
「組織に忠実で、自分の正しいと思ったり、あるいは自分の守りたいものに対して犠牲を払うことを厭わないような人物像でしょうか」
「はあ」
聞いてもいまいちピンとこなかった。
ただ耕司の頭には自分の過去に担当していた利用者さんの顔が浮かんでいた。昔電話の詐欺に遭い、自分の息子と間違えてお金を振り込んでしまったことで、亡くなったご主人と老後のために必死に貯めていたお金を奪われてしまったというお年寄りのことだ。利用料も年金だけでなく息子夫婦に払ってもらっており申し訳ない、と会うたびに零していたのを覚えている。
「あの」
「はい」
「俺はその詐欺グループの犯人を捕らえるのに何かできることはないんでしょうか」
「白鳥美月から連絡があった場合のみこちらにお知らせいただければ構いません。勿論またお話をお伺いするかもしれませんが」
「そうではなくて、俺から彼女に接触して情報を得るというのは」
目の前の警察官の表情が険しくなった。
「山脇さん妙なことは考えないでください。あなたは一度命を狙われているんですよ。それに民間人におとり捜査のような真似をさせるわけにはいきません。法律に抵触します」
「別に頼まれたからするわけではありません。俺が勝手にするんです」
二人は困惑したように耕司を見つめる。
「賛同できません」
「俺は勝手にします。頼まれたのではなくて勝手にするんです。もしも俺が犯人に繋がっていて、警察の知りうる情報を漏らすことを気にされるようなら見張っていただいて構いません」
「そんなことを言っているんじゃないんですよ」
「見張っていただいて構いませんよ」
耕司は殊更最後の言葉を強めに言ってから警察官と別れた。彼らは今頃、なぜこの男性にこんな機密情報を話してしまったのだろう、と後悔していることだろう。
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