第23話病室のベッドにて。お前、アホやんな!
耕司が再び目を覚ますと白く眩しい天井が見え、母親の激しく自分を呼ぶ声が聞こえたかと思うと、なぜか河野が自分の顔を覗き込んでいるのが視界に映った。
「良かった」
ひどく安堵したような様子で呟く。
「私お医者さん呼んできます!」
「お母さん、ナースコール押したらええよ」
河野が呼び掛けるのに慌てている母親は病室を駆け出していく。
咄嗟に体を起こそうとして
「あかん。まだ起きんほうがええ」
言われて耕司は素直に体を横にしたまま
「俺は一体」
「山脇さん、昨日の夜のこと覚えてないんですか」
問われた言葉に頭を振ろうとして頭に強い痛みを感じて顔を顰める。
「山脇さん、誰かに頭を殴られたんやと思います。俺、前に言うてた通り考え事すると動き回りたくなる性分で、夜に湖畔沿いジョギングしてたら人の気配感じて。見たら山脇さんが倒れてたんや」
「湖畔沿いなんか歩いた記憶はないです」
「多分やけど、あんたを殴った犯人があんたを湖に突き落とそうとしてたんちゃうかな」
背筋が凍り付いた。
「俺は応急処置して救急車呼んで。山脇さんほぼ丸一日眠ってはったんですよ。それこそ生きるか死ぬかの瀬戸際。俺何度も危険な状況は立ち会ったことありますけど、正直今回だけは本当身の縮む思いでした」
「河野さんずっとついててくれたんですか」
「はい。一番最初に見つけて助けたからいうんやなくて、どうしてもほっとけへんくて」
「すみませんでした」
「いや、別に」
と、ここで白衣を着た若い医師がやって来て耕司の前に立つと瞳に光を当てたり、二、三会話をしたりして状態を確認する。
「お目覚めになって本当に良かったです。本当に危険な状態でしたから。今日はゆっくり休みましょう。また明日以降色々異常がないか検査をしてみないといけませんが、一先ず今日は」
「はい」
「ただ大変申し訳ないのですが、山脇さんの怪我を受けられた状況が状況ですので、警察署の方がお話しをしたいとのことでした。一応意識が戻ったことはお伝えします。ああいうお仕事の方ですから、山脇さんの心身の状態が万全でなくてもお話を聞かれに来ると思うのですがそれはご承知いただけますか」
警察が来るのか。こちらが相談するときにはさほど真剣に取り合ってもらえなかったのに不思議なものだと思いながら耕司は首を縦に振りかけて、先ほどの痛みを思い出し
「分かりました」
と言葉で答えた。
医師が一通り話し終わって個室から出ていくと横に腰かけていた母親が涙声で
「耕ちゃん良かったわ」
と言うなり思い切り抱き締めてくる。その振動が頭に響いて
「痛っ」
と呻くと
「お母さん、あかんて。また意識が遠のくやろ」
河野が慌てて母親を引き剥がしてくれた。
「ごめんなさい。だって私耕ちゃんが死んじゃうかと思って」
と大泣きしている。
「お母さんごめん。心配かけて」
言うと再び抱きしめられそうになったが、すぐに河野がその肩を掴んだので未然に防がれた。
「親子揃って目が離せへんな」
河野が呆れたように言うと再び病室の扉が開いて先ほどの医師がやって来る。
「あの山脇さん、警察の方に連絡を入れたところ、どうしても今日のうちにお話しをお伺いしたいとのことなんですが」
「今日ですか」
「やめてください、うちの子は今目が覚めたばかりで、しかも死ぬところだったんですよ」
とベッドの柵を持って興奮するのでまたその振動が頭に響いて耕司は唸った。
「お母さん、悪いけど柵から手離して、痛い」
「あらごめんなさい」
「俺は別に構いませんが」
「耕ちゃん!」
「別にいいだろ。それより興奮しないで、振動すると痛いんだよ」
「それと、河野さんとおっしゃいましたね」
「はい」
「第一発見者のあなたにも再度お話をお伺いしたいとのことで、できればここで待機していただきたいのですが」
「そうですか、俺も構いません」
「河野さん、俺予想以上に迷惑かけてますね。本当すみません」
「当然のことです」
河野は気に留めた様子もなく応じた。
警察官がやって来るまで河野は気を遣って静かに横に座っており、母親は浮かれたように食べもしない果物を切ったりして過ごした。
程なく制服に身を包んだ警察官がやって来て、ドラマで見たように警察手帳を見せ挨拶してから聞き取りが始まる。と、急に耕司は重大なことを思い出した。
「あの、美鶴さんは?女性はその場にいなかったですか」
女の名前を出した瞬間、視界の隅にいた河野が明らかに衝撃を受けたように反応した。
「あの女に会うてたんか」
「ええ、殴られる直前まで」
答えると河野は顔を赤くして天井を見上げたと思うと
「お前アホや。アホやろ、アホやんな?」
病室の外にまで聞こえる声で怒鳴りつけてきた。
「せやから俺は言うたんや。あんな女に関わるからこないなろくでもないことに巻き込まれんねん!」
「君病室ですよ、静かに。訊くのは私たちです」
「すんません」
河野は言うほど反省した様子もなくこちらを睨み付けている。
「それで先ほどの『あの女』というのは」
どこから話せば良いのか分からなかったので、美鶴との出会いから今までの経緯についてをざっと掻い摘んで話した。美鶴の名前を知らなかった母親はこの話を聞いて思い当たることがあったのか
「耕ちゃん、あのハイエナ女と会ってたの!」
とかなりの時差で再び興奮しだす。
「ハイエナ女?」
警察と河野の声が重なる。
お母さん、事が益々ややこしくなるから黙っておいてくれ、と心の中で切望して耕司は
「母は思い込みが激しいので放っておいてください」
と静かに告げた。
警察官は左程気にしていないようで
「それで現場の第一発見者の河野さん、でしたね」
「はい、河野太陽です」
「河野さん、下の名前太陽っていうんですか」
「ああ」
「まあ、素敵な名前ねえ」
いちいち皆が反応するので警察官はわざとらしい咳払いをして静かにするように促した。
「河野太陽さん、昨日お伺いした時は、被害者の山脇さんとはお知り合いだということでしたが、今の話で間違いないですか」
「ええ」
「今のお二人の会話では、あなたは寄家美鶴と名乗る女性のことを知っておられるようでしたが」
「それは彼から聞きましたから」
河野が右手の親指でこちらを指し示した。
「ご婦人を助けた時点ではただのお知り合いで、寄家美鶴さんのことは知らないはずですよね。お二人はそれ以後お会いされたということですか」
「そうですね。たまたま会って一緒に飯食いました」
「ただ単なる知り合いというよりご友人に近いと捉えてよろしいですか」
「それがそんなに重要な確認事項なんですか」
警察官はそれはこちらの決めることだとでも言いたげに黙って答えを待っている。
「そうですね、お互いの悩みを打ち明けるほどには親しいです。友人みたいなもんです」
河野の答えに耕司は妙に心の中がぽかぽかするのを感じた。
「それだけですか」
「どういう意味でしょう」
「先ほどあなたは山脇さんが女性と会っていることに対して大分感情的になられているようにお見受けしましたが、それはどういった意味合いで怒っていらっしゃったのでしょうか。つまりその女性を巡ってあなたたちの間に確執があるといったようなことはありませんか」
「なんやて!何で俺がそんなけったいな女」
とここまで言いかけて、耕司に悪いと思ったのか河野は口を噤んだ。
「俺はその女性と会うたこともありません」
「そうですか」
警察官は何やらしきりに手帳に書き込んでいたが、二人して目を見合わせて
「申し訳ありませんが、山脇さんが襲われた折に別の人物が傍にいたということ、その人物を二人ともご存知のようなので一緒にお話しをお伺いするわけにはいきません。便宜所のことですのでご理解ください。山脇さんは体調のこともありますので先に聴取を取らせていただきます。河野さんは申し訳ありませんがしばらく別室でお待ちいただけますでしょうか」
「ええ、分かりました」
河野はすんなりと受け入れて病室のドアから出て行った。
「お母さんもすみませんね」
「え、私も一緒に聞いちゃ駄目なんですか」
「女性が関わっていらっしゃるようなので、山脇さんもお母さんがいらっしゃると話しにくいこともあるでしょうからご理解ください。私たちも犯人を捕まえるためにできるだけ正確な情報を手に入れたいのです」
そこまで言われると何も言えなくなってしまったとみえ、母は
「確かにそうね。……耕司、お母さん一旦家に帰るわ。これでも女の子だからお風呂も入りたいし、お父さんに迎えに来てもらうわね」
「うん、ごめん」
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