第21話高齢作家からの謎のプレゼント

 それから一週間ほど経ってもやはり美鶴から連絡はなかった。

 河野に相談を持ち掛けた日以来、耕司も何となく彼女へメールを送ることはやめた。よくよく考えてみれば電子メールは確実に相手に届いているはずなので、それを返すかどうかも相手の意思次第。仮に恋人に携帯電話を取り上げられているとすれば、送れば送るほど美鶴の身を危険に晒すことに他ならない。国家権力も動いてはくれないのだからもはやどうすることもできなかった。

 本来公休日になる土曜日は月の勤務日数によっては出勤日へと変わる。今日は内勤となり、店舗のレジ打ちや接客、事務業務などをして過ごしていた。

 ふとぼんやり外を見つめていると、前の道路を走る車の中に見知った顔を見つける。

「河野さん」

 隣には河野より幾分か若い女性が乗車しているようだ。

「そっか、河野さん、彼女いるんだな」

 そりゃそうだよな、あれだけ恰好良いんだから、などと車を目で追っていると

「これください」

 介護用オムツを抱えた客に声を掛けられて耕司は立ち上がった。

 頭の中には先程の映像が再生されている。

(あの女の子、どっかで見たことあるんだよな)

「あ、笑顔悩殺少女だ!」

「は?」

 目の前の客に怪訝な顔をされて耕司は慌てて謝罪したのだった。

 外回りに慣れている日常からすると運転もせず建物の中にいるのは多少欠伸の出る業務である。ようやく待ちに待った退勤時間がやって来ると

「そう言えば山脇君」

 休日に少しだけ顔を覗かせた宮田が呼んでいる。

「昨日『陽だまり』に行ったら、榊原さんがこれを山脇君にって」

 A四サイズの書類が入りそうなマチ付きの茶封筒を差し出してくる。中身を確認すると大量のコピー用紙が入っており、一部に伊達隆臣の名前が見えた。

「これは?」

「よく分からないけれど、返してくれなくても良いということだったわ」

「返してくれなくても良い、ですか」

「ええ。心当たりないの?」

 耕司は紙面に目を走らせた。以前黙って盗み読みした原稿の続きのようだ。

「心当たりがないわけではないですが、なぜこれを僕に」

「さあ。直接聞いてみたら?」

 宮田はそれだけ言い終えてから歯を磨きに更衣室の方へ歩き出してしまった。

 耕司は仕方なく封筒を持ったまま外に出ると会社の携帯電話で榊原直通の番号に電話を掛ける。程なくしてコール音が止んだ。

「榊原さんの携帯電話でよろしかったでしょうか。私『ネクストライフ』の山脇と申します」

「ああ、山脇さん。どうなさいましたか」

「榊原さん、ご退院おめでとうございます。それで、あの、うちの宮田から封書を受け取ったのですが。あれはどういう」

「この間車椅子に忘れていた封筒を返しに来てくれたでしょう。あのとき君が中身を読んだんじゃないかと思ってね。書類の一番最後に私のものではない紙が一部雑ざっていた」

「え?」

「たぶんあれは小説の構想ではないかと思うんだが」

「え!」

 榊原の原稿を仕舞う際に慌てて自分の作品構想も入れてしまったということだろうか。本職の作家を前に恥ずかしいことをしたものだ。

「違っていたら申し訳ないが、もしかしたら君はあの中身を読んだんじゃないかな。そうだとしたらあんな中途半端な内容では先が気になってしょうがないと思ってね」

「あ、あの、すみませんでした。勝手に覗き見るような真似をして」

「いや、構わない。すぐに返さなくて良いと言ったのは私の方だ」

 耕司は耳の先まで熱くなるのを感じながら、疑問に感じていることを口にする。

「あの、榊原さん、もしかしてとは思うのですが、あの作品はまだ未発表の原稿では」

「ああ、その通りだ。もう続きを書くつもりはなかった」

「それなのにどうして」

「どうしてかな」

 榊原はしばらくの沈黙の後、

「本当のことを言うとね、私はこの作品で貴臣を殺して作品を終えようと思っていた。そうすることで作家活動を完全に引退しようと思っていたんだ。ただ周りの反響が凄いためにそういう線引きはしづらかった。そのため書きかけて中途で止めたんだ」

「それなのにどうして?」

「一度心臓が止まって、考え直してね。完全に執筆活動を止めてしまうのではなく、やりたいように、書きたいように書いてみようかと」

「はあ」

「これからは違った作品を書こうと思っているんだが、その前に書きかけの原稿を完遂させ、世に出したいと思ったんだよ。君のためにも」

「僕のため?」

「ああ」

 作品を読んで先を気にしている自分のことを気にかけてくれていた、ということだろうか。

「この作品は既に出版社に取り合って新作として発表してもらうことになっている」

「そうなんですか!」

 思わず力んでしまって、恥ずかしさを隠すように咳払いをする。

「実は続きが気になっていましてありがとうございます。先生の新作が出た折は必ず購入させていただきます」

「一回読んでいるのに買ってくれるのかい」

「好きな本は自分の手元に置いて何度も読み返す質です」

 相手の笑い声が聞こえた。

「その原稿は言わば出版される前の下読みだ。好きなときに読んでくれ」

「はい。では有難くちょうだいいたします」

 耕司は再度お礼を述べてから通話を終えた。自分のためにあの脇田壮二郎がわざわざ原稿の続きを書いてくれたというのは至上の喜びであった。逸る気持ちを抑えて封筒を抱き締めるようにして帰途に着いた。

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