第14話先輩語る、美女の魔性

 翌日の仕事は久しぶりに定時で終わり、職場の扉を出るとそこには思いもかけない姿が自分を待っていた。

「美鶴さん?」

 相手はこちらに気付いたようらしく嬉しそうに駆けてくる。

「ごめんなさい。こんなところまで」

「って俺を待ってたんですか」

「他に誰を待つっていうんです」

 この女性はどうしてこうも自分を舞い上がらせるような返しばかりするのだろうか。耕司は顔が熱くなるのを感じて慌てて言葉を繋ぐ。

「だっていつ出てくるかも分からないのに」

「確実に会える場所を他に知らないから仕方ありません。それにどうしてもびっくりさせたかったので」

「充分びっくりしてますが」

「もっと、です」

 言うなり鞄から桃色のラッピングされた小箱を取り出した。

「食べてください」

「これ、俺に?」

「はい」

 恥ずかしそうにえくぼを浮かべながら笑われると猛烈に箱だけでなく、彼女を抱き締めたくなる感情が湧いてきたが辛うじて押さえた。

「昨日は手料理食べてもらえなかったから、これだったら仕事の合間でも食べられるでしょう?耕司さんチョコレート好きだって言ってたからトリュフ作ってみたんです」

「手作りですか!」

 美鶴はにっこり微笑んだ。

 バレンタインデーでもないのに女性から手作りのお菓子をもらうだなんて人生において初めての体験だ。受け取った箱からは甘い香りが漂っている。

「じゃあ私はこれで」

「え?あ、はい」

 こういうとき女性を引き留めるのが良いのか。引き留めたとしてどうすればよいのか分からず、耕司は宙ぶらりんの気持ちで美鶴の姿が見えなくなるまで見送った。と、後ろから肩を叩かれて飛び上がる。

「黒崎さん!」

「何なに、あれが噂の彼女?」

 何を隠そう、この間耕司が相談した先輩というのは黒崎のことであった。美鶴がお礼のゼリーを持ってきたときに社外にいた黒崎には彼女が何者なのか詳しくは分かっていない。

 耕司がどちらとも答えず曖昧な笑みを浮かべていると

「でもあれだな。何か山脇君のイメージじゃないよな、彼女」

 黒崎が呟くように言った。

「俺のイメージ?」

「うん。山脇君って今時の若者にしては擦れていないっていうか、純朴なイメージだからさ、彼女もどことなく純真っていうか、素朴な印象の娘を選ぶかと思ってたんだけど。あの娘はどちらかというと妖艶な感じじゃん」

「妖艶、ですか」

「うん。ま、二股かける女の子が純真なわけないか」

 ずけずけと言いたいことだけ言ってからまた肩を叩いて

「人の恋路に何とやらだったね。ごめん、余計なこと言った。……でも気をつけなよ」

 駐車場へと歩いて行ってしまう。

「まったく母親といい、黒崎さんといい」

 当の本人を差し置いて周りのほうが話を盛り上げ、勝手に心配している。

「付き合ってもないし、向こうがこっちを好きかも分からないのに」

 口には出してみたものの、後半の「こっちを好きか分からない」はほぼ自身に言い聞かせるためのものであった。美鶴の行動はどう考えても意中の相手に向けるのに酷似していたし、それをただ単なるお礼と見比べることができるほどに耕司は女性一般を理解していなかった。おそらく自分でなくとも判断つきかねるであろう、とも思う。

 その夜口にしたチョコレートはとても手作りとは思えないほどに濃厚な味わいがした。これを誰かへのついででなく、自分のために作ってくれたとすれば多少の勘違いも許されるのではないだろうか。

 明日がいよいよ現彼氏との対決の日だという夜、ベッドに横になっていると携帯電話の着信音が鳴った。出てみると果たして美鶴である。

「今から会えませんか」

「今から?」

 もう午後十時を回ろうとしている。気軽に異性と落ち合う時間ではない。

「どうしたんですか。何かありましたか」

「耕司さんはいつも何かあったか尋ねるんですね」

「それは」

「会いたい。それだけじゃいけませんか」

 苦しそうな声を出されて耕司はつい承諾の返事をしそうになって、ぐっと思い止まった。

「そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、やっぱりきちんとしておいたほうが良いと思うんです。美鶴さんの気持ちは確かに彼氏さんから離れているんでしょうけど、相手は納得していないわけでしょう。だから僕が明日二人の話に立ち合うわけで」

「……分かりました。じゃあ私が彼とちゃんと決別できたら」

 後は続かなかった。

「そのときまた会いましょう」

 耕司は代わりに繋げた。

 二人は就寝の挨拶をして通話を終えた。ずっと美鶴の声が耳に焼き付いている。

「会いたい。それだけじゃいけませんか」

「俺だって会いたいよ」

 呟いて瞼を閉じてもやたらとあの笑顔がちらついて寝られそうになかった。

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