第13話母は見た!息子に迫るハイエナ美女!
その夜美鶴から電話が三件掛かってきたがそれにも気付かないほどに眠り込んでしまっていた。
翌日携帯電話の履歴に気付き、メールで連絡を取ろうとするもタイミングが掴めず送らずにいるうちに夕刻まであっという間にすぎてしまった。すっかり暗くなった自宅への帰りに何か少し小腹に入れようとスーパーマーケットに寄ると背後から
「耕司さん」
声がして振り返ると美鶴であった。
「より」
寄家さんと呼ぼうとして相手が嫌そうな様子を見せたので慌てて
「美鶴さん」
と呼び直す。
美鶴は顔を輝かせてこちらに小走りで歩み寄った。
「昨日は何回もお電話いただいていたみたいですみませんでした。仕事が忙しくてすぐに寝てしまったみたいで」
「仕方がないです。お仕事お忙しいでしょうし。でもこうしてお会いできたから良かった」
にっこり笑うと頬にいつものえくぼが浮かぶ。
「耕司さんは今お帰りですか」
「はい」
「そうなんだ、大変ですね。お疲れさまです」
「美鶴さんも今帰りですか」
「はい、私も仕事帰りに夕食の材料を買いにきたところです」
かごの中に目をやるとじゃがいもと玉ねぎ、人参が入っている。美鶴はその視線を確認したのか
「今日は肉じゃがにする予定なんです。……良かったら耕司さん食べにいらっしゃいませんか」
「え?これからですか」
相手は頷いて答えに変えた。
「耕司さん肉じゃがお好きでしたよね」
「ええ」
「私張り切って美味しいの作りますから。ね?」
美鶴が今にも自分の腕に抱きつきそうな勢いだったので耕司は慌てて身を引いた。家の近くのスーパーではどこで近所の人が見ているか分からない。 その動きで相手が少しだけ驚いたような、傷付いたような表情をした。
「あ、いや、まだ昨日の疲れが響いているみたいなので今日はやめておきます」
「そう、ですか」
このまま誘いに乗っても良かったのだがまだ彼氏との結論が出ていない美鶴とそこまで懇意になってよいのか躊躇われたのである。そのへんの辺りが理解できているのかいないのか、相手は沈んだように半歩下がった。
「そうですよね。私ったら突然変なこと言ってすみません」
「いや、せっかくお誘いいただいたのに」
「今日はゆっくり休んでください。それじゃあまた」
「また」
美鶴の後ろ姿を確認してから耕司は歩みを進めた。この展開で再びレジで鉢合わせをするのは気まずすぎるのでしばし店内をぶらぶらとしてからエクレアと珈琲だけ購入して家に帰る。
自室に上がっても今日は母の呼ぶ声がしない。食卓につくなり
「耕司」
真剣な面持ちで母親が席に付いているので耕司のほうが
「どうしたの」
いつもと逆に尋ねることとなった。
「あの娘はやめておきなさい」
「は?」
「ごめんね。お母さんさっき見ちゃったの」
「さっき?」
母の言わんとすることが分からず首を捻っていると
「ほらさっきスーパーで女の子と会ってたでしょう」
よりにもよって自分の親に見られていたとは思わなかった。
「いや、お母さん、あれは」
「お母さん、耕司にお付き合いする娘ができるのは良いと思うの。でもあの娘はやめておきなさい」
「やめなさい」
最後のは父親のものであった。
「二十も過ぎて、ましてや社会人になった男に親が言うべきことじゃない。本人の好きに任せておきなさい」
「だってお父さん」
「放っておきなさい」
いつもは黙って話を聞いている父親が急に意見し出したので母親は無論のこと、耕司は驚いて口を半開きにして黙ってしまった。父親はそのまま風呂にでも行くのだろう。立ち上がった。
母はそれを見送ると
「お父さんはああ言うけど」
意を決したように口を開いた。
「こういうときのお母さんの勘は時々よく当たるのよ」
時々しか当たらないのであれば、それはもはやよく当たるとは言わないのでは、と思ったが、母親はそういった細かい指摘を嫌うので今は口を閉じておく。
「お母さんね、今日お味噌切らしちゃって慌ててさっきスーパーに向かったのよ。お昼に買い物に行ったとき、近所の川口さんにお会いしていろいろおしゃべりしてたらつい買い忘れちゃって」
「お母さん、俺そこから聞かないといけないかな」
母ははっとしたように姿勢を正した。
「いけないわ、私ったら、余計なことばっかりしゃべっちゃって」
それからだいぶ考えあぐねた様子で
「……あの娘、耕司のことつけてたのよ」
日頃から自分ほど書籍を読まないこの母親がどこまで言葉の微妙なニュアンスを使い分けているのか定かではなかった。この場合、今の二人の関係性から言っても「つけていた」と「ついてきていた」でもだいぶ意味合いが異なると思うのだが、そんなことは二人を付き合い始めの男女と勘違いしている母に分かるはずもない。
息子を未来の嫁に取られるという俗に言うなら嫉妬心のようなものかと思うと、急に母親のこの心配がうざったく感じられて
「彼女のどこがいけないの」
と交際することも決まっていないのに、付き合っているともいないとも取れる曖昧な問いを投げ掛けた。
「どこがって。もうとにかくお母さんは見たの!」
「見た、見たって、何を見たんだよ。サスペンスドラマの家政婦じゃあるまいし」
「あの目は」
「目?」
「あの目は、あなたを見つめるあの娘の目はまるで獲物を捉えたハイエナみたいな目だったの。想い人を見つめる恋する目じゃなかった」
「ハイエナ」
この母にしては絶妙な例えだ。
「耕ちゃん、お母さんは心配よ」
意図しているのか不明だが、母親は頼みづらいことを依頼するときと息子に何かを思い止まらせようとするときに「ちゃん」付けを使った。
「ハイエナって、俺、女の子にそこまで付け狙われるほど恨み買うようなことしてないけど。どっちにしても自分のことは自分で決めるよ」
耕司の言葉を聞いて母親は憤然とした様子で立ち上がると炊飯器に向かって白米を装い始めた。
「だいたい何なの、あの娘。耕司さん、肉じゃが好きですよね、って、主婦歴五十年の私に対抗する気なの」
ぶつぶつ文句を言っている。
「お母さんそれじゃあ生まれてこのかたずっと主婦してることになるけど」
ともはや一つ一つに突っ込みを入れたいが我慢して箸を取る。今日の夕食は母親自慢の肉じゃがだ。
(俺の未来は前途多難だな)
母の様子を見て耕司は心の中で溜め息をついたのだった。
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