第12話これは偶然か?似通う境遇…
耕司がここ最近で一番の決断をした翌日は鬼のように忙しい日であった。午前中から継続利用者の福祉用具点検が二件続き、その後新規の利用者の担当者会議、昼からも点検が幾つか入っている。
一件目の仕事に向かおうとしている矢先、会社用の携帯電話が鳴り出し、出てみるとサービス向け高齢者住宅『陽だまり』からだった。利用者榊原順一郎氏が本日の明け方に一時的に心肺停止となり救急搬送されたこと、一命を取り留め病院から車椅子を持ってきてほしいと言われたため、『ネクストライフ』に運んでほしいという依頼内容であった。
「承知いたしました。ただ今日は会議などが立て込んでおりまして、お伺いできるのは午後になると思うのですがお急ぎでしょうか」
相手先からは急ぎではなく、今日中で構わないとのことだったので一先ず承諾の返事だけしておいて公用車へと向かう。
訪問先を二件無事にこなしてから、新規利用者の自宅での担当者会議が終わり契約内容を結んだところで携帯電話に会社からの連絡が入った。応じると宮田である。
「山脇君、早く帰ってきてちょうだい。黒崎の馬鹿が『シルバーハウス日向』に持っていくエアマットをすっかり忘れててクレームがきてるのよ」
どうやら先輩職員が今日から老人保健施設に入所する利用者の福祉用具搬入を予定から落としており、利用者の入所時間に間に合わなかったようだ。しかもあろうことか、当の本人は別の利用者の担当者会議に出てしまっている。宮田は基本後輩には『君』付けで呼ぶので、これはかなり怒っている証だ。
「それで利用者さんはどうされているんですか」
「仕方ないから共有スペースで車椅子のまま待機してくださっているみたい。もうすぐお昼ご飯の時間でしょう。通路が空いている間に搬入をしてしまいたいのよ、お願い」
「分かりました。すぐ帰ります」
慌てて電話を切って会社に戻ると宮田がほっとしたような顔でこちらに手を合わせている。
「本当ごめんね」
「俺は構いませんが利用者さんがお辛いでしょう。本来寝たきりの方なんですよね」
「あんたのそういうところ本当抱きしめたくなるわ。悪いけど頼んだわね。自宅で使ってたエアマットの回収は黒崎にやらせるから」
完全に怒っていると見えてまだ呼び捨てにしている。
耕司はエアマットを車に載せると老人保健施設『シルバーハウス日向』へと急いだ。
到着してすぐに搬入を終わると当然のように利用者家族と職員から非難の目を向けられる。入所の時間までに搬入しておくと言ったではないか、ご飯を食べることができないのに他の利用者の食事をしている場面を見て待たされた身も考えてあげてくれ、と散々言われて頭を下げる。約束を違えたので当然である。耕司の丁重な対応に周りも怒りを少し和らげ、再度謝罪をして場を後にした。
会社に戻ると黒崎が戻ってきており
「いやあ、ごめんごめん」
とさほど悪いとは思っていなさそうだ。
「何がごめんごめんよ。山脇君が運んでくれなかったらどうなってたか。山脇君はあんたの代わりに文句も言われて謝罪もしてきてるのよ。大体こんな重要な仕事を忘れるってどういうこと。仕事に、『もしも』や『多分』を持ち込むなってあれほど言ってるでしょう!」
一息でここまで言って
「後で私と謝罪に行くのよ!」
と付け足した。
宮田にこってりと絞られてから黒崎は耕司の元へやって来る。
「本当助かったよ、ありがとう」
「黒崎さん勘弁してください。相手先めちゃくちゃ怒ってましたよ。よりにもよってこの手の仕事と会議被せるのはなしです」
「いやあ本当ごめんな。俺プライベートでダブルブッキングとかする予定がないから、こういうとこでしちゃうんだよな」
反省の色が見えない先輩に苛立ちよりも呆れる気持ちが強くなって、お昼ご飯もそこそこに次の訪問先へと向かう。とんだハプニングのために予定が押してしまったため、榊原の車椅子を取りに行く時間がずれ込んでしまった。結局耕司がサ高住『陽だまり』へ向かえたのは午後四時近くになってからだった。それでも日頃の働きのためか職員が何か言うことはない。むしろ感謝を述べられる。それでも遅くなってしまったことへの謝罪を述べてから車椅子を受け取ると、以前ここへ訪問した時には全く感じなかったのに土手沿いで美鶴の叔母をともに助けた青年に会いたくなった。前とは異なり美鶴との関係性が少しずつ親密になってきたことが関係しているのかもしれない。確か河野といったか、このサ高住で働いていたはずだ。耕司が尋ねると応対してくれた職員が
「河野さんですか、今日は早退しましたけど」
「そうですか」
「何か御用ですか。あいにく河野はしばらくお休みをいただくことになっていますが」
「あ、いや別に用事というほどのことでは」
挨拶だけでもと思っていた割に、当の河野がいなかったのは思っていた以上にひどく残念に思えた。耕司は挨拶を済ませてから榊原の入院している中央病院へと向かった。
病院へ向かうまでの道中、車の中で今日ようやくほっとする時間が訪れた気がして思索に耽る。
榊原の元へ訪れて書きかけの原稿を目にしてからそれほど経っていない気がするのに危篤状態になるとは思ってもみなかった。榊原ほどの高齢で一度心臓が止まって再生するとは奇跡的なことだ。あの小説が脇田壮二郎の遺作になるかもと思ったのはあながち空想話ではないかもしれない。あの作品の続きが読めないのは河野に会えなかったのと同様に残念な気がしてならなかった。
伊達貴臣は後頭部を殴られ意識を失った後どうなったのであろう。
ふとそこまで考えてから、急にコピー用紙の中の出来事が自身の今の境遇にひどく似通っているように思えて思考が停止した。
後ろからクラクションを鳴らされ慌ててブレーキから足を離す。
確か最初は主人公が道で倒れたうら若き女性を助けるところから始まる。そして女性を探しているという初老の男性。ここは作品とは違い、耕司が助けたのは年配の女性で初老の男性は現れないが、この後実は男性がうら若き女性の配偶者で暴力を振るうというスタンスだったはずだ。美鶴がうら若き女性でその恋人は暴力を振るう男性。貴臣は女性を庇って男からの依頼を断った。そして自分は今美鶴に頼まれて現恋人と対峙しようとしている。この続きはどうであったか。このまま行くと自分は何者かに後頭部を殴られるのだろうか。
自分の馬鹿な空想に耕司は苦笑した。
新型コロナウィルスの流行以降、入院先へは家族などの特別な人間を除いては足を踏み入れることができなくなっている。入院担当の受付女性に車椅子を託してから耕司はその場を後にした。出来れば榊原本人に会って体調を確認したかったがこのご時世ではそれも叶うまい。それにこの後も日中仕事の利用者家族のために福祉用具の点検を夕刻以降にした予定が三件ほど詰まっている。
全ての仕事を終えて勤務日誌に終業時刻を書き終えるとどっと疲れが出て、帰宅してからいつも通り夕食と風呂を済ませるとベッドに倒れるように眠ってしまった。
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