第8話純情男子の妄想
自宅に帰り、ぼんやりしながら階段を上がっていると
「耕司、ご飯よ!」
と母親が大声で呼んでいる。 返事もせずに階下のダイニングで椅子に腰掛けると
「何かあったの」
心配そうにこちらを見つめている。
「うん」
母はそれを聞くなり
「まあ、誰にでも失敗はあるわよ。若い頃の苦労は買ってでもなんとかっていうでしょ。ご飯食べて元気出しなさい」
と労ってくれた。肝心の何か起こった日には言い当てられない我が母なのである。
風呂から上がり、冷蔵庫から麦茶を取り出しながら携帯電話を触っていると寄家からメールが届いている。慌てて麦茶の入った容器を机に置いて確認すると
「今日はありがとうございました。山脇さんとたくさんお話しできてとても嬉しかったです。来週も楽しみにしています」
といった内容の文面であり、しかも最後に照れたような顔文字がくっついている。自分と話せてそんなに嬉しいんだ、とにやけていると前方から視線を感じる。顔を上げると物静かな父親がこちらを見ていた。耕司は咳払いをして誤魔化してから自室に戻った。
返事を送ろうと携帯を片手に握って、ふと考える。こういうときはどのように返すのが正しいのだろう。
「今日は偶然会えてびっくりしました。また来週に」
とこちらの感情をあまり入れないほうが良いのか。それとも
「僕も寄家さんと話せて嬉しかったです。来週楽しみにしています」
と好意を出したほうが良いのだろうか。
そもそもすぐ返信するほうが良いのか。あるいはわざと気のないふりで半日くらい時間を空けてから送るべきなのか。
恋愛小説を書くわりに、恋愛偏差値の低い自分にはこのあたりのことがとんと分からない。何度も文を作成しては消してを繰り返して
「あー!俺は何をやってるんだ!」
と大声で叫んだところ
「耕司!何時だと思ってるの!」
と先日と同じく母に怒鳴られる耕司であった。
それからは毎日夕方の仕事終わりの時間になると決まって寄家からメールが届くようになった。
「私あんまり流行りのアプリとかよく分からなくて」
と昨今のチャット(会話)形式のアプリではなく、電子メールというあたりが文通ほどでないにしろ古風で可愛いらしい。
仕事で疲れた帰り道、このメールを確認するのが耕司にとっての最高の癒しになっていた。
内容は特筆するようなことでもないが、例を挙げるならば
「山脇さんの好きな食べ物って何ですか」
とか
「山脇さんは他にどんな小説読まれるんですか」
とか
「山脇さんが好きな女の子の服装ってどんなのですか」
とか、とにかく質問攻めである。
(そんなに俺のことが好きなのか)
と耕司が思ってしまうのも無理からぬことであった。それが不思議なことに嫌でないから困ってしまう。出会い方ゆえに境界線を引くつもりだったのに、その領域はどんどん侵食されている気がした。耕司はといえば、相手からの質問に
「肉じゃがです」
とか
「有田弘美です」
とか
「とくに好みはありませんが、スカートのほうが好きです」
とか、全て真面目に答えていた。
たった二回しか顔を合わせていないのに、まるで毎日会って話しているような錯覚にさえ陥りそうだ。彼女が隣に腰掛けていつものようにはにかみながら尋ねるのである。そして自分はその問いに答えながらえくぼを見つめる。いつかきっと彼女はこう訊くのだ。
「山脇さん、私が大好きだって言ったらどうしますか」
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