第7話えくぼ美女との再会

数日後の日曜日は公休日であり、耕司はいつものように行き付けの喫茶店へ向かった。窓際の席につくなり原稿用紙を取り出す。最近忙しくてとんと原稿が書けなかったが、今日こそはゆっくりと筆を取ろうと思っていると

「あの、隣いいですか」

と声がして、振り返ると先日の寄家と名乗る女性だった。

「あ、はい、どうぞ」

と答えてから辺りを見回すと、他のテーブル席もかなり空いている。

なぜこの席なのだろうかと疑問に思うと、それが顔に出ていたのだろう。

「あ、そうですよね。ごめんなさい。山脇さんとまた会えたらいいなって思っていたら偶然見かけたので声を掛けてしまいました。プライベートな時間にすみません」

そんな風に言われて

「はい、遠慮してもらえますか」

と言える男はなかなかいないだろう。

そもそも出会い方が好みでないだけで、彼女が異性としてタイプかと問われれば間違いなくこちらは好みなのである。

「どうぞ」

耕司は少しだけ右手で隣の席を示して肯定の意を示した。寄家がそれに応じて腰掛けたので、相手の領域を侵食しそうな原稿を手でかき集めようとしたはずみに用紙が地面に不時着する。慌てて机の下に屈み込んで拾っていると、以前触れた白くて細い指が自分の原稿を拾い上げていた。

「ありがとうございます」

頭を上げようとして机の隅に打ち付ける。

「痛っ」

恥ずかしいところを見られた。

相手はさほど気にした様子もなく耕司というより、服装を見つめると

「今日ってお休みですよね」

と尋ねた。

「はい。そうですが」

「お休みなのにお仕事されるんですか。大変ですね」

どうやら握り締めた原稿用紙のことを言っているらしい。

「ああ。これは仕事ではないんです。趣味というか」

「文章を書く趣味ですか?」

「まあ、そういったところです」

相手は釈然としない様子だったが、耕司はだんまりを決め込んだ。趣味が小説を書くこと、と答えて返ってくる反応は二つ。変人扱いに近い好奇の目か、逆に知的な趣味だと尊ばれる眼差しのどちらかである。今彼女に好奇の眼差しを向けられるのは多少居たたまれなかった。

と、ここで店員が耕司と女性の間にメニューを持ってやって来る。

「俺はモーニングのAセットでお願いします」

「お連れの方はどうなさいますか」

彼女は全く意に介することなく

「私も同じものをお願いします」

と言った。

「連れじゃないです」

と相手を気遣うタイミングを逃してしまい、彼女は俺の連れでも嫌じゃないんだな、などと瞬時に色々考えを巡らせていると、

「付け合わせは何になさいますか」

と更に聞かれて耕司は頭を切り替えた。

連れになった女性はメニューを開くことなく

「私は茹で玉子にします」

と答えた。

「あ、俺も茹で玉子でお願いします」

「お飲み物は何になさいますか」

「「深煎り珈琲で」」

声が合わさって二人は顔を見合わせた。

店員は

「仲がよろしいんですね」

とでも言いたげにくすりと笑うと、注文を繰り返して行ってしまった。

「山脇さんも茹で玉子に、深煎り珈琲なんですね」

「気分によって小豆トーストにすることもありますけど、たいてい玉子に落ち着きます。言われてみれば珈琲はいつもここでは深煎りですね」

「そんなんだ。食べ物の好みが一緒なんて嬉しいな」

恥ずかしそうに笑った横顔に例のえくぼができた。

玉子と深煎り珈琲が好みだと言われただけで、特段自分のことが好みだと言われたわけでもないのに耕司は妙に気恥ずかしくなった。

「山脇さんはここのケーキセットって頼んだことあります?」

「ケーキセットはありませんね。モーニングとランチしか頼んだことないです。ランチのピザトーストとかお薦めですよ」

「私はランチはほとんどパスタしか頼まなくて。ケーキセットのチョコレートケーキが絶品なんです。一回食べてみてください」

「へえ」

「もし良かったら今日注文してみませんか。男の人が一人でケーキセットとか頼みづらいでしょう?」

今さっきモーニングセットを頼んだばかりでケーキセットが入るだろうか、ケーキは他にどんな種類があるんだろう、と考えて少しばかり間が空くと

「あ、ごめんなさい。そうですよね。一緒に来てくれる女性くらいいらっしゃいますよね」

相手が僅かに下唇を噛んで失言を取り消そうとした。

「あ、そういう相手がいるとかではなく。女の人は無理かもしれないですが、俺は基本一人で店に入ったり、注文したりとかはあんまり気にならないんで。それよりセット二つはきついかな、と。単品で頼もうか考えていたところです」

それを聞いて女性がほっとしたように頬を緩めた気がした。その安堵は、自分に特定の彼女がいないことに関するものなのか、それとも彼女がいないと決めつけたことにこちらが怒っていないことに対するものなのかどちらだろう。

「そうですね、セット頼んだばっかりでした」

言って自分の発した言葉に自分でうけている。ひとしきり笑ってから

「じゃあチョコレートケーキは今度にしましょう」

次があるんだ、とぼんやりしていると、店員がトーストと共に茹で玉子を持ってきた。すぐ後に珈琲も運ばれてきて二人はしばしそれを口にして黙り込んだ。と、

「山脇さん、あの、私に構わずお好きなことしてくださいね」

寄家が急にこちらを向いて、テーブルの端に置いていた原稿用紙のほうに開いた右手の平を向けた。

「私も好きなことをするので」

彼女はそう言うなりベージュの鞄から単行本を取り出して挟んでいたしおりのところで開いた。その表紙に村山はるかとあり、耕司は息を呑んだ。

「あの、寄家さん、村山はるかが好きなんですか」

読み掛けの本から目を離して

「ええ。恥ずかしいんですけど、私恋愛小説が大好きで村山はるかさんは愛読書なんです」

「へえ」

「村山はるか先生の書かれる主人公の相手役はいつも何かに例えながら愛を語るんですけど、その例えが普通では考えつかないような台詞なんです。私もそんな風に言われてみたいな、なんて」

握り締めた右手を口唇に当てて恥ずかしそうに語る姿が何ともいじらしい。村山はるかの作品内の台詞はだいたい頭に入っているので言ってあげても良いが、彼女の言われてみたい、というのはそういう意味ではないだろうと思われたので口を閉じておいた。

「笑っちゃいますよね」

「そんなことは」

慌てて否定する。

「俺も村山はるか読みますし、気持ちは分かるというか」

「へえ、山脇さんも」

「他の作家の作品も読みますけど、確かに村山はるかはいいですよね」

「……嬉しい」

「え?」

「気になる人と幾つも好みが重なるなんて奇跡みたい」

急に今までにない、熱っぽい眼差しを向けられた気がして生唾を呑み込む。

先ほどから時折発される意味深な言葉は何だろうか。相手の真意を探ろうと目の奥を覗き込もうとしたけれどすぐに目を逸らされた。

「でも意外でした。山脇さんってどちらかというと体育会系って感じだから本とかあまりお好きではないと思ってたので」

「そんなことありません。俺運動は本当に全然駄目で、見た目が色黒だからスポーツマンみたいに思われてますけど球技とか壊滅的です。反対に休みの日は本ばっかり読んでます。今だって小説書こうとしてたし」

「小説を?」

相手の目が突然輝き出した。言うつもりはなかったのに、つい会話に釣られて自身の週末の過ごし方を明かしてしまった。

「あ、いや、今のは」

「素敵!!」

胸の前で両手を握り締めてこちらに体ごと向き直っている。思ってもいない反応が返ってきて僅かに動揺していると

「どんな小説を書かれるんですか」

と相手が前のめりになって尋ねてくる。

「あ、いや。その、恋愛小説を」

ようやく聞き取れるくらいの小さな声で告げた。

「恋愛小説ですか!」

自分とは真反対に周囲に聞こえるような声で叫ばれて

「し、静かに!」

人差し指を自分の口に当てる。慌てて見回すと周りの席から幾つかの好奇の目が向けられている。

「ごめんなさい」

寄家は小さく頭を下げた。

「私ったら興奮しちゃって」

「こちらこそ大きな声を出してすみません」

「……あの、もし良かったらでいいんですけど、それ読ませてもらえませんか」

「え?」

「私山脇さんの書いた作品読みたいです」

「いや、でも人にはあまり見せたことがないので面白いかどうか」

「山脇さんの書かれたものですもの。きっと素敵な作品だと思います。ぜひ読ませてください」

懇願するような眼差しを向けられ、耕司は頭を掻いてから

「分かりました」

と答えた。

相手は心底嬉しそうに頬を綻ばせる。

「山脇さんって来週の日曜日はお休みですか」

「はい。俺は外回りの仕事なので、基本土日が休みです」

「じゃあ来週の日曜日、今日と同じ時間にここで待ち合わせっていうのはどうですか」

「来週ですか」

突然不確定だった次の予定が確実なものに変わったことにどきまぎしていると

「何か予定がありますか」

畳み掛けられた。

「あ、いえ。分かりました、来週日曜日の同じ時間にここで」

「はい!」

女性が感激した様子でにっこりと笑った。いつものえくぼが浮かんでいる。

「じゃあ来週はチョコレートケーキ食べましょう」

悪戯っ子のように彼女がウインクしてきたので耕司は声には出さず、首だけを縦に動かして肯定の意を示した。

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