第6話えくぼ美女のお礼
お盆も過ぎ去り、明日で久しぶりの公休だという日。外回りから帰って来た耕司を待っていたのは宮田の
「山脇君、いつの間に人助けしてたのよ」
という台詞とにやついた顔だった。
「何のことです」
「何のことです、じゃないわよ。『先日叔母がお世話になりありがとうございました』って若い女の子が来てるわよ」
と、脇腹を肘で小突いてくるので、それを瞬時に反対の手で制してから奥のソファーへ目をやった。
淡い水色のロングスカート、白のキャミソールの肩を上着で少し隠した女性がうつむき加減で腰掛けている。
「俺に、ですか」
「だって外回りをしてて若い男性職員って言われたら」
宮田が今まさに福祉用具を車に積み込もうとしている三十代の先輩社員を完全に無視しているので
「怒られますよ」
と目で咎めると、
「たいていこういうときの私の勘は当たるのよ。彼女はあなたを待っている。しっかりやってきなさい!」
何をどうやってこいなのか不明だが、押されるままに耕司はソファーへと歩みを進めた。
「あの」
声を掛けると相手は顔を上げ、それからぱっと顔を輝かせてお辞儀をした。
「この間は叔母を助けていただきありがとうございました」
(あ、えくぼだ)
女性の顔を不躾に見つめていたのに気付き咳払いする。
「あの、大変申し訳ないのですが、その、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
この年齢の女性の叔母というと幾つぐらいの人物であろうか。仕事上年配者をお世話したことは多々あるので、一体どの利用者のことなのか判然がつかない。名字だけでも聞けば思い出すかもしれないと思ったが
「寄家美鶴といいます」
聞いても全くピンとこない。
「寄家さんですか」
頭の中で利用者の名簿を繰ってみるが、その名字にヒットするものは見当たらなかった。
「やはり何かのお間違いでは。申し訳ないのですが、僕の担当者さんに寄家さんという方はいらっしゃいませんが」
「いえ間違いではありません。先週土手沿いで叔母を助けてくださいましたよね」
「土手。……ああ!」
耕司はここでようやく先週熱中症と見られる女性を河野という青年と介抱したことを思い出した。
「あのときはありがとうございました」
「いえ、それよりあの方あれからどうされました?」
「はい。病院で点滴を受けて今は元気になりました」
「それは良かった」
「それで、気持ちばかりですが、皆さんで召し上がっていただければと思って」
寄家と名乗った女性は白い箱を取り出した。箱に貼られたシールで、この辺りで人気のケーキ店のものだと分かる。
「そんなお気遣いいただかなくても良かったのに」
「いえ、そんなわけには。本当はもう少し早く来たかったのですが、お盆もはさんでしまったのでかえってご迷惑になってはと思って遠慮していたら、こんな時期になってしまいました。どうぞ受け取ってください」
「そうですか。それでは遠慮なく頂戴いたします」
手を伸ばして受け取ると少しだけ女性の柔らかな指に触れた。白くて透明感のある指は、日焼けしてごつごつしている自分とは正反対だ。
女性は帰り際
「あの、もし差し支えなければお名前をお伺いしても」
と言った。
「はあ。山脇と申します」
「山脇さん」
繰り返してにっこりと微笑む。その頬にまたえくぼができたので、耕司はぼんやり相手の顔を見つめた。
「?」
「あ、いや、わざわざお越しいただいてありがとうございました」
「私こそ山脇さんにお会いできて良かったです」
女性は一礼してその場を後にした。その後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから室内に戻るとすでに宮田がスイーツの箱を開けている。
「これ今人気の季節の果物ジュレじゃない!」
「あの、宮田さん、俺がもらったんですけど」
「いいでしょ!あの娘『皆さんで召し上がってください』って言ってたんだから」
「確かにそうですけど、普通一言断りますよね」
宮田は聞いてないふりで早速どれを食べようか選んでいる。ひとしきり悩んでぶどうのゼリーを手に取ってから
「道端で介抱されてお礼の手土産なんて、今時珍しくよくできてる娘よね。私は良いと思うわよ。それで携帯の番号は聞いたの?」
「頭おかしいでしょう。わざわざお礼に来てくれた女の子に連絡先聞いてたら」
「そんなことないわよ。どんなところにも出逢いは転がってるんだからチャンスはものにしないと」
「いや、俺基本こういう出会いはちょっと」
「何が、『こういう出逢いはちょっと』よ。二枚目ぶっちゃって。だからいつまで経っても彼女ができないんじゃない。もっとがっつきなさいよ」
「どこでがっついてるんですか。だいたい俺にアドバイスする前に自分でやってくださいよ」
「何よ、言ったわね!言われなくても私はがつがつ攻めてるわよ。ただ良い出逢いがないだけ」
そのがっつき加減が露骨すぎるんだろうな、と思ったが敢えて口にはしなかった。遠い目をする宮田を放っておいて耕司は先ほどの寄家という女性の姿を思い浮かべた。
確かに笑顔の素敵な女性ではあった。ただ耕司は利用者の関係者とは懇意にならないように気をつけている。というより自分の中で彼らは対象外なのだ。どうしても仕事上親身になってあげる場面は多々ある。相手もそれを見ているわけで、そういう間柄では、実際の自分より二、三割増しに良い人に映っているはずだった。恋人同士になってからもその利用者を介することはあるわけで、プライベートの領域にそれを持ち込まれるのは嫌だった。寄家と名乗った彼女は利用者家族ではないにしても、出会いはそれとは大差ないように思えたのである。
と、車に福祉用具を積み終わった先輩の男性職員が室内に入ってきて
「何なに、これ」
と聞いてきたので、耕司の代わりに宮田が答えた。
「羨ましいな。俺昔人助けしたことあったけど、名前聞かれて『名乗るほどの者では』って答えたらほんとお返しなかったな」
「『名乗るほどの者では』って言ったなら当たり前でしょう。というか、それ本当に言ったんですか!」
「言った、言った」
(伊達隆臣かよ)
とこれも心の中で突っ込む。
「俺これにするわ。宮田さん食べないでくださいよ!」
と男性職員が言うのを聞きながら、
(そういえば俺あのとき名乗ってないよな)
ふと疑問が沸き起こったが
「早く帰ってこないと食べちゃうわよ」
と宮田がおどけてみせたので、耕司も慌てて自分の分を手に取ったのだった。
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