第4話未発表だけではく、未完だった件について
自宅に帰り早速二階の自室に鞄を置いていると
「耕司、ご飯よ!」
と母親が大声で呼んでくる。声に応じてすぐに階下へ向かうと
「手を洗ってうがいしておいで」
「分かってるよ」
いつまでも子ども扱いする母にいつもと同じ返答をしてから食卓に向かうと、だしと醤油の香りがして
(今日は肉じゃがだ)
と耕司は内心ガッツポーズをした。
母親の数少ない得意料理の中で耕司が一番好きなのが肉じゃがなのである。テレビ番組で感化されて妙な創作料理を披露するのは困ったものだが、この得意料理の味だけはぶれず、野菜にもしっかり味が染み込んでいて癖になる。
耕司がおかわりの白米とともに肉じゃがを掻き込んでいると
「なんか良いことあった?」
と母親が顔を覗き込んでいる。
「うん」
なぜこんな短時間で分かってしまうのだろうか。表情一つでその日の出来事まで伝わってしまうのだから親とはすごい。
「彼女でもできた?」
どうやら出来事の中身までは分からないようだ。
「あのさ、良いことがあったと思うときに、必ずその質問するのやめてくれる?」
「え、違うの?」
「お母さんの考え方でいくと俺は年間五十人くらい彼女できてるよ」
恥ずかしながら二十代半ばにして未だに彼女がいない。それが何だと自分では思っているが、あまりに聞かれると、恋人作りにさほど躍起になっていない自分はおかしいのではないかという感覚になって居たたまれなくなる。
「何がいけないのかしら。世の女の子たちは見る目がないわね。顔もそこそこだと思うし、性格も悪くないのに。ねえお父さん」
なぜここで常に眉間に皺を寄せた表情の父親に尋ねるのか。父は何も答えず、テレビを見続けている。一体この無愛想な父と人懐っこい母とがどうして結び付いたのか、山脇家最大の謎である。
食事を終えてゆっくり湯船に浸かって風呂から上がると、早速デスクの上に乗せていた鞄から原稿の入った封筒を取り出す。そっと留め具から紐を外して中身を取り出すと深呼吸して表紙を見つめる。一枚捲った。
やはり中身は脇田壮二郎の代表作、伊達隆臣シリーズに違いない。耕司は生唾を呑み込んだ。
冒頭は隆臣が道に倒れた見目麗しい女性を助けるところから始まる。とは言ってもこれは耕司が勝手にそう思うだけで、小説の中には登場人物の見た目について深い言及はない。脇田作品は、登場人物の外見を特筆しないにも関わらずなぜか読者には魅力的に映るという特徴を持っている。
隆臣は女性を近くの医療機関まで連れていき、礼をしたいという彼女の好意を固く辞退してからその場を後にする。その数日後に隆臣の探偵事務所に初老の男性がやってきて人探しの仕事を頼んでくるのだが、その探す対象者というのが隆臣が助けた女性なのである。関係を尋ねると年の離れた妻で、出ていったまま帰らないのだという。隆臣は自分が女性と会ったことは告げずに依頼を受けるが、どうやら女性は夫に暴力を振るわれてているらしい。隆臣は男性に再び会い、依頼を断る。男は激昂したがやむなく事務所を去った。ところがその後男は川で入水自殺を謀るのである。しかし男には多額の生命保険金が掛けられていた。状況から見て男の死は不審死と見られ警察は対象者であった妻を疑い、その流れで隆臣も事件に巻き込まれていく。女が再び隆臣のもとに現れたのは立場が変わって依頼人としてであった。誰かが自分に付きまとっている、自分は狙われている、そう告げる女に自分には捜査権がないことやボディーガードとしての役目はできないことを伝えるも彼女は引かない。誰が自分を追い回しているのかだけ分かれば良い、警察は自分を疑っているから信用できないといった類いのことを訴えるため、やむなく隆臣は彼女の依頼を受けることにした。そして調べているうちに彼女には以前にも結婚相手が悲惨な死を遂げている過去があることが分かった。それと時期を程なくして女は、隆臣のことを依頼人としてではなく、命の恩人としてずっと探していたこと、あの日から隆臣のことを慕っていたことを告白する。隆臣はいつものポーカーフェイスでそれを断るが、その日夜道を歩く隆臣の背後には怪しい影が。隆臣の視界は後頭部に受けた強い衝撃によって暗闇と化した。
と、ここまで読んで頁を捲ると、
「え?え、え?」
(ない、続きがない!)
封筒の中を改めて見るも何も残っている形跡はない。
(ちょっと先生待ってください!こんな気になる展開で終わられても)
ドラマの次回予告を見せられたまま翌週が待ちきれない消化不良のような気分にさせられて、耕司は椅子の背もたれにぐっと体を預けた。それからふと姿勢をもとに戻すと思索に耽る。
この話には続きがあるのだろうか。これから書くつもりなのか、それとももう書かないつもりなのか。
(待てよ、もし先生がこの作品を書かないとすると、俺は今脇田壮二郎の貴重な未完の作品を持っていることになるのか。だいたい先生、今何歳だ?下手したらこれは脇田壮二郎の未完の遺作になるのでは。有名作家の未完の遺作。これは、夏目漱石「明暗」に匹敵するのでは!)
一人感極まって雄叫びを上げていると
「耕司!何時だと思ってんの!」
階下から母親の怒鳴り声が聞こえて、耕司は慌てて原稿を封筒にしまったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます