第1話有名推理作家が利用者となった件
「年取ってまで格差社会ってあるのね」
先輩の宮田良子がため息混じりに言ったので、これは聞いてちょうだい、というしるしだと耕司は向き直った。
「大変でした?担会」
担会とは正式名「サービス担当者会議」のことで、介護保険を使用する利用者さんについて、その人に関わる事業所が全て集められて行われる話し合いのことだ。利用者の介護サービス計画を立てる担当ケアマネージャーが召集をかけることで開催される。
本日宮田は新規の利用者の担当者会議に出掛けており、今はその帰りに会社へ戻ってココアを啜っているところだ。
「この甘味が疲れを癒すわ」
ココアの湯気の余韻に浸りながらも宮田は
「それがね、聞いてよ」
とすでに前屈みになっている。
「今日の担当者会議の場所どこだったと思う?」
「クリニックですよね」
耕司は言ってしまってから先輩の面白くなさそうな顔を目の当たりにして、忘れたふりをしておけば良かったとすぐに後悔した。
「そう、診療所よ。でも普通担当者会議にドクター来る?」
「確かに主治医も参加する担会ってあんまり聞きませんね」
「でしょう?」
確かに宮田の言うとおり、担当者会議は介護保険を利用したサービス事業所が参加し、利用者に直接関わるとは言っても医療保険制度で動く医師が参加することはない。というよりも医師はそれほど暇ではない、というのが一般の考えで、通常診療や訪問診療が立て込んでいるドクターをわざわざ会議に呼ぶことはない。それが今回に限っては医師も参加したというのだから、この会議が他とは違う特別な意味合いがあることは十分に想像できた。
「ドクターがいるからいつも以上に妙な緊張感はあるし、私未だかつてこんなに大人数の担会出たことないわ」
「それはお疲れでしたね」
耕司は決まりきった労いの言葉を掛ける。
「それで会議自体はどうだったんですか」
「別にこれといって特別なことはなかったけど。サ高住『陽だまり』に住んで、デイ『こもれび』を週一回利用、それからうちの福祉用具として車椅子と手すりを利用。そんなところかしら」
「特段問題のない感じですか」
「まあ、そうね。特別何もないわね。普通の担会だったわ」
耕司は先ほどの労いの言葉を取り消したくなった。
時々ものすごく圧の強い家族が会議の場をぴりぴりとした雰囲気に変えてしまうことがあるが、そのときの疲労に比べれば大したことはなさそうだ。それよりも耕司が気になっているのは当の利用者本人だった。
「で、どうでした?榊原順一郎さんってどんな感じの方でしたか」
ミステリーで有名な男性作家。どんな見た目で、どんな雰囲気を醸し出している人物なのか、気にせずにはいられない。耕司の世代でそれほどこの年配作家に注目する人物はいないだろうが、彼には榊原氏に注目する特別な理由があった。
耕司は何を隠そう、小説家志望の若者なのである。本当は高校を卒業してすぐに作
家養成の専門学校へ行きたかったのだが、両親の反対にあって、やむなくその計画を断念したのである。文学、幅広く社会分野も学べる、の方向で進学してからもその夢を諦めたことはなかった。
「そうね、体は大柄の人ね。一旦A社の車椅子で様子を見ようと思っているけれど、状況によっては同じ会社の別のものに変えないといけないわね」
期待していたのとは違い、榊原氏の人柄や見た目でなく完全に福祉用具事業者の目線で話されて、耕司は内心ため息をついた。
サービス付き高齢者向け住宅「陽だまりハウス」の利用者は基本宮田が担当しているのだが、このときばかりは自分が担当だったら良かったのに、と思わずにはいられなかった。
「しかも今日は愛しの君に会えなかったからがっかり」
「愛しの君?」
「デイサービス『こもれび』の篠塚さん」
よくお世話になる人物以外基本的に名前を覚えられない耕司には聞き慣れない名前だ。
「『こもれび』利用っていうから今日は絶対篠塚さんが来ると思ってたのに」
「そんなにかっこいい人なんですか」
「そりゃあもう!背はすらりと高くて細身、顔はどちらかというとソース顔ね。物腰はスマートで柔らかいし、王子さまが若干年取った感じかしら」
「王子様が年取ったなら王様ですか」
「いや、王様って感じじゃないのよね。いつまでも若い感じ」
つまり貫禄がない、ということだろうか。いまいち掴めない。
「理想はね、私が躓いて転けそうになった瞬間に篠塚さんがさっと手を差し伸べ抱き止めてくれるの。細身なのに以外とがっしりしてて『大丈夫ですか、宮田さん』って何でか私の名前を知ってるのー」
と一人黄色い歓声を挙げている。
「そのときのために躓く準備はばっちりよ」
(気持ち悪いなあ)
と耕司は自分の母親より五歳しか違わない先輩職員を白い目で見つめた。
宮田の話しからはほぼ体格のことしか分からないので耕司は自分の中で勝手な篠塚像を作って、この人物とも一度会ってみたいと思った。
こんなわけであまり有益な情報収集にはならなかったが宮田がひとしきり話し終わってすっきりとした顔をしたので
「俺これから点検の約束あるので早めに出ますね」
と場を後にしたのだった。
このとき耕司はまだ知らない。その後すぐに宮田がぎっくり腰をやってしまい、サ高住「陽だまり」の担当を一時的に自分が全て持つことになろうとは。
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