第38話 メステレ!

 バー『凛ノ音りんのね』のマスターは四十代前半の男性で、名前を 佐原士郎さはらしろうという。

 髪をオールバックにし、クラシックなグレーのスリーピーススーツを着こなしている。

 タイトな黒いシャツにスリムフィットしたベストが、いかにもバーテンのマスターって感じだ。

 店内には薄暗い間接照明しかなく、光の強さも込みでデザインされているのがよくわかる。

 カウンターの奥には壁棚があり、所狭しと様々な洋酒が並べられている。

 地震が起きたら、全部落ちてくるんじゃないかと心配してしまう。


「そうですね…… 物撮ぶつどりするには少し暗いので、照明機材を使いたいのですが……機材を持ち込むとけっこう場所をとりますし……そうなると、開店前に済ませておいた方がいいですよね」


 マユさんが店内に視線を泳がせながら言う。

 物撮りとは、商品(物)撮影のことだ。

 ここでは、紹介するカクテルの撮影を指しているのだろう。

 物撮りやメニューなどのイメージ撮影は、自然光や室内光だけではうまく撮れない。

 どれもきちんとした照明機材を組んで、撮影をする。

 そして照明機材はとても場所をとる。

 ライトにスタンド、アンブレラにレフ板、あとめっちゃ重くて大っきいジェネレーター。

 あっという間に、カウンターまわりを占拠してしまうはずだ。

 そうなると物撮りは、お客さんが入る前に終わらせないとダメだろう。


「あぁ〜でも、少しくらい開店時間を過ぎても大丈夫ですよ。今日は、十九時に予約のお客様だけなんで」

「十九時なら間に合いそうですね。少なくとも、物撮りは終わっているはずです。じゃあ外観の撮影をしている間に、中でカクテルの撮影準備をしていきますね」

「店内の撮影はその時に?」

「そうですね、物撮りのカクテルと……その……私がお客様役でここに座って、佐原さんとカウンター越しで談笑してる感じのイメージで……」

「おぉ〜なるほど。それで、そんな格好なんだ。とても綺麗で素敵だね」

「いや、そんな……お恥ずかしい」


 おお、マユさんがメス照れしてる。

 しかし流石はイケおじバーテンダー。

 あくまでさりげなく、さらりとキザな台詞を言ってのける。

 キザに感じないところが、すごい。


「すみません、お忙しいところに取材まで入れてしまって」

「いや、こちらこそ。本当はお店を閉めるはずだったんだけどね。どうしても、お得意様が今日じゃなきゃ駄目だと言ってきたんだ。まいるね」


 佐原さんが申し訳なさそうに、左手で後頭部を掻く。

 スケジュール的に取材の予定の方が早かったはずだし、よほど我儘なお客なんだろう。

 心中お察ししますといった感じで、微妙な笑顔を見せるマユさん。


「ユリ、浅田さんに連絡してもらえる? 早めに来てもらえるかって」

「はーい。了解でーす」


 少し予定が狂ってしまったけど、浅田さんならきっとなんとかしてくれる。

 カメラマンは、現場での対応力がとても高い。

 私はそう思いながら、浅田さんに連絡をするのだった。

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