第35話 キモノ・トラップ!

 昼食後、私とマユさんは次の取材先であるバーへと向かっていた。

 三条大橋を渡り、サラサラと流れる鴨川を眺めながら通りを南下していくと、ほどなくして先斗町ぽんとちょうにたどり着く。

 石畳と細い路地が印象的なこの通りには、“うなぎのねどこ”と呼ばれる間口が狭く奥行の深い建物が、隙間なく建ち並んでいた。

 最近では京都を代表する料理屋だけではなく、京町家を利用した居酒屋やバーもあり、いわゆる“一見さんお断り”ではない観光客向けの店が増えてきている人気のスポットだ。

 これから取材に行くバー『凛ノ音りんのね』も、そんなお店らしい。


「ねぇねぇ、マユさん」

「んー?」


 ポケットに両手を突っ込んでコツコツと石畳を鳴らしながら歩くマユさんを、後ろから呼び止める。

 振り向いたマユさんの口には、素早くエネルギーチャージができるゼリー飲料が咥えられていた。

 ピュコピュコと吸い込んでは、プクプクと空気を戻しているあたり、もう中身は入っていないのだろう。

 まるで、悪戯好きの子供がやりそうな遊び癖だ。

 すこぶる行儀が悪くて、微笑ましい。


「なに、ニヤニヤしてんのよ」


 微笑ましい、もとい、ニヤニヤしていたらしい。

 最近すぐに顔に出てしまうのを、どうにかしたい。


「マユさん、アレ、アレ!」


 私が指をさすと、マユさんが目を細めてその方向に視線を向ける。

 そしてチューブゼリーを右手で持つと、あぁ〜と声をあげた。


「着物ね。観光客用にレンタルしてるやつ」

「そそ。可愛くないですか?」

「まぁ、可愛いね」


 そっけない返事をしてくるので、黙ってジッと見つめてみる。


「な、なによ?」

「マユさん、着てみませんか?」

「はぁ?」


 マユさんが大袈裟に目を見開き、口を大きく開けて驚く。

 相当に予想外だったのだろう。

 でもマユさん奇麗だし、凄く似合うと思うんだよね。

 私は、単純に見てみたいのだ。


「あのねぇ〜ユリ。この後、取材なんだけど?」

「でも店内の撮影に、女性客のモデルがいた方が良くないですか?」

「それはまぁそうだけど……なら、ユリが着なよ」

「えぇー、私はマユさんの着物姿を見たいんですけど?」

「撮影を取り仕切ってる私が、率先して着るわけにいかないでしょ」


 そう言いながらも、体を斜めにして着物レンタルの店を覗き見るマユさん。

 ムフフ、めっちゃ興味あるんじゃん。


「ほら、入っちゃいましょー!」


 私がそう言ってマユさんの背中を押すと、体制を崩したマユさんがそのまま自動ドアを開けて入店してしまった。


「ちょ、こら……」


 慌てて戻ろうとするが、少し遅い。


「いらっしゃいませぇ〜」


 満面の笑みを浮かべた店員が、あっという間にマユさんを捕まえてしまう。


「レンタルですか? ご予約は、されていますか?」

「いや……予約はしてないんですけど」

「当店ではカップルプラン、ヘアセットプランとございまして〜」

「い、いや、あのですね」

「レトロアンティーク着物と、当店オリジナルの着物からお選びいただけるのですが〜」

「あ、あの、ちょっと……ユリ、ユリ!」


 店員さん、ものすごい押し方だ。

 なんだろう……これは、助けない方が面白いかもしれない。


「マユさ〜ん。私、そこのカフェで待ってるんで、終わったら呼んでくださいね〜」

「えっ……ちょ……うそでしょ、ユリ!」

「お客様〜コースはどうなされますか?」

「いや、この後ちょっと……一時間くらいしたら行かなくちゃいけない所があって……」

「なるほど、お急ぎなんですね。お任せください! 当店、最短四十五分で出発が可能です。すぐに準備をいたします!」

「えぇ、あの……」


 マユさんは着物の店員に取り囲まれると、問答無用で店の奥へと連れ去られてしまった。

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