第15話 スタート・ライン!

 今週の私のお仕事。

 マユさんが今コンペに向けて作っている、お菓子のパッケージデザインと、それに連動して展開する販促物のデザイン……のお手伝い。

 さらに簡単に言えば、カンプで使用するデザインのパーツ作りである。

 マユさんは営業の人と打ち合わせをしたり、クライアント先で直接話を聞いてきたりと大忙しだ。

 その都度デザインの方向性をチーム内で共有し、より精度の高いデザインに仕上げようとしている。

 一番すぐそばでその姿を見ていた私は、単純に「すごい人なんだなぁ」と尊敬の眼差しをむけていた。

 テキパキと仕事をこなし、文句も言わずに修正を受け、的確な指示を出す。

 近すぎず遠すぎない距離感でチームメイトと接していて、絵に描いたようなクールで仕事のできる大人の女である。

 憧れないわけがない。


 会議室でも話された通り、私に対する距離感はみんなと同じだ。

 決して馴れ合わない、一定の壁を感じさせる。

 本当にこの人と裸で一夜(正確には二夜)過ごしたのだろうかと、思ってしまうほどだ。

 帰る時間も、新人だからか私のほうが早く帰されていた。

 後で聞いた話だけどマユさんはこのフロアで、ほぼ最後までいたらしい。

 そんな毎日が続き、あっという間に三週間という時間が経過していた。


 今日は土曜日の朝。


 私はマユさんの住むマンションの近くにある『ADZ珈琲』の二階にいた。

 言い訳はしない。

 会えないかな、と思って足を運んでしまったのである。

 いや……正確に話すと、私は……


「あっ!」


 螺旋階段から大きな声がした。

 顔を上げると、黒デニムに青い革のライダースジャケットを着たマユさんが、大きく口を開け、目を瞬かせていた。


「えっ、なに? 来てくれてたの?」


 この時、私の顔はどれほど緩んでいたことだろう。

 マユさんが言うところの、にへら〜と笑っていたに違いない。


「えへへ〜実は先週も、先々週も〜」


 マユさんはイケオジから珈琲とクロワッサンを受け取ると、慌てるようにして私の前の席に着いた。


「えぇ、マジ?」

「マジです〜」


 めっちゃ恥ずい。

 なんだろ、これ。

 私、まるでストーカーみたいじゃん。


「そっかぁ〜。先週まで休日出勤してたから来れなかったんだよ〜。そんなにこの店、気に入ってくれてたんだね〜」


 うんうんと頷くマユさんに、そうじゃないと首を横に振る。


「マユさんに会えるかなぁって、思って……」

「……え……マジ?」

「ドン引きついでに話すとですね……先週と今週の金曜日も、意味なく駅ビルでブラブラしてました〜。会えないかなぁって」


 マユさんが大きく息を飲み込み、目を見開く。

 まぁ、そうですよね。

 自分でも、自分の行動に引いてるし。


「私に会いたくて?」

「はい、会いたくて」

「なにそれ、震えちゃう」

「怖くてですか?」


 私が冗談混じりに聞くと、今度はマユさんが首を横に振った。


「なんだろーねー。男だったら彼氏でも怖いけど、ユリなら嬉しいよ」

「いま、ユリって言いました?」

「うん。嫌だった?」

「嫌じゃないです。嬉しいです。嬉しいって思ってもらえたことも、嬉しいです」


 なんだろう。

 今は彼氏もいないし、変に素直になれる。


「ここで、もっかいキスする?」

「そういうのはいいです。これが恋愛なのかどうかも分からないし、私、そういうのないと思ってます……いえ、ました、し」

「そっかー」


 ものすごく残念そうなユリさん。

 残念なんだって思うと、なぜだか嬉しい。

 やっぱりちょっと、私はおかしいのかもしれない。


「だってマユさん、彼氏いるじゃないですか?」

「あー、うん。別れてもいいけどねー」

「また、そんなこと言って……」

「いやいや、ほんと。ちょっと最近、色々あって……」


 そこでマユさんが言葉を飲み込み、考える素振りを見せる。

 何かを話そうとしてるようなので黙って待っていると、やがてマユさんの方から話し始めてくれた。


「うん。まぁ、ユリには色々と話さなくちゃいけないことあるよね。ちょっと時間は欲しいかな」

「はい。でも、私もそういう……百合的なのは……ないと思ってる人なので……あまり待たされると本当に、女友達にしかならないかもですよー」

「うっ……言うじゃん」

「言いますよー。何せ私、いまはフリーですからね。あと最近、色々と急展開すぎて冷静な判断ができていないだけかもだし」


 さらに考えこむマユさん。

 初めて私がイニシアティブを握っている気がする。


「ん、心得た。で……とりあえず、今日はデートってことでいいのかな?」

「マユさんが、百合を望まないという約束をしてくれるなら」

「ちっ、キスはなしか!」


 本気で残念がるマユさんを見て、私は思わず吹き出してしまった。

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