第16話 ホールド・ハンズ!

 『ADZ珈琲』を出ると、春らしからぬ朝の冷たい空気が肌を刺してきた。

 たまらず手をこすっていると、それを見ていたマユさんがおもむろに手を伸ばす。


「手ぇ」


 短い言葉とともに、私の右手を握ってきた。

 私が驚いた表情を見せると、マユさんが少しだけはにかんだ笑顔をこぼす。


「手ぇくらいは、いいでしょ?」

「まぁ……私も高校生の時に、友達とテーマパークで手を繋いで歩いたことありますし……」

「おぉ、いーねー。今度、浦安ファンタジー・ワールド行こうよ。そういえば私、社会人になってから行ってないなぁ」

「えぇー? 私、年に四回は行ってますよ?」

「それは行きすぎっ!」

「そんなこと、ないですよ!」


 ケタケタと笑うマユさんに対し、口をとがらせて抗議をする。

 私の中で浦安ファンタジー・ワールドは、春・夏・秋・冬と、それぞれの季節に行くことが恒例の行事となっていた。

 季節によってキャラクターの衣装やパレードの内容が変わるし、季節限定のグッズだって販売される。

 私の友達なんて年パスを持っていて、毎月通うほどにヘヴィユーザーなのだ。

 私なんて、マダマダである。


「いーなー、そういう普通のデート。いーなー」


 マユさんは上機嫌で、繋いだ手をブンブンと大きく振って歩いていた。

 あまりの大振りに、私が前へ後ろへと振り回されるほどだ。

 会社でのクールっぷりはどこへやら、今は影も形もない状態だ。


「マユさん、いつもどんなデートしてるんですか?」

「いつも……ね」


 振っていた手が止まる。

 マユさんは、少しだけ考えながら答え始めた。


「彼氏が趣味というか、仕事というか、大好きマンでさ。自分の部屋で作業ができるから、完全にヒキコなのよ」

「うへぇ……えっ、じゃあ、まさか部屋に行くだけ?」

「そーだねー。家でなんか作って持っていったり、買っていったり。外で会ったことなんて、ほとんどないね」

「なんですか、それ。通い妻みたいじゃないですか」

「そーだよねー」


 それでもマユさんは笑顔だ。

 自分なら、そんな彼氏は願い下げである。

 どうして受け入れられるんだろうと、お節介な考えを持ってしまう。


「まぁ本当にね、すごい才能のある人で、仕事のことしか頭にないんだよ。でもそこは尊敬もしてるし、好きなところでもあるんだ。で、彼も私のことを好きというより……」


 そこで、どこか切なげな表情。

 少し踏み込みすぎたかもしれない。


「まぁ、なんだ。彼とはビジネスパートナー的な関係の方がいいのかもしれないなーって、最近思ってたんだ」

「ビジネス……もしかして、マユさんの彼って……」


 マユさんが真面目な表情を向けてくる。


「バンドのメンバー、とかですか?」


 今度は一瞬固まり、そして吹き出した。


「あはっ、なにそれ! 私、もうバンドしてないし!」

「あ、そうなんですか? いい線いってると思ったのになぁ」

「まぁ確かに、いい線はいってるよ」


 笑いすぎて、涙を拭うマユさん。

 やっぱり笑顔のマユさんを見ると、なんか私まで嬉しくなる。


「じゃあ今日は、マユさんは私と女友達として普通のデートしましょうー」

「女友達なのに、デートなの?」

「彼氏がいない期間に友達と遊ぶことを、私はデートって呼んでるんです」

「なんだ、百合耐性あるんじゃん」

「いや、そういうんじゃないです」


 きっぱりと否定する。

 そこは、少し意味合いが違うのだ。

 いまマユさんとこうしているのと、今の話は全く違うのだ。


「そんなわけで、今日は私の行きたいところに連れていきまーす」

「なにそれ、超嬉しい」


 今度は私が、笑顔のマユさんの手を引っ張っていくのだった。

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