妖怪前世紀「前編」
「なんでやり返さないんだ?」
「…………」
そう聞いたということは、その男は一部始終を見ていたのだろう。私が多くの人から石を投げられても助けもせず……木の上に腰かけて上から見下すように……。
彼は近くの枝から果物を奪って齧った。
彼の見た目はボロボロだった……その日暮らしの行く当てもない侍か。
「見てたなら分かるでしょ……相手は子供なのよ」
「だとしても。小さな石ころでもたくさん当たれば脅威になる。当たり所が悪ければそのまま死に至ることだってあるんじゃないか?
あんたみたいな肉付きの悪い細身には、石ころであっても凶器に変わると思うけどな。それとも当たったように見えてギリギリのところで衝撃を和らげてんのか?」
「……そう器用なことはできないわよ。きちんと痛いわ。子供の力だから、痛いことには変わりないけど……でも、致命傷ではない」
「致命傷でなければ反撃はしない……ってことか」
「そうね。大人が子供に我を忘れて怒るのは――大人げないわ」
「そうは思わねえけどな。子供だろうと、あいつらは統率が取れていた。最近の子供ってのは大人を見てるから人の殺し方を熟知してる。たとえ刀を持てなくとも、石ころどころか指ひとつあれば人を殺す術を理解してるもんだ。
子供だからで手加減をしていたら……あんた、簡単に殺されるぞ? 子供ってのはもう庇護対象じゃねえ。大人には満たないが……だが、命を脅かす存在なんだよ」
「それでも」
私は痛む頬を手で触れながら。
……指が触れると、ぴり、と痛みがあった。当たった時は大したことがないと思っていたけど、時間が経てばきちんと痣になっていたらしい。
石が当たった全身、いずれはそうなるのだろうか……。
子供のイタズラなのだから。
そう、怒ることもないという気持ちは変わらない。
「子供がすることよ。笑って許してあげればそれでいいじゃない」
「甘ぇよ」
見ろ、と言わんばかりに木の上にいた侍が飛び降りてくる。
私のすぐ傍に着地した彼は、手を刀にやった、瞬間だった――刀が抜かれた。
気づけば刃が一閃していて、拳の大きさの石が、真っ二つになっていた。
その割れた凶器が、私の顔の高さで、左右に散っていく――もしも、彼が危険を察知して斬ってくれていなければ。……その石は私の顔にめり込んでいたはずだ。
「……え」
「イタズラじゃねえな。度を過ぎてる。これはもう奇襲だ。……人殺しと判断しても誰も文句は言わねえだろ」
周囲の茂みがガサゴソと動き出す。顔を出した子供たちは不満顔だ。
「邪魔すんなよ侍」
「ぼくらはそこの『妖怪女』を退治するんだから」
「妖怪女?」
侍が振り向いた。彼は私の頭の上からつま先を観察して…………「妖怪、か」と呟いた。一般的な町娘の格好をしている私を見ても、巷で噂されている妖怪とは姿形も違うから納得できなかったのだろう……でも、私は紛れもなく妖怪だ。
多少の脚色はあるけれど、流布されている噂の中には事実も紛れ込んでいる。おどろおどろしい見た目でないだけで、私の中身は化物のそれなのだから。
それを知れば、彼もまた、私のことを斬りつけるだろう……そのための刀だ。
「お前らは妖怪退治の仕事を請け負ってんのか?」
『そうだ!』
続々と茂みの中から子供たちが飛び出してきた。茂みの奥には手作りの投石器が置いてあって……さっきの猛スピードで突撃してくる石は、あれを使って……。
子供の手作りとは言え、充分な効果を出せる凶器になっている。
「妖怪がいたらみんなが不安なんだ」
「だから退治しなくちゃいけない!」
「そのおんなに村が襲われる前に、ぼくたちでなんとかしなくちゃいけないっ、ぼくらの村を守るんだ!」
「……だってさ。妖怪のあんたはどう思ってんだ?」
「私は……」
「こいつらの村を襲うかもしれないか?」
「しないわよ。というか、私にどうこうできると思う? 私にできることなんて周囲の気温をちょっとだけ下げることくらいよ……。季節によっては、快適に過ごせるくらいにしかならないわ……、村をひとつ消すほどの力なんて私にはない」
「嘘つけ妖怪女!」
「雪女め!」
弁解は聞き入れてもらえなかった。……どの村もそうだ。妖怪というだけで、私は全員の敵になってしまう。
脚色された噂のせいだけど、みんなが知っていて、それが常識のように広まってしまえば、私の真実の言葉なんて嘘や作り話に聞こえてしまう。
私の言葉は油断を引き出すためだと思われて……。
喋れば喋るほど、疑われていく悪循環だった。
「まあ落ち着けお前ら。この娘が妖怪だとして……雪女、だったか? ――仮に事実だったとして、村を襲う理由がないだろ。妖怪が全員、村を襲うわけじゃない。
やったらやり返される――やられたからやり返す……それで言うと、なにもしなければ雪女は村を襲ったりもしねえはずだぜ? それとも既に村を襲われたのか?」
「ううん……でも、先に退治しておかないといつ襲われるか……」
「そんなことを続けていれば、妖怪側もお前たちのような『妖怪を退治しようとする子供』を進んで襲うようになるかもな。最初から手を取り合う気がなければ今度は顔も見せずに奇襲や夜襲が横行し始める。友好的な妖怪まで退治するのは賢い選択とは思えねえな」
「――じゃあすぐ傍に妖怪がいるのに放っておけって言うのかよっ。見逃して村が襲われた時、おじさんは責任取ってくれるのか!?」
「少なくとも、この娘が裏切るようならおれが斬り殺してやるよ」
彼の視線が一瞬だけ私に向いた。……その目は……人殺しの目だった。
雪女だからこそ慣れているはずなのに、背筋が凍って……寒気で血の気が引いた。
襲う気なんてなかったけれど、絶対に仕返しなんてしないでおこうと心に決める――。
彼の説得のおかげで、子供たちが身を引いてくれた。
周囲から人がいなくなったせいか、気温が下がった気がするけど……私のせいかもしれない。
私も、この力を充分に理解し、操っているわけではないのだ。
「最近のガキは優秀だな。あれを手作りするとは…………、あんなので奇襲をされたら百戦錬磨の侍でも倒されることもあるかもな……」
「どうして……」
助けてくれたの? と聞き終える前に、彼が答えた。
「まあ、自衛もある」
「……?」
「おれも妖怪だからな」
そんな風には見えないけど、と思ったけど、それを言い出したら私もだ。
広まった雪女の像は私のような町娘ではなく、もっと高身長で、白く透き通るような肌で――私よりも年齢が高い。
雪女が立ち寄った村は吹雪に襲われる、なんて逸話もあるくらいだ。それを信じてしまえば、子供たちのような警戒も頷けるけど……あくまでも噂だ。
脚色されて、長い年月をかけて作り上げられたお話とも言える。昔はそうだったかもしれないけど、時代を経て、雪女の実像も変わっているのだ。
人とそう変わらない見た目で、人より体温が低くて……。吹雪なんて起こせないけれど周囲の気温を少し下げるくらいの『力』を持っている……それが今の雪女であり、私だ。
脅威と呼ぶにはまだまだ足りない。
これがさらに時代を経て力が薄まっていけば、ただの冷え性の女性がかつての雪女だった、と言える時代がくるのかもしれない……。
妖怪は薄まり、人間社会に溶け込むことができる。そもそも妖怪という呼び名だって、特別な力に怯えた人たちが勝手に名付けたものなのだから……最初から私たちは妖怪ではない。
「昔は当たり前に持っていた個人の特別な力……、それが死と誕生を繰り返すことで薄まっていった結果……特別な力を『持たないように』見える人間が増えていき、それが当たり前になった――人間に『差』が出なくなったんだよな」
「…………らしいわね。私も人から聞いただけだけど……。教えてくれたその人は前世の記憶が混ざっていたから知っていたみたいだけど……ただ、全部を信じてはいないわ」
妖怪が脚色されていたように、過去の日本の状況も脚色されている可能性は、否めない。
証拠もないのにはいそうですかと信用はできなかった。
でも……実際、薄まってはいるけど私には特別な力がある。
――周囲を冷やす、この雪女の力が。
「おれは知ってるぜ。前世の記憶が混在しているなんてものじゃねえ……おれは前世の記憶を持ったままこの世界に生まれ落ちた。この時代で生まれたおれの記憶こそねえんだからよ。おれにとっては前世からの続きで今世にいるようなもんだ。
――だから力も、まだ濃いままだ…………まあ、頑丈と怪力が売りなだけの力だが」
「……あなたも……まあ、言うだけならなんとでも言えるものね」
「
「分からないわね」
…続
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